遠すぎた橋

 セント=ヘレナのナポレオンはアルコレの戦いについて、自ら率いた縦隊が「橋の中ほどまで達した」と記している。漫画でもボナパルトが川へ落ちるのは橋の真ん中あたりだ。だが、そのような主張をしているのは実はナポレオンしかいない。
 この戦闘に関してかなり詳しく記しているのはマルモンだ。彼はこの時スルコフスキーやルイと同様にボナパルトの副官であり、司令官が軍旗を握って前進を始めた際にその周囲にいた。その彼はボナパルトの前進について以下のように記している。

「この失敗[オージュローの前進に兵がついてこなかったこと]を知らされたボナパルト将軍は幕僚とともにこの師団に合流し、縦隊の先頭に立って彼らを勇気づけようとするオージュローの試みを再開した。彼もまた軍旗を掴み、そして今回は縦隊は彼に続いて動き出した。橋から200歩のところにたどり着き、敵の致命的な砲火にも関わらずそこを渡ろうとした時、ある歩兵士官が司令官の体にしがみついて言った。『将軍、これではあなたが殺されてしまいます。もしあなたが戦死すれば我々は負けます。これ以上行ってはいけません。ここはあなたのいるべき場所ではありません』。私は戦友の一人でボナパルト将軍のもう一人の副官でもある軍に到着したばかりの極めて有名な士官と並び、ボナパルト将軍の前にいた。ボナパルトがエジプトから帰る時に乗ったフリゲート艦には、ミュイロンというその士官の名が付けられた。後続が来ているか見るために振り返った時、私は上に述べた歩兵士官がボナパルト将軍を腕に抱えているのを見て彼が怪我をしたのだと思った。しばらくの間、一団は動かないままだった。もし縦隊の先頭が敵の近くにいて前方に進軍しない場合、それはすぐに後退する。どちらであれ移動し続けることが必要なのだ。かくして彼らは後ろへ下がり、敵の砲火から身を守るため堤防の背後に身を投じ、混乱の中を後退した」
Memoires du duc de Raguse de 1792 a 1832, Tome Premier"http://books.google.co.jp/books?id=vrMFAAAAQAAJ" p236-237

 マルモンの記述を信じるのならボナパルトは橋の手間「200歩」のところで歩兵士官にしがみついて止められ、そこから後退していったことになる。つまり、橋には到達しなかったのだ。前回紹介したベルティエの手紙にも「縦隊は暫くの間移動し、そして我々が橋から30歩の距離に来た時、敵の恐ろしい射撃が縦隊を叩き、敵の成功と同時に縦隊を後退させた」とあった。橋からの距離こそ異なるものの、ボナパルトが橋の手前で動きを止められたことははっきり記されている。
 他の証言もある。アンドレ・エスティエンヌはボナパルトの前進について、彼の前に軍旗を持って前進したオージュローのいた場所から約10歩向こう、橋から55歩の場所まで軍旗を運んだと記しているそうだ(Martin Boycott-Brown "The Road to Rivoli" p465)。ここでもまた橋の手前でボナパルトの前進が止まってしまったことが窺える。ルイも「我々が戦っていたのは右側を運河に、左側を沼地に接していたたった一筋の道路だった」と記しており、橋ではなくそこへ通じる堤防が戦場だったと指摘している。
 フィクションの世界では、大体ボナパルトは橋の途中までたどり着いている。ナポレオン漫画もそうだし、フランスのドラマ(邦題はなぜかキング・オブ・キングス"http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=241605")でも橋までは到達していたように記憶している。おそらくその論拠はセント=ヘレナでの皇帝の証言なのだろうが、より古い時期の記録や他の参加者の発言を見る限り、これは信頼性に乏しい。ナポレオンは橋にたどり着けなかったのだ。それにしても閣下、あの橋まで行くのは遠すぎますな。
 グロの描いた「アルコレ橋のボナパルト」Bonaparte au Pont d'Arcole"http://www.megapsy.com/Louvre/pages/078.htm"という有名な絵があるが、もしできるだけ史実に忠実であろうとするならせめて題名を「アルコレ橋“手前”のボナパルト」にするべきだろう。軍旗を持って部下を鼓舞したことや危険に身を晒したことは事実なのだから。

 もう一つ、漫画ではボナパルトを庇ってジュノーが負傷する場面があった。もちろんここでジュノーが出てくるのは漫画ならではのフィクションであり、本当はこの場にミュイロンがいなければならない、という点はこの時代に多少詳しい人なら分かるだろう。キング・オブ・キングスでもボナパルトの前に飛び出して銃弾を受け、倒れるミュイロンの姿が描かれていた。
 この話の論拠はどこにあるのか。これまたセント=ヘレナのナポレオンに由来する。「ナポレオンの副官ミュイロンは、自らの体で将軍を守って戦死した。何と英雄的で心を打つ死であろうか!」(Memoirs of the History of France During the Reign of Napoleon, Vol. III."http://books.google.co.jp/books?id=JW0uAAAAMAAJ" p362)というのが皇帝の説明。さて、こちらはどのくらい正確な話なのだろうか。
 まずボナパルトの総裁政府への報告書だが、そこでは「大いなる名声を得ていた士官であったエリオとミュイロンという私の二人の副官も戦死した。彼らはまだ若く、いずれは栄誉とともに第一級の軍事的地位に就くことが約束されていた」(Correspondance de Napoleon Ier, Tome Deuxieme"http://books.google.co.jp/books?id=K1cuAAAAMAAJ" p118)としか記されていない。書かれているのは死んだ事実のみで、どのような死に方をしたのかはこれだけでは分からない。
 11月19日付でボナパルトがミュイロンの未亡人に宛てて記した手紙でも「ミュイロンはアルコレの戦場において私の傍らで死んだ」(Correspondance de Napoleon Ier, Tome Deuxieme, p120)としか書いていない。ベルティエの手紙も「ヴィニョール将軍とランヌ将軍が負傷し、司令官の副官ミュイロンが戦死したのはこの時[縦隊が後退に転じた時]である」(Campagne du General Buonaparte en Italie"http://books.google.co.jp/books?id=4ARXyag379AC" p16)とあるのみ。スルコフスキーも倒れた人物の中にミュイロンの名を上げているだけだ。
 ミュイロンの死に様について彼らより詳しく触れているのは、これまたマルモンだ。上にも記した通り、ミュイロンはマルモンと並んでボナパルト将軍の前にいた。そして、それが生きているミュイロンをマルモンが見た最後の瞬間だった。「この戦闘の間にミュイロンは姿を消した。おそらく回れ右した時に撃たれてアルポン川に落ちたのだろう」(Memoires du duc de Raguse de 1792 a 1832, Tome Premier, p238)とマルモンは推測している。
 要するに、私の確認した範囲ではミュイロンの死に様を目撃した人物は存在しないのだ。いや、そもそも彼の死因が何なのか、死んだことがきちんと確認されたのかどうかすら不明である。マルモンはあくまで推測として「アルポン川に落ちた」としているだけ。後で大勢の死体の中に混ざっていたのが発見されたのか、それもと姿が見当たらないので死んだと判断されたのか、よく分からない。そして彼がボナパルトを庇って死んだという話は、実際にミュイロンが死んでから20年ほど後になってナポレオンがセント=ヘレナで言った台詞以外には見当たらないのだ。
 ミュイロンはその後、ナポレオン伝説に欠かせない人物となった。ボナパルトがエジプトから帰ってくる際に乗った船にミュイロンの名がつけられていたのが、伝説化を加速したのだろう。実際、伝説を無批判に取り上げている本では「とっさにそのまえに立った副官ミュイロンがばったり倒れた。敵弾にやられて即死である」(長塚隆二「ナポレオン(上)」p182)と書かれている。自らの体で司令官を守った天晴れ忠節の士という訳だ。でも、ナポレオンはセント=ヘレナで以下のようなことも言っている。

「ゴヴェルノーロで負傷していたランヌはミラノから駆けつけた。傷はいまだに完治していなかった。彼は敵とナポレオンの間に身を投じて自らの体で彼を守り、3ヶ所の怪我を負いながら決して彼から離れなかった」
Memoirs of the History of France During the Reign of Napoleon, Vol. III."http://books.google.co.jp/books?id=JW0uAAAAMAAJ" p362

 ミュイロンが称えられるならランヌだって同様に称えられてもいい筈だが、この話は後の時代にほとんど伝わらなかった。もしセント=ヘレナにおけるナポレオンの発言が信頼できるのなら、この話だって広く受け入れられてもいい。でも実際はミュイロンの話ばかりが伝えられ広まった。それはミュイロンがそこで戦死したからだろう。彼の方がランヌの話よりドラマチックなのだ。つまり、それだけ成功したミームになり得る条件をそろえていたのである。
 ちなみにルイの話によればジュノーもアルコレの戦場にはいたようだ。ただし負傷したという話はない。

 沼地からボナパルトが救出された話は、ナポレオン漫画の次号が出る際に取り上げたい。

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