年明け最初の更新はナポレオン漫画最新号。最初に出てくる「指揮官の服を引っ張る少年鼓手」はこちら"http://ameliefr.club.fr/E-Augereau.html"をヒントにしたものだろう。この絵では服を引っ張られているのはオージュローだが、まあそのあたりは「漫画はフィクション」ってことで。
この絵を描いたのはシャルル=テヴナン"http://fr.wikipedia.org/wiki/Charles_Th%C3%A9venin"という人物で、他にもウルムで降伏するマックだとかサン=ベルナール峠を越えるフランス軍、レーゲンスブルク強襲といった題材の絵を残しているようだ。オージュローの絵が描かれたのは1798年(アルコレの2年後)で、かなり早い時期に書かれたことが分かる。
なぜオージュローなのか。そもそもはボナパルト将軍がアルコレの戦い後に書いた総裁政府への報告書に遡る。ナポレオンの書簡集第二巻"http://books.google.co.jp/books?id=K1cuAAAAMAAJ"のp116には「軍旗を掴んだオージュローはそれを橋のたもとまで運び、兵たちに向かって叫んだ。『臆病者どもが、死ぬのがそんなに怖いか!』そしてそこに数分間とどまったが何の効果ももたらすことができなかった」という文章があるのだ。
同じことはベルティエの手紙にも書かれている。「何回かあったように我々の兵たちはこの橋を奪うための突撃の準備を行った。しかし最初の試みではロディ橋と同じ勇敢さを示すことなく、繰り返し試みるたびに彼らは押し返された。軍旗を手にしたオージュロー将軍がアルコレを奪うため縦隊とともに前進したが無駄だった」(Campagne du General Buonaparte en Italie, Tome IL"http://books.google.co.jp/books?id=4ARXyag379AC" p14-15)。
現場に居合わせた人間も同じ指摘をしている。マルモンは回想録の中で「オージュロー師団は動きを止め、退却した。部下を刺激するためオージュローは軍旗を持ち堤防の上を何歩か行軍したが、誰もついてこなかった」(Memoires du duc de Raguse de 1792 a 1832, Tome Premier"http://books.google.co.jp/books?id=vrMFAAAAQAAJ" p236)と記している。オージュローが軍旗を持って部隊を率いようとした(そして失敗した)のはおそらく事実であろう。
ただ、細部については違う話も伝わっている。アンドレ・エスティエンヌ(彼についてはシェヘラザードさんのこちら"http://blog.livedoor.jp/sheherazade/archives/50242998.html"を参照)によるとオージュローは軍旗を持って擲弾兵の前を進み「擲弾兵! 諸君の軍旗に続け」と言ったらしい(Martin Boycott-Brown "The Road to Rivoli" p464-465)。ボナパルトの報告書に書かれた台詞よりは上品だ。
オージュローが軍旗を持ったのは事実だとして、ではボナパルトはどうなのだろう。漫画ではボナパルトが旗を持ち、オージュローやジュノーが一緒に走っていたが、史実ではどうなったのか。ナポレオンがセント=ヘレナで言った話を信じるなら、今回の漫画の展開は(細部はともかく)概ね史実通り、ということになる。
「ナポレオンは自ら最後の努力を試みることを決意した。彼は軍旗を掴み、橋に突進し、そこに旗をしっかりと立てた。彼が指揮する縦隊が橋の中ほどまで達した時、側面からの砲火と敵の師団の到着が攻撃を挫いた。後続部隊から見捨てられたのに気づいた縦隊先頭の擲弾兵たちは躊躇ったが、逃亡を急がされたため、彼らは彼らの将軍を保持し続けることをやり通した。彼らは彼の腕と服を掴み、死者と、死につつある者と、そして硝煙の中、彼を引きずっていった。彼は沼地に真っ逆さまに落ち、そこで敵に囲まれたまま腰まで沈んだ」
Memoirs of the History of France During the Reign of Napoleon, Vol. III."http://books.google.co.jp/books?id=JW0uAAAAMAAJ" p362
漫画と同様、ボナパルトは旗を持って橋に突進。また、フランス軍が橋の中ほどまで到達したのも、さらにそこからボナパルトが沼地へ落ちたことも漫画に描かれていた。ただし、ボナパルトが旗を「しっかりと立てた」という部分は漫画には描かれていなかった。
このセント=ヘレナでの発言はどの程度信じられるのだろう。まず問題なのは、上に紹介したオージュローの話が全く無視されている点だ。ボナパルト自身の報告書でも、ベルティエやマルモンといった現場に居合わせた面々の発言でも触れられているのだからオージュローが軍旗を持って部下を鼓舞したのは間違いない。にもかかわらずセント=ヘレナのナポレオンが彼の功績を無視したのは、オージュローが1814年にリヨンを守りきれずナポレオンが彼を裏切り者と考えていたためかもしれない。
となると漫画はやっぱりフィクションでボナパルトは軍旗を持って走ったりしなかったのか。そうではない。実はアルコレで軍旗を持って走った将軍は2人いたのだ。一人はオージュロー、もう一人はもちろんボナパルトだ。それをはっきりと記している一例としてベルティエの手紙がある。
「司令官は幕僚全員とともにオージュロー師団の先頭に向かった。彼は戦友に向かって、彼らはロディ橋を奪ったのと同じ者であるかと叱責した。彼は熱狂が起きたのを感じたと信じ、それを利用しようと欲した。彼は馬から飛び下り、軍旗を掴み、擲弾兵の先頭とともに飛び出し、『お前たちの将軍に続け』と叫びながら橋へ向かって走った。縦隊は暫くの間移動し、そして我々が橋から30歩の距離に来た時、敵の恐ろしい射撃が縦隊を叩き、敵の成功と同時に縦隊を後退させた。ヴィニョール将軍とランヌ将軍が負傷し、司令官の副官ミュイロンが戦死したのはこの時である」
Campagne du General Buonaparte en Italie"http://books.google.co.jp/books?id=4ARXyag379AC" p15-16
この本が出版されたのは1797年。紹介されている文献はほとんどが総裁政府などへの報告書からの引用であり、おそらくこの手紙もそういったものだと思われる。ボナパルト自身は報告書で「私は自らそこに赴き、兵たちに彼らはいまだロディの勝者であるかと問うた。私の存在は兵たちの移動を生み出し、私は橋の通過を試みることを決意した」(Correspondance de Napoleon Ier, Tome Deuxieme"http://books.google.co.jp/books?id=K1cuAAAAMAAJ" p116)としか記していないが、自分の活躍については参謀長の報告書できちんとフォローさせたのだと思われる。
ベルティエ以外にも同じことを書いている当事者は多い。ボナパルトの副官スルコフスキーは以下のように記している。
「突然、幕僚に囲まれ護衛の騎兵を引き連れた彼[ボナパルト]が堤防に現れたのを我々は見た。彼は下馬し、サーベルを抜き、軍旗を掴んで雨あられと降り注ぐ銃弾の中を橋に向かって飛び出した。
(中略)
兵たちは彼を見たが、誰も彼の真似をしようとしなかった。私はこの異常な臆病さを目撃し、このような事態を想像することができなかった。ロディの勝者たちは自ら汚名をかぶろうとしているのか? その時間は短かったが、ボナパルトを囲んだ者たちにとっては破局的だった。彼の副官ミュイロン、護衛隊の副指揮官ヴィニョール将軍、そしてベリアールの2人の補佐官が彼の傍で倒れた。私自身、右胸に散弾が命中したが、巻いた外套をたすきがけしていたおかげで命が救われた」
Boycott-Brown "The Road to Rivoli" p465
同じく副官だったナポレオンの弟ルイも次のように書いている。
「ナポレオンは自ら縦隊の先頭に立ち、アルコレに向かって移動している敵軍に対して先手を取るため橋を奪う努力を倍加した。しかしあらゆる試みは無駄だった。軍旗を手に、幕下の全将軍と士官に囲まれ、擲弾兵の先頭に立ったナポレオンは、とても致命的な砲火にほとんど最後まで虚しく耐えた。兵たちは動こうとせず、司令官を囲むグループは見る見るうちに数を減らした。この日既に2回負傷していたランヌ将軍はルイの傍らで倒れた。ヴィニョール将軍は腕を撃たれた。すぐに擲弾兵たちは混乱し、司令官を含むグループを巻き込んで後退した。我々が戦っていたのは右側を運河[アルポン川?]に、左側を沼地に接していたたった一筋の道路だった。縦列を組んだ砲兵、歩兵、騎兵がこの狭い場所に現れたことを考えれば、敵の銃撃と砲撃の影響がどうだったかも分かるだろう」
Documents historiques et reflexions sur le gouvernement de la Hollande"http://books.google.co.jp/books?id=45tJAAAAMAAJ" p59-60
ボナパルトが軍旗を持ったこと、部隊の先頭に立って橋へ向かったことは間違いない。ロディとは異なり彼は間違いなく「本当に個人的な危険に大いに身を晒した」(Memoires du Marechal Marmont Duc de Raguse, Tome Premier"http://books.google.co.jp/books?id=vrMFAAAAQAAJ" p238)。
しかし、それ以外の部分については実は色々とおかしいところがある。漫画の描写や、セント=ヘレナにおけるナポレオンの発言のどこが信頼でき、どこが史実ではなさそうなのか。長くなったのでそのあたりは次回に。
コメント
No title
今年も興味深い記事を期待しております。
2008/01/03 URL 編集
No title
これからNFLが佳境に入るのでしばらくはそちら方面が中心になるかもしれません。ナポレオニックはぼちぼち行きたいと思います。
2008/01/04 URL 編集