R・クロファードの報告 3

 皇弟殿下オーストリアのカール大公の司令部
 シュヴェルツィンゲン、1796年9月30日
 閣下、
 レック川の陣を捨てたモロー将軍が、軍のかなりの部分とともにウルムへと退却したことを閣下に謹んでお知らせします。
 6人の兵站担当者とパン部門に所属する者全員が今月22日、ウルムからコンシュタットとシュトゥットガルトへ向かう街道上で捕虜になりました。彼らは後者の2地点でモロー将軍の軍の4個師団のためパンを用意するべく先行して送り出されました。この状況と他の情報に鑑みるに、彼がウルムでドナウを渡りシュトゥットガルトとコンシュタットを経由してケールへ退却する意図なのは明らかです。しかしノルトリンゲン近くから前進しているナウエンドルフ少将がモロー将軍の企図を妨げるのに間に合うようウルム前面に到着したため、23日に敵の強力な縦隊が町から一列に行進してきた時、彼らはシュトゥットガルトへの道を見下ろす高地が既に占拠されていることに気づき、強行突破を試みませんでした。翌日ナウエンドルフ将軍は彼の前衛部隊(オレイリー少将麾下)にこの部隊を攻撃させ、彼らをウルムの門へ追い返しました。
 コンシュタットとシュトゥットガルトへの意図していた行軍の実行が阻止された敵は、今月26日にウルムを放棄し、多くの武器弾薬とかなりの数の舟橋を残し、ドナウ左岸に沿ってエアバッハまで前進し、そこで再び渡河し、そして(おそらく)森の町々へ退却していきました。
 27日にナウエンドルフ将軍はブラウベーレン経由でトゥービンゲンへ行軍し、そこでヘッキンギンにいたメールフェルズ将軍と連絡を取ることができました。
 敵がシュトゥットガルトを経由した退却の試みを阻止されたことを知らされた後で、ペトラッシュ中将はホルプ経由でフィリンゲンへ行軍しました。彼の軍団から派出されたダフォル大佐麾下の部隊は、クニービーとキンツィヒ、レンヒ、ムルクの峡谷を占拠しました。モローがケールの陣を増援するため派出した軍団はキンツィヒ峡谷の強行突破を試みましたが、撃退され、フライブルク経由で退却を強いられました。
 互いにすぐ密接な連携を取っているペトラッシュ、メールフェルト、ナウエンドルフ将軍は、退却するモロー将軍の左翼に襲い掛かり、その間にラ=トゥール将軍は正面から追撃し、フレーリヒ将軍はその右翼を圧迫することになるでしょう。
 ノイ将軍は最近マヤンス近くの敵陣を追い返し、かなりの数の捕虜を得ました。
 ブールノンヴィル将軍がジュールダン将軍の代わりにフランスのサンブル=エ=ムーズ軍指揮官に着任しました。しかし彼はまだ前進を試みていません。
 敬具
 ロバート・クロファード
A Collection of State Papers Relative to the War Against France "http://books.google.com/books?id=OZ4BAAAAMAAJ" p101-102

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