アンストラザーの報告 5

 皇弟殿下オーストリアのカール大公の司令部
 ヘーン、1796年9月29日[19日?]
 閣下、
 かなりの軍団をヴィンデッケンに予備として残した大公殿下は12日に主力とともにフリートベルクに行軍しました。そこからクライ将軍が強力な前衛部隊とともにヴェッツラーへと押し出し、そこに接近したところで敵は町を放棄し、その背後の高地に布陣しました。同時にホッツェ将軍がワイルブールに派出されましたが、その場を支配することはできませんでした。
 これまで主な作戦をヴェッツラーに向けていたように思われる殿下は、今や左に転じ、リンブールへの大街道に沿って今月14日にはヴァイアーに宿営しました。シュヴァルバックから前進してくるノイ将軍の軍団と合流し、リンブールとディーツで敵の戦線の中央を貫通することを試み、その間クライ将軍がヴェッツラーからその左翼を迂回し、ナッサウ近くに布陣したミリオス将軍が右翼を牽制するというのが彼の目的でした。
 敵を偵察するために前進している時、殿下は敵の布陣がとても有利であること、そしてかなりの部隊がリンブール前面の高地にいることを知りました。前衛軍団から受け取った報告で敵があらゆる機を捕らえてラーン渡河に抵抗するつもりであると信じられることが分かり、ノイ将軍の協力がより確定的になるのと、ヴィンデッケンから来援に来るよう命じられた予備が到着するまで攻撃を引き伸ばす方が賢明だと判断されました。
 16日早朝、殿下が敵の陣の正面に前進している間、キルベルクを発したノイ将軍はそれを迂回しました。孤立する危険を見てとった敵は大急ぎで高地を放棄し、激しく追撃されながらディーツとリンブールをオーストリア軍の手に残してラーンの背後に避難することを余儀なくされました。しかしリンブールの郊外では散兵がとても頑強に防衛したため、彼らを追い出すことが可能になる前に夜が来てしまいました。
 リンブールの抵抗から大公は敵がハダマーの陣であえて戦闘するつもりであることを願い、結果として17日夜明け前に全面的な攻撃を行う決意とともにディーツとリンブールの間に全軍を集めました。朝の間広がっていたとても濃い霧が、企図していたほど早く兵が前進するのを妨げました。霧が晴れた時には敵は全面的に退却しており、既にかなり遠くにいたので彼らを戦闘に巻き込む望みは残っていませんでした。敵はその日のうちに続けてラーン川沿いの全部の陣地を続けざまに放棄し、その左翼と中央はジーク川の方へ退却しました。そして右翼の師団とエーレンブライトシュタインを封鎖していた軍団はノイヴィートの橋頭堡とライン左岸の防御陣地へ身を投じました。
 それぞれのオーストリア軍団は時間を無駄にすることなく敵を追撃するためラーンを渡河しました。クライ将軍は19日にヘルボーンにあり、デレンブールとジーゲンへ押し出しています。殿下の縦隊の前衛部隊はこの日にホッホシュテバッハにあってアルテンキルクに向かっており、そしてノイ将軍はノイヴィート近郊にいます。敵が後者の地を要塞化するために費やした労力は困難をもたらし、おそらくこの地を蹂躙するのに時間を要することになるでしょうが、しかし一方で軍の前進には何の遅延ももたらさないでしょう。
 フランス軍がとても重要で優勢、かつ間違いなく防衛しようと決意していたラーン背後の陣地で示した弱々しい抵抗は、最も強い意味で私が閣下に謹んでお伝えしようとしている敵の軍の状況を示すものだと確信しています。彼らの間で起きたあらゆる種類の混乱が頂点に達しているためジュールダンは総裁政府に特別で制限のない権力を要求することが必要で、それなしでは彼が規律と服従を取り戻すことが不可能だと考えました。総裁政府は要求を拒否しただけではなく、彼自身から指揮権を奪ってそれをブールノンヴィルに与えました。軍のあらゆる階層の不満がこの状況に加わりました。最も高い階級と評価を得ている多くの士官が辞任を申し出ており、兵の間では脱走がとんでもない数になっています。この状況下では敵がラインの此岸でさらなる抵抗を試みることは予想されるというより願われるというべきでしょう。
 クロファード大佐の状況に関して受け取った望ましい報告によれば、彼が当初予想していたよりずっと早く任務に復帰することが期待できるあらゆる理由があると閣下に述べることができるのは、無限の満足であると感じています。
 ロバート・アンストラザー
 第3近衛連隊大尉
A Collection of State Papers Relative to the War Against France "http://books.google.com/books?id=OZ4BAAAAMAAJ" p97-98

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