同時代の評価

 人物の評価というものは時代によって変わる。たとえばフランスのパンテオンに埋葬された有名人がその一例。フランス革命期に国家の偉人を祀る墓地として選ばれたところだが、ミラボーやマラーのように埋葬されて数年後には放り出された者がいる。革命期にパンテオンに埋葬された者のうち、放り出されることも姿を消すこともなく今も残っているのはルソーとヴォルテールだけだったりする。
 ナポレオンの帝政期には軍人、政治家がやたら大量に埋葬され、希少性が失われた。19世紀後半にはヴィクトル・ユゴーを始め有名人が再び埋葬されるようになったが、ここでも時代により「偉人」の定義が変化していることが窺われる。フランス革命百周年で埋葬された4人のうち3人は軍人だったが、二百周年で埋葬された中には一人として軍人はいなかった。
 日本では江戸期の田沼意次などが評価がころころ変わった人物の一人だ。汚職政治家と言われていたのが後には経済通とされるようになった。戦国期でも一番人気は戦前は秀吉、戦後は信長と変化している。
 そもそも歴史に名を残すような人間であれば毀誉褒貶が激しいのが当然とも言える。従ってある個人についてトータルで安易に結論を出すのは避け、評価するのならその人物がなした個別の事象に絞り込む方が望ましいのだろう。ただし、そのためにはその人物がなした具体的事象についてきちんと調べる必要がある。手間を惜しむ人間には向いていないかもしれない。

 これからが本題。評価のあり方の一つとして、同時代人の見方を参考にするというものがある。もちろん、同時代人の場合、対象となる人物について個人的利害が絡む可能性があるためその評価を安易に受け入れることはできない。だが、同じ時代の視線で見た時にその人物がどう思われていたのかを知ることは可能だ。
 そこで今回取り上げるのは(いきなりマイナーな人物になるが)フランス革命期の将軍シャンピオネ。彼について後の時代の評価を見ると、たとえばEltingなどは病死していなければナポレオンの元帥になっていたであろう人物としている。有能ながら死んだために元帥になり損ねた人物として、ドゼーやクレベールなどと並んで紹介されることもある。
 だが、同時代人の一人であるトーマス・グレアムの評価は厳しい。彼は1799年にイタリア方面軍指揮官だったシャンピオネが取った作戦について、以下のように述べている。

「彼[シャンピオネ]がそれ[連合軍に対する攻勢]を活発に実行したのはおそらく認められるが、多大な才能をもって実施したとは思われない。彼は数多の攻撃を行ったが、それは不完全で、不ぞろいで、そしてどう見ても協調が取れていなかった。彼はあらゆるところに警報をもたらしたが、どこに対しても力強い一撃を与えなかった。総合的に考えて彼は一貫した見方をもって行動していたようには見えない」

 また、1798-99年のナポリ侵攻についても「彼が共和国のためになした主な軍務はナポリとの戦争であったが、その成功は彼の部下だったマクドナルド将軍のおかげだった」とバッサリ。「彼はフランス軍内でかなりの評価を得ていたが、いまだ偉大な才能を示すことも、偉大な何かを成し遂げることもなかった」とも述べている。
 グレアムは連合軍の軍人としてフランス軍と戦う立場にあったから評価が厳しめになっていることは確かだ。だが、彼はフランスの将軍全てをこのようにけなしているわけではない。ボナパルトのイタリア遠征については(渋々ながら)高い評価を与えているし、シャンピオネと同じく1799年にイタリアで戦ったモローに対しても以下のように記している。

「あらゆる人から、モローはこの戦役で多大な構想力、才能、そして判断力を示したと認められている」

 一方、「1799年1月23日 ナポリ」"http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/championnet.html"でHoward G. Brownが書いているような「シャンピオネによる不正行為」に関してはグレアムは何も述べていない。カネに関しては汚れていないが軍人としては才能がない、というのがグレアムによる評価である。そうした見方もあることは知っておいた方がいいのだろう。
 もう一つ、グレアムは1800年に出版した本で面白い指摘をしている。

「彼[メラス]は危険だと見た時にはコルドンシステム[原文はsysytem ubiquity]を大胆に捨てた。彼は全軍をもって交戦し勝利を可能な限り拡大しようとした。それに対しシャンピオネは古いオーストリア風システムの誤りを採用し、フランス風システムの利点を無視したように見える」

 ここでは兵力集中を「フランス風システム」、兵力をあらゆる場所に分散させるのを「古いオーストリア風システム」として、前者を高く評価している。連合軍によるコルドンシステムは、実は同時代人の間で既に批判対象となっていたのだ。後の時代の歴史家がもっともらしく書いていることが、本当はその時代に言われていたことをなぞっているだけという話は意外と多いのかもしれない。

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