グールゴー

 ミシガン大学グッジョブ。彼らのおかげでGoogle Book"http://books.google.com/"にGourgaudの1815年戦役に関する本が掲載されたようだ。早速、ネイの騎兵突撃に関する部分をチェックしてみた。


 皇帝はグルーシー元帥が止められなかったビューローの攻撃が行われたのを見ると同時に、午後4時半頃、ネイ元帥に対してラ=エイ=サントに銃眼を設け、いくつかの大隊をそこに配置してそこを保持するよう、しかしプロイセン軍の作戦が終了するのを確認するまでどんな動きも行わないよう命じた。それから半時間後、午後5時過ぎ、ビューローが最も盛んに我々を攻撃している時、英国軍が再びラ=エイ=サントを奪おうとした。彼らは我々の歩兵による銃撃と騎兵の突撃によって精力的に撃退された。しかし、極度の熱狂に流されたネイ元帥は、自分が受け取った命令を忘れてしまった。彼は高地に上り、そこはすぐにミローの胸甲騎兵2個師団と親衛軽騎兵によって覆われた。皇帝を囲んだ全士官はこの動きと突撃の成功、いくつかの英軍方陣の退却、そして敵砲兵隊の一部の砲撃停止を見て勝利を叫び、喜びを口にした。皇帝はそのようには判断しなかった。彼はスールト元帥に言った。「この戦いに破滅的な結果をもたらしかねない過早な行動だ」。スールトはネイを批判した――「彼はイエナの時のように我々を危険に晒しています」。皇帝は、この戦闘状況下では会戦の敗北をもたらすことにつながる敵騎兵による高地の上にいる我々の騎兵の撃退を恐れ、彼らを支援するようケレルマンの胸甲騎兵に命令を送った。なぜならこのような重要な局面では些細な出来事が重大な結果をもたらしかねないからだ。ギャロップで前進したこの騎兵全ての動きと、皇帝万歳の叫びは、敵をいくらか威圧し、我らの兵の立場を元気づけ、背後におけるプロイセン軍の砲撃継続で彼らが心配を募らせるのを防いだ。
La campagne de 1815"http://books.google.com/books?id=mHRJAAAAMAAJ" p81-83


 やはり他の文献における断片的な紹介だけでは分からない部分が色々とある。午後5時過ぎに英国軍がラ=エイ=サント奪回のため攻撃をしかけてきたなどという記述があったとは予想外。なかなか面白い。

スポンサーサイト



コメント

No title

シェヘラザード
問題(?)の資料がオンラインで読めるようになったのですね。ざっと目を通してみましたが、ラ・エイ・サントの攻防と騎兵突撃の時間関係はこちらの方が「辻褄」はあっているようです。辻褄があう話必ずしも真実ではないのが難しいところなのでしょうが、グールゴーが主張するような展開があったとすると、Heymesが反駁のために書いた手記の内容がより具体的にイメージできそうです。もっともラ・エイ・サントの陥落時刻をめぐっては謎が深まるばかりですが。

No title

desaixjp
この史料自体の辻褄よりも、他の史料と突き合わせた時に何が分かるかの方に関心があります。たとえば、公報では午後2時にラ=エイ=サントが陥落したように書いていたのになぜこの本では午後4時説に近づいたのか、あるいは公報でモン=サン=ジャンとしていた地名がラ=エイ=サントに修正されているのはなぜか、などです。色々と読む楽しみのありそうな本です。
非公開コメント

トラックバック