進化論本

 アンドリュー・パーカーの「眼の誕生」読了。「カンブリアの大爆発」と呼ばれる現象について書かれた本だが、オチは極めて簡単。「眼が生まれたことによって急激な進化が進んだ」。これだけである。作中に出てくる新聞社編集長のように「本当にこれは新説なんだろうな」と問いただしたくなるほどシンプルな話である。
 だが、実際問題として眼の誕生がカンブリア大爆発の原因になったと明確に述べている説に出会ったことは、少なくとも私はない。そしてまた、この説にはそれなりの説得力があることは事実。5億4300年前、三葉虫が最初に眼を作りだし(それ以前には焦点を合わせられる構造を持った感覚器官は存在しなかった)、それから事態ががらりと変わった。言われてみればそうかも、という気になる。
 ただし、その前に一つ確認しておかなければならないことがある。それはカンブリア紀に多数の動物門が一気に発生した訳ではないということだ。38種類の動物門は10億年前から6億6000万年前までに既に出そろっていた(DNAの分子時計を使った推測)。カンブリア紀に起きたのは、その動物門が一斉に硬い殻を得たという変化である。門の進化ではなく、各門の中で起きた進化がカンブリア大爆発なのだ。
 硬い殻は化石として残りやすい。結果、後の時代の人間からはカンブリア紀に動物の種類が一気に増えたように見える。だが、実際には動物の種類はもっと前に、おそらく長い時間をかけて増えてきたことになる。こうなるとグールドの断続平衡説は成立しない。
 そしてまた、カンブリア紀の「爆発」が眼の誕生によって促されたという説も受け入れやすくなる。眼が生まれ、それによって「目標を見定めて」活発に動く捕食者が現れ、それから身を守るべく硬い殻をまとう動物が増えた。眼の誕生によりそれ以前の生態系バランスが一度崩れ、新しいバランスができあがるまでの期間に動物の体に急激な変化が起きたという訳だ。
 視覚が持つ意味の重要性についても説得力のある議論がなされている。視覚以外の感覚を使った捕食には、確かに手間がかかる(コウモリは超音波で狩りをする前にまず超音波を出す能力を獲得する必要がある)。だが、光は太陽の届くところならどこにでもある。視覚はそれを単に受信するだけで済むのだ。視覚の獲得が生態系を大きく変えることも十分にあり得ただろう。
 もちろん、「なぜカンブリア紀なのか」という問いは残る(パーカー自身も最後にその点を指摘している)。最初に眼を持ったのが三葉虫だったのは偶々だとしても、それが10億年前でも6億年前でもなく5億4300万年前であった理由は必要だ。パーカーは何らかの理由で動物が住む地域に届く光の量が増えたのではないかと想像しているが、本当にそうだったのか裏付けは必要だろう。
 それと、パーカーの仮説とは関係ないため本書では全く触れられていないが、もう一つの謎がある。それは動物門が6億6000万年前までに全部出そろい、その後には全く登場しなくなった理由は何かというものだ。門より下位の新種はその後も生まれているのだろうが、門レベルの動物群がカンブリア以前に全て生まれきってしまった理由は知りたいものだ。
 38ある動物門のうち眼を持つのがたった6種類というのも面白い。人間を含む脊索動物門、昆虫などの節足動物門、イカなどを含む軟体動物門、さらに環形動物門、有爪動物門、刺胞動物門がそれぞれ眼を持っている。つまり、進化の過程で少なくとも6回は独立に眼が発明された、ということ。カンブリア紀に最初に眼を持った節足動物たちの後を追うように、残る5つの動物門でも後から眼が出来てきたのである。
 カンブリア紀の動物たちが虹色の光を発していた、という話も興味深い。動物の中には水に浮いた油が光を反射して虹色に輝くように「構造色」を持つものがおり、カンブリア紀の動物たちもその色を出していた可能性があるというのだ。色鮮やかなカンブリアの海というのも想像すると楽しそうだ。
 という訳で進化関連本としてはしばらくぶりに楽しいものを読んだ。もちろん、パーカーの説がどこまで正しいかはきちんと検証される必要があるだろう。だが、無責任な一読者としては十分モトは取れたと思っている。

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