戦争の経済学

 ポール・ポーストの「戦争の経済学」読了。ネット上で見かけて非常に面白そうだと思い、東京出張のついでに発売日に購入してしまった(出張しなかったらたぶん発売日には買えなかっただろう)。で、出張先で移動しながら一気に読み終わり。翻訳者の他の訳書を読んだことのある人間としてはどれだけアクの強い日本語になっていることかと心配していたのだが、何だか普通の教科書風の記述だった。
 個人的に私が興味があるのはもちろんナポレオン時代の話。この本はあくまで米国の、それも主に20世紀以降の戦争を題材に経済学を説明しているのであり、ナポレオン戦争は主題ではない。けど文中にはさまれている歴史コラムの中には19世紀以前の戦争について述べたものもあり、その中にはナポレオン戦争について触れたものもある。具体的にはその時代の英国経済について触れている。
 まず戦争にかかった費用は1989年価格に換算して16.57億ポンド。ピークの時期には国民総生産の25%近くに達していたという。ここから分かるのは、当時の英国については(推計かもしれないが)すでにGNPが分かるという恐ろしい事実である。参考文献は載っているが、その参考文献を記した研究者がどうやってこの数値を叩き出したのかが私にとっては最も興味深い。さらに英国以外の列強について同様の数字が出てくるかどうかも知りたいところだ。あの長い戦争は各国経済にどんな影響を及ぼしたのだろうか。
 ポーストの本に戻ると、そうした費用は当初は借金で賄った。だが、借金がかさみ金利負担が増えたのに伴い、英国政府は増税、具体的には所得税導入に踏み切る。商品産出に対する税金の比率は1795年の20%から1815年には50%近くまで上昇。それでも英国政府は恒常的な赤字に陥り、1800年と1815年には約3500万ポンドの財政赤字を出していたという。
 調達部分で知りたいのは借金をどこからしたかだ。国内の金融家などから借金したのか、国民に戦時公債を買わせたのか。金を貸した側はその時期までにどのように蓄財を行っていたのか、それは産業革命との間にどういう関係を持っていたのか。経済史をもっとまじめに勉強するべきところかもしれない。
 リソースもかなり動員されたようで、戦争を経て鉄と石炭の生産が急増した。1792年に10万人だった陸海軍人は1815年には50万人に膨らみ、18-45歳男性人口の10%強を占めたという。これまたかなり無茶な数字だが、一方で軍人の食料を賄うために農業生産も増えたそうで、工業分野も含めると急速な生産性の向上が進んだのだと思われる。
 英国はこの戦争で背負った借金を19世紀を通じてゆっくりと返済していったのだが、それを可能にしたのも19世紀を通じて生じた経済成長だったとか。100年先の成長分まで前借りして行われた大戦争、というのが英国にとってのナポレオン戦争だったのかもしれない。
 この時代の経済データとしてはネット上にこちら"http://www.napoleon-series.org/research/c_abstract.html"のようなものもある。ただ、中身を見ると分かるように財政収支やGNP(GDPでも構わないんだが)といったデータは見当たらない。こちらの本"http://books.google.com/books?id=tXYSAAAAIAAJ"の57ページにはナポレオンがフランスの財政として戦時に8億フラン、平時に6億フランが必要だと考えていたが実際にその数値を超えたのはモスクワからの敗退後だけだったと記されている。しかし、年ごとのフランスの財政規模データが載っている訳ではない。
 ポーストの本ではペロポネソス戦争の費用といったデータまでが出てくるが、どうやって計算したものかは不明。トゥーキュディデースの本に書いているのだろうか。いずれにせよ戦争の経済的影響を調べるうえでデータが必須であることは間違いない。ナポレオン戦争時代についても、まずデータ集めからやらないといけないようだ。

 次に興味深いのが総志願軍(AVF)と徴兵軍について、需要供給曲線を使って分析したところだ。結論として徴兵軍の方が同じ予算で多くの兵員を抱えることができるとなっており、これは革命後のフランスが低コストな兵士を大量に集められた事実とも一致している。一方、現代の欧州などで進んでいるAVF化においては徴兵軍より資本集約的な軍隊が作り出されるとの指摘もあるのだが、これをナポレオン戦争時代に適用するのは難しい。
 もっと面白いのは、収穫逓減の法則と兵士の参加意欲(給料の少ない徴兵軍ではやる気の起こらない兵士の割合が高くなる)の面から徴兵軍は非効率性を生み出しがちだ、という指摘。それではなぜナポレオン戦争時代にはあれだけ徴兵軍が強かったのか。一つの説明方法としては、市民として政治に参加するようになったフランス国民は、自らの国を守る意識が高く給料の少ない徴兵軍でもやる気があったというものだ。もう一つは、やる気のある兵とない兵との間の生産性の差が、あの時代にはあまりなかったという解釈方法。要するに頭数さえ揃えば質は問われなかった時代だったという説明だ。個人的には後者の方がより正解に近いのではないかと思う。
 個人用の火器が広まる前の戦争では、やる気なり技術なりといった個人的資質がそれなりに兵としての生産性に影響していたのではないだろうか。典型例が百年戦争における英国の長弓隊で、彼らは弓を射るために幼いころからずっと弓を使った暮らしをしてきたという。こういう時代に弓を使えないただの農民を動員しても、非効率性が高まるだけだっただろう。でも、ナポレオン戦争に代表されるマスケット銃は、弓と異なり長期の訓練がなくても扱える。しかもその使い方は「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」方式だ。戦場のテクノロジーが質より量に偏っていた時代に、質より量で動員をかけられたのがフランスだった、のかもしれない。
 一方、最近の欧州でAVF化が進んでいるのは、軍人が再び専門職になりつつあることの現われだろう。専門家としての技能が問われ、おそらくやる気も必要。となれば効率の悪い徴兵軍よりもAFV化して後は資本集約によって人の足りない分を補う手に出る方が望ましい。おそらく歴史的には戦場で使われる技術などの環境条件によって量が必要な時代や質が問われる時代が交互にやって来たのではないだろうか。

 最後に、翻訳者が書いた日清戦争の収支分析。そこでは翻訳者は戦争にかかった費用を支出、賠償金を収入として期待収益率やら割引率やらを計算して見せている。戦争自体がもうかる事業か否かを検討してみよう、という訳だ。
 で、気になるのが巻末に紹介されている「オンラインで入手可能な論文やデータ」の中にある「日清戦争ヨリ満州事変ニ至ル日本外交ノ経済的得失」だ。こちら"http://www.jacar.go.jp/"で読むことができるのだが、この分析が翻訳者のやってみせたものと少し異なるのだ。それによると日清戦争から満州事変前までの得失は、以下のようにまとめられている(新漢字、ひらがなで記述)。

「斯くて過去の日本の外交を経済的見地から検討して見ると、実に58億円の国幣を捨て、21万の戦傷死者を犠牲にして20億円を得たのであり、差引38億円の純欠損と21万の戦傷死者を出しているのである」

 日本外交ノ経済的得失では賠償金や貿易、投資による利益から戦争にかかった費用を「差し引いて」38億円の欠損(赤字)を出したと計算している。だが、翻訳者は収入から支出を引くという方法は採用していない。あくまで費用は「投資額」、賠償金は「利益」とみなして、そこから収益を「割り算」で導き出しているのだ。
 個人的には日本外交ノ経済的得失で使われている計算方法には疑問を覚える。戦争にかけた費用は単に懐から出て行った金という位置づけではなく、戦争から得られるであろう利得を手に入れるための投資だとみなす方がいいのではないだろうか。いやまあそれでも投資額より少ない収入しか得られなかったということは収益率がマイナスだったという訳で、結論としては日本外交ノ経済的得失で述べている通りになるのだが。
 あともう一つ、日本外交ノ経済的得失では以下に出てくる5億円をどうやって推定したのかが不明。

「日清戦争以後昭和9年迄42年間に内地から朝鮮、台湾、樺太及関東洲へ投資して得た利益は最高5億円と推定し得る」

 できれば裏づけになるデータを出してもらいたかった。

スポンサーサイト



コメント

No title

イソップ
国民全体には損失でも、一部利権者にとって利益となる場合に、作為的に価値観を転倒させて、人々に恐怖や幻想を植え付けることで、戦争への道が開かれていくのではないでしょうか?
一度道が開かれれば、全権を掌握する部門が出来て、勝つためには国民の権利や利益がないがしろにされていく。経済が戦争を引き起こすとは、そう言うことではないかと思っています。

No title

desaixjp
確かに「日本外交ノ経済的得失」も「五十八億円の費用を支出した者は一般納税者であり二十一萬の戦傷死者を出したのは忠実なる我が国民であり、この莫大な犠牲に依って二十億円の利潤を得たのは植民地貿易及び投資に関係する少数の商工業者であった」との結論を出しています。結果的に一部が他の犠牲の上に儲けた面はあったのでしょう。

No title

desaixjp
ただ、恐怖や幻想だけで戦争への道が開かれたとは思いません。国民もしばしば積極的に戦争を支持する面がありました。価値観の転倒がなぜ多くの人に受け入れられたのか、人間行動生態学的な視点からの分析が必要なのではないでしょうか。経済学なら「戦争の“行動”経済学」のような本が出てきてほしいものです。
非公開コメント

トラックバック