イベリアと騎兵

 Historical Review of the Exploits and Vicissitudes of Cavalryに面白い話が載っていたのでいくつか紹介しておこう。著者はDallwitzだが、「面白い」指摘をしているのは編集に当たったNafziger。舞台は半島戦争である。
 まずFuentes de Onoroの戦いに関する話。この戦いではフランス軍の側面からの攻撃に対してクロファードの軽師団が頑強に抵抗しながらウェリントンが用意した第二線までゆっくりと後退したという話が伝えられている。NafzigerもFortescueやOmanの著作でそのような指摘がなされていることを紹介しているのだが、それに続いていきなり別の話が存在することを明らかにしている。
 たとえばGuerres de la Revolution francais et du Premier Empireの第10巻に載っている話。それによればフランス軍騎兵の突撃によって軽師団の方陣は複数崩壊し、「ヒル大佐と1500人の兵が捕虜になった」(p54)のだそうだ。もっと凄いのはKochが書いたMemoirs d'Andre Massenaの話で、「クロファードは第13猟騎兵連隊の大隊副官デュランベールに[降伏のしるしに]剣を差し出した」(p54)とまで記している。
 Nafzigerは一応の考えとして、方陣を破られた英軍はその場ですぐに降伏したが、フランス軍が彼らを連れ去る前に救援がやってきたためフランス騎兵は何もせずに引き上げ、英軍も武器を拾いなおして何事もなかったかのように戦闘を続けたのではないか、と指摘している。とはいえ「これは完全な憶測であり、利用可能な史料からはこの謎を説明することはできない」(p55)というのが彼の結論だ。
 同様に謎が存在するのがガルシア=ヘルナンデスの戦い。サラマンカの勝利後に起きたこの戦いではKGLの騎兵がフランス軍第76歩兵連隊の方陣に突撃し、至近距離で撃たれた馬が方陣になだれ込んで隊列を崩した結果として方陣を破るのに成功したという話がよく知られている。Nafzigerは通説に従った文献としてFortescue、Schwertfeger、Beamishらを上げている。
 で、これにも異論がある。まずはDu Fresnelの記したフランス第76歩兵連隊史。そこでは「師団は方陣[複数]を組んで彼らに対して行われた様々な突撃に抵抗した。例外だったのが第6軽歩兵連隊で、彼らの方陣は崩された」としている。第6軽歩兵連隊が方陣を組む前に騎兵突撃を受けて大損害を蒙ったというのは他の歴史家も指摘していることだが、第76連隊の方陣が崩されたとの話はしていない。Guerres de la Revolution francaisも第6軽歩兵連隊以外の方陣は持ちこたえたかのように記している。
 半島戦争についてよく見かける本はその大半が英語文献であり、英国側の視点で紹介されたものが中心になっている。そのせいか、上のようなテーマに関しては英国側の言い分をそのまま載せたような本ばかりが目立つのが現状だ。今後、半島戦争に関する本を読む際には気をつけた方がいいのだろう。

 もう一つ、こぼれ話を。同じ半島戦争のタラヴェラの戦いの時に、以下のようなことが起きたのだとか。

「英第23軽竜騎兵は最も右翼側にあった方陣を攻撃したが、窪んだ川床が見えなかったために攻撃は完全に失敗した」(p51)

 窪んだ川床はFortescueによると幅10-12フィート、深さ6-8フィート。その存在に気付かないまま突撃していた英騎兵は目の前に現れたこの窪地を見て「何人かは跳び越え、何人かは引き換えしたが、第一列の大群は人馬もろとも頭から落ち込み、完全な混乱に陥った」(p50)のだとか。ユゴーが思い描き、映画でボンダルチェク監督が演出したあの窪地は、実は場所を間違えていたのだ。あれはワーテルローではなく、タラヴェラに存在すべきものだったのである。

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