画期とその背景

 以前、ヒトの歴史にどのような画期、つまり大きな変化が起きたタイミングが存在するかについて考察したことがある。何を重要な画期と見なすかについては色々な考えがあるだろうし、それ次第で存在する画期の数も変わってくるといった話を紹介したが、なぜそのような変化が起きたのかについては述べなかった。今回はその点について考えてみよう。
 仮説として活用できそうなのはこちらで触れた経路依存と、環境のもたらすメリットだ。といってもここで言うメリットとは変化をもたらすうえでプラスになる要因なので、環境的に恵まれているだけではダメだろう。絶滅に追い込まれるようなマイナスの環境は望ましくないが、一方で安定性が高すぎる環境はむしろ変化を妨げかねない。そうした環境と、そうした環境の中で出来上がった行動原理(経路依存性)が、時に大きな変化をもたらしたのではないという想定をしたうえで、実際の事例を確認してみよう。

 まずこの条件に当てはまりそうに見えるのがホモ・サピエンスの登場だ。彼らがアフリカで進化したのはおそらく確かだが(人類の起源、p84)、アフリカは地理的なハンデを負った土地だとの指摘が確かなら、そのハンデがもたらす淘汰圧のおかげでホモ・サピエンスはユーラシアの隣人たち(ネアンデルタール人など)に比べてより高い適応力を手に入れた、のかもしれない。
 経路依存性のところでも話したが、アフリカはユーラシアに比べてメガファウナの滅亡が少なく、つまりメガファウナがヒトに対して強い警戒心を持っていた可能性がある。そういう地域で暮らすホモ・サピエンスは、より警戒心の薄いユーラシアのメガファウナを相手にしていた他のヒトよりも厳しい環境下での淘汰圧にさらされていたと考えられる。だからこそホモ・サピエンスは他のヒトが不十分にしか持たなかった行動的現代性を手に入れることができた、という理屈だ。
 前にも触れたがもしネアンデルタール人がホモ・サピエンス並みの行動的現代性を持っていたのなら、彼らの方が先に船でオーストラリアに渡り、寒い環境に対応してベーリンジア経由でアメリカ大陸に進出していたとしてもおかしくない。彼らが住んでいたユーラシアの方がアフリカよりもそういった地域に近いのだから、両者の能力というか適応度が同じならネアンデルタール人の方が場所的にずっと有利だっただろう。結局のところ、ホモ・サピエンスの方が変わるに必要なだけの淘汰圧を受けていたように見える。
 次は農業の開始だが、ここでも農業を始めるのに必要な条件を満たしつつ、でも安定性は決して高くない地域から農業が始まったように思える。少なくとも肥沃な三日月地帯では、狩猟採集でも暮らしていけるほど豊かなメソポタミア下流域ではなく、よりリソースが限定的だったレヴァントであった。シュミルが言うように、生産活動のために高いエネルギーを集中的に投入しなければならない環境に置かれて、初めてヒトはそのように行動するようになったと思われる。
 ただし肥沃な三日月地帯以外にこの要件が当てはまるかどうかはよくわからない。中国はどうだったのか、あるいはニューギニアの高山地帯にはどのような条件が当てはまったのかといった点まで調べないと、このあたりについて軽々しく断言はできないだろう。農業を始めるうえで有利だったのは温帯やそれに近い熱帯あるいは亜寒帯であったと思われるのだが、農業を始める前の時点で温帯が淘汰圧の高い地域だったかと言われるとそれはそれで違和感もある。
 次は国家の成立だが、これはかなりの確率で人間集団同士の競争という淘汰圧が働いた可能性がありそうだ。前に紹介した通り、首長制から国家へのシフトに際しては近場に強力なライバルがいて彼らが強く抵抗した場合(オアハカ峡谷)が条件となっており、ライバルがいなければ首長制のまま変わらない事例もあった(カホキア)。あるいは完新世中期の欧州における農民間の暴力的紛争が、人口の増減のみならず防御に適した場所への人口集中をもたらすという研究も、複雑な社会を生み出す要因として競争、というか暴力が大きな役割を果たしていた可能性を示している。
 また農業の故地について調べた際に、後に「文明が花開いた」地域は年に数ヶ月ほとんど雨の降らない乾季がある、という話を紹介した。コメという生産性の高い作物の栽培植物化を行ったにもかかわらず、長江流域が政治体としては黄河流域に飲み込まれてしまったのも、乾季を持たなかった前者より後者の方が複雑な社会を作り上げる必要性(淘汰圧)にさらされていたため、かもしれない。
 同じことは鉄器・騎兵革命についても言える。家畜馬の先祖はユーラシアのステップ地帯におり最初に彼らにまたがったのもステップの住民たちだった。だが彼らが複雑な社会をステップ地帯ですぐに作り上げたわけではなく、むしろ騎兵はそれ以前から国家間の激しい争いが続いていたオリエントでの帝国形成を手助けした。騎乗という技術が「画期」と考えられるほどの変化をもたらすためには、常に競争に追われている環境が必要だったとも言えるかもしれない。
 近代へと至る画期としては、火薬革命と産業革命のどちらを重視するかといった問題がある。前者の場合はこちらで説明したように絶え間ない戦争という条件の整っていた西欧の方が、火薬の故地である中国よりも画期を作り出すうえで中心的な役割を果たした。An Economic Theory of World Historyの紹介でも競争の重要性は述べている。産業革命についてはScheidelがEscape from Romeで主張したように環境的に西欧は帝国ができにくい地域であり、そうした多中心的な環境が産業革命をもたらしたという説もある。
 一方で多中心的であっても複雑な社会を作って熟成させるだけの期間や材料が得られなかったアメリカ大陸では、そうした変化は起きなかった。このあたりは経路依存性の重要さを示している。研究者が「巨人の肩に乗る」と言うように、社会も過去の積み重ねがあって初めて次の段階へと進むことができるのだろう。そもそも材料が全くそろわない南極大陸などは今もって定住者がいないくらいであり、その意味では逆境も度を超すとヒトに画期をもたらすどころではなくなる。あくまで適度なレベルの淘汰圧でないといけないのだと思う。

 以上のようにかなりの画期は一定レベルの淘汰圧の存在によってもたらされたと考えられるが、そのあたりがはっきりとわからない例もある。ホモ属の登場がその一例。共通祖先を持つパラントロプスがホモ属のように肉食へのシフトを続けるのではなく、強力な顎を発達させて植物食に適応していった(人類の起源、p17)のを見ても、ホモ属への道が進化の唯一の道筋でなかったのは確かだ。
 パラントロプスとホモ属の分岐を促した条件が何であるか、正直わからない。どちらもアフリカに暮らしていたわけで、アフリカ内の細かい気候や環境の違いが両者の差につながった可能性はあるが、では具体的にどの時代のどのような環境がそれをもたらしたのかというと、はっきりしたことを述べるのは難しそう。ホモ属の登場もヒトの歴史上における1つの画期ではないかと思うのだが、仮説がこの点をどこまで説明できるかは不明だ。
 というわけで今回示した仮説は大雑把に見ると画期をそこそこ説明できているように見える。もちろん実際にはもっと詳しく確認しなければいけないはずだが、今のところ「ヒトは追い詰められないとなかなか本気を出さない」くらいは言えそうだ。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント