密告社会の闇

 実にエグい話だが、ロシアで密告が増えているのだそうだ。BBCの記者が「1397通の通報文を書いた」ロシア人に話を聞いた(メールでやり取りした)内容を紹介しているのだが、なるほどこれが囚人のジレンマにおける「裏切りデフォルト」の世界かと思うと実に(うんざり感マシマシという意味で)味わい深い。もちろんここに出てくるのは極端な事例だとは思うが、そういう事例が実在するというだけでユーラシア中核の闇が浮かび上がるとてもシュールな記事だ。
 取材を受けた「密告の常習者」は、あくまで自称だが「人文系の教授としてパートタイムで働いている」人物だそうだ。独り暮らしで貯金を取り崩しながらやりくりしているという話も含めてこれまたどこまで本当なのか分からないが、本人曰く「特別軍事作戦に反対する全員が、私の安全と生活にとって、敵」なんだとか。どうしてそういう理屈になるのか不明だが、フルタイムで働く代わりに「暇を見つけてはオンラインで過ごし」、ロシア軍の信用を毀損した人物を次々と密告しているそうで、まるで「AIに描かせた小人閑居為不善の図」みたいな有様。これだけで正直おなか一杯という感じだ。
 でもそれだけでは済まない。これは標的にされた面々を見るとよくわかる。最初に出てくるのが外国メディアの取材に応じた人類学者(亡命済み)で、次は独立系メディアで発言した教師(学校から解雇された)だ。どちらも学歴エリート、つまり西側世界ならバラモン左翼(by Piketty)になりそうな面々であり、それを通報したのがパートタイムとはいえ「人文系の教授」である点が一段と闇を深くしている。西側世界では人文系の衰退がしばしば話題になるが、ロシアでもSTEM系でないと役立たずだと思われているのだとしたら、この密告常習者の行動は自らの立場を守るための学歴エリートによる内部紛争の一種とも解釈できる。そう、西側で行われているキャンセルカルチャーのロシア版、かもしれないのだ。
 ウクライナへの軍事侵攻が始まった当初から、ロシアでのエリート内紛争の可能性はないのかという観点でその動きを見てきたが、密告の増加ももしかしたらそういう性格を持っているのかもしれない。もちろん密告の中にはそれだけではなく、船員同士の内輪もめから密告に至った事例などもあるそうで、もしかしたらこちらの方がよほど「裏切りデフォルト」社会を象徴しているのかもしれないが、それを含めてとにかくロシアが「住んでいる者にとって嫌な社会」と化している様子はうかがえる。残念ながら自分たちの選んだ大統領が「裏切り者を罰せよ」と扇動している状態なので、そうした社会で暮らすロシア国民にとっては自業自得になってしまうのだが。
 さらに最近は反体制派の代表的人物が獄中で死亡したという報道が出てきた。もちろん西側は「プーチン政権に責任」があると非難しているし、プリゴジンが死んだ時と同じく実際に政権に責任がある可能性はかなり高いだろう。トップが率先して裏切り者を殺しているのだとしたら、下の者が真似をするのは当然と言える。結果、ただでさえ人が減っているのに、密告という形の裏切り合いのせいで一段と人手が足りなくなる、というのが今のロシアの状況だと思われる。ユーラシア中核をいまだに支配し続けるタタールしぐさという名の経路依存性は、もはや呪いのレベルに達しているんじゃないかと思えるほどだ。
 実際問題、この状況ではプーチンに忠実に見える部下たちですら信用ならない、少なくとも彼らの話が事実に基づいているかどうか分からないと疑う必要がある。ISWの4日の報告によると、プーチンが軍事ブロガーたちの発言を比較的自由に許しているのは、彼ら経由でないとまともな情報が入らなくなっているため、という可能性があるそうだ。国防省経由では大本営発表のような情報しか入らないのだとしたら、クレムリン批判が混じるとしても軍事ブロガーを残しておかなければ拙い、という判断かもしれない。
 一方、大半のロシア国民はウクライナ戦争に対して無関心を決め込んでいるという。16日の報告では、独立系の調査データで大半の国民が戦争を日々の生活とは無縁のものと見なして考えないようにしているという結果が出たことが紹介されている。ただしこれは家族が動員されていない国民に限られており、実際に動員された者の家族の間では不満がたまっているそうだ。とはいえそれらは孤立した不満にすぎず、既に6万人が死亡し30万人が負傷するという損害にもかかわらずロシア社会は戦争を受け入れているのだとか。
 問題はウクライナが抵抗を続ける限り、状況は改善しない点だろう。例えばロシア経済は現状、軍事予算頼みと化しており、ロシアのエコノミストですら停滞か景気後退が迫っているとの見方を示しているという。実際、ロシアがやっているのは人命を捨て、ロシア経済が生み出した成果物を戦場でごみに変える行為であり、そうやって「実体経済の外にお金を放り投げ」たところで「戦車の残骸から、さらなる成長へ寄与できるハイテク機器を生み出すのは不可能」。IMFもロシア経済は人口流出と技術不足で難局を迎えると見ているそうで、経済的にも密告と同様、旧ソ連時代に逆戻りしているもよう。やはり現状は「長い解体トレンド」に見える。
 一方、戦場での状況については成果が出てきている。少なくともアウディーイウカからウクライナ軍は撤退し、ロシア側の主張によれば航空支援を含めた攻撃によってロシア軍がアウディーイウカを落としたとされている。もちろんISWが15日の報告で指摘している通り、作戦的に見るとアウディーイウカの陥落には大きな意味はなく、ウクライナ側の兵力損失を除けば選挙に向けたクレムリンの宣伝効果くらいしか価値はなさそう。対外関係を国内政治の一手段としか考えないのは権威主義国家あるあるだが、おそらくクレムリンはたとえピュロスの勝利であっても目先勝てればいい、と考えているのだろう。
 もちろんロシア側にとってマイナスと言える結果もある。例えば2月上旬には戦車など各種装備を1日で54失っており、確認された損害数で最多を記録している。また黒海艦隊はまたも艦船を1隻沈められており、英国防省はロシア艦隊が持つ「継続的な脆弱性」が浮き彫りにされたと指摘している。ISWの15日の報告には、一時戦死したと報じられ、その後も一向に動向が伝えられなかった黒海艦隊の司令官が公式にその地位から外されたことが伝えられている。
 逆にウクライナに関しては、ISWが繰り返し西側による支援の必要性を訴えている。13日の報告ではウクライナ軍がロシアの機動を食い止めるうえで西側の軍事支援がカギになると指摘。特に唯一大規模な援助を行える米国による支援の重要性を強調している。一方で戦場の主力となっている西側榴弾の増産が困難であるとの報道もあり、要するにこちらも事態は楽ではないもよう。6日の報告にはこれまでの支援額の合計が記されているが、EUが1485億ドル、米国が1130億ドルの支援を積み上げてきたものの、現時点ではやはり米国の支援が欠かせないとしている。

 というわけでどちらにとっても暗さを増す戦争の動向だが、引き続き世界の他地域もどんよりとしている。中国ではマネーが逃げ出した結果として証券行政のトップが更迭された。もちろんトカゲの尻尾切りをしてもマネーが全面的に逆流するとは考え難く、中国勢が自国だけでなく世界各地で不動産売りに転じているとの報道もあった。「国家隊」による株価買い支えも始まっているそうで、いよいよもって30年前の日本と似てきている。
 そんな中でちょくちょく語られているのが、中国人の国外流出。こちらの記事では「中国のインテリが東京に大集結」とまるで辛亥革命前のような話が出てきているし、もう少し深刻そうな話としては経済苦から中国を脱出して米国に移民しようとする中国人が10倍に増えたとの報道もある。経済悪化を嫌って逃げ出す人がいる点はロシアと似ており、中国の内情も次第にロシア化しつつあるように見える。一時は日本を抜くと言われていたアニメも、足元は寂しい状況らしい
 一方、中国から逃げたマネーが流れ込んでいる日本では、バブル期以来の株価最高値が見えてきた状態。といっても足元の景気がいいわけではない。経済面でのプラス材料としては、例えば肥料価格の下落など各種インフレ要因が収まりつつあることがある。一方で経常黒字にはなっていてもキャッシュフローで見ると対外債権は円転されないために赤字が続いており、実態は債権取り崩し国ではないかという指摘もある(個人的には必ずしも同意はしないが)。全体として経済的に楽観しすぎない方がいいように思える。
 政治的にはどうだろうか。こちらの記事では「政治と関わりたくない人たち」についての調査結果が載っているが、最近はそう考える人が増え、それが自助努力指向につながっているのではないか、との指摘がなされている。考えようによっては戦争から目をそらしているロシア国民と似た傾向なのかもしれない。
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