承前。
De Lacy EvansとMuterはいずれも騎兵の前進時に歩兵部隊が騎兵部隊を通り過ぎていったと述べている。つまり、歩兵は騎兵と反対方向(後方)へ移動していたわけだ。WyndhamとCrawfordは歩兵(第92連隊)が退却していたと記しているし、Clark Kennedyは歩兵が稜線付近で大混乱状態に陥ったのを確認している。要するに騎兵部隊から見た歩兵部隊は混乱し、騎兵部隊の周囲を後ろへ向かって移動していたのである。
これに対し、歩兵部隊の人間がSiborneに出した手紙では、基本的に彼らが退却したような事実はないと主張している。むしろピクトン師団の歩兵部隊はフランス軍の前進を食い止め、撃退したと書いている人が多い。一例としてケンプト少将の発言を記しておく。
「フランス歩兵が陣を敷いた稜線上を通る道路と生垣を奪取しようとしたちょうどその時、私は横隊を組んだ第28、第32、第79連隊を率いて彼らに突撃し、敵の縦隊を完全に撃退して大混乱のまま斜面を追い落とした」
Siborne "Waterloo Letters" p347
歩兵部隊と騎兵部隊の証言が矛盾しているわけだが、実は英国歩兵部隊の中にも「英国歩兵が退却した」と証言している人はいる。
「かくして勇敢なベルギー人が捨てた陣地はすぐにロイヤル[・スコッツ連隊、すなわち第1連隊]の第3大隊と第44連隊第2大隊によって再占領された。この2つの弱体な大隊は襲撃者に激しい銃撃を加えたが、相手は断固とした勇敢さをもって前進を続け、我々の戦友を生垣から退却せしめるのに成功した。
誰もが今やこの戦闘が重要な局面に差し掛かり、この奔流に抵抗する試みがすぐなされなければ高地とそれと同時に勝利が敵の手に渡ることを確信した。ベルギー部隊は去った。ロイヤルと第44連隊もまた後方へ退却し、我々の左翼側かなり遠くの重要地点に布陣していた第42連隊はそこから動くことができなかったため、危険な試みは約230人の戦力だった第92連隊にかかっていた[第92連隊中尉James Hope]」
Glover "Letters from the Battle of Waterloo" p283-284
「我々の側面を通り過ぎて退却したロイヤルと第44連隊のことについては、私は簡単な記録でそれが本当に起きた事実だと記しており、それに付け加えることも撤回することもない。もし私の記録が事実だと認められなかったのならば、回想録を購入してくれた親切な18人のロイヤルの士官たちの誰かが私の誠実さに異議を申し立てていたのでは?[James Hope]」
Glover "Letters from the Battle of Waterloo" p289
Hopeはパック旅団の第1及び第44連隊の各1個大隊がフランス軍の前進によって退却したと明言している。もっともそのHopeが所属していた第92連隊自身も、他の関係者からは逃げ出した部隊の一つとして指摘されているのだが。
以上、関係者の証言を見てきたが、現実はどうだったのだろうか。まず注意すべきなのは、Siborneの集めた手紙はいずれもワーテルローの戦いから20年以上経過したものばかりという点。歩兵部隊は自らは踏みとどまったと言い、騎兵部隊は歩兵は逃げて騎兵の突撃で局面を打開したと言うなど、誰もが自分に都合のいいことばかり述べているのも、彼らの記憶が20年以上を経て捻じ曲げられたせいだと考えられる。
また、戦場の興奮状態で見たものを勘違いした可能性も否定しがたい。デルロン軍団の前進は両軍による事前の砲撃の後に行われたのであり、戦場を覆う硝煙もかなり濃密だっただろう。目の前で起きていることを正確に把握できた人間はそれほどいなかったかもしれない。
そのうえで個人的な見方を記しておくのなら、おそらく真相は中間あたりにあるのではないか。つまり、英国歩兵の中には逃げ出した者もいたし、一方で踏みとどまって戦った者もいた、ということ。騎兵たちが見た逃げ惑う英国兵は確かにいた。だが、歩兵たちが主張するように逃げずにフランス軍に立ち向かった英国兵もまた存在したのだろう。それを裏付けると思われるのが、騎兵Clark Kennedyが残した以下の証言だ。
「我々が生垣を通り過ぎた後で、我が歩兵は不可欠な支援を我々に与えてくれた。彼らは小さな部隊や方陣を組んで突撃に後方から追随し、敵の追撃を食い止めただけでなく、私が満足している彼らの支援と援助なくして我々はあれほどいい状態で引き上げられなかっただろうし、突撃時に得た捕虜の半数も保持できなかったことは確実だ[A. K. Clark Kennedy]」
Siborne "Waterloo Letters" p71
逃げ出した兵を背後に置き去りにした騎兵が前進した時に、小さなグループを作りながら彼らの後についていった歩兵がいたのである。英国歩兵部隊の中で踏みとどまった連中がそうやって前進したのだろう。英国歩兵部隊はまとまって行動していたのではなく、戦場の混乱の中で個別バラバラに対処していたのではなかろうか。
人間はどこへ行ってもそんなに変わるものではない。ベルギー兵が全て臆病で、英国兵は全て勇敢などということはないだろう。ベルギー兵が逃げ出すほど恐ろしい戦場で、英国兵が誰一人逃げ出さなかったとしたら、それはむしろ異常な事態だ。同じように恐怖を感じた人間は逃げ、一方で度胸が据わった連中もしくは開き直った者はとどまった。
きっとフランス軍側でも同じことが起きていただろう。連合軍の騎兵は、その大恐慌状態の中に飛び込んできたのだと想像する。
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