論文では
前回のHoffman 同様、まずは英国政府が集めた1人当たりの税額が紹介されている(Table 1)。面白いことに集めた税金のGDPに占める割合も示されており、時とともにこちらの比率も上昇している。財政=軍事国家の発展に伴い税金の絶対額が増えただけでなく相対的な負担も膨らんできたわけだ。これだけ見れば戦争は経済成長にマイナスの可能性がある。
しかしTable 2を見ると違った光景が見えてくる。こちらは税ではなく政府の負債に関するデータだが、これまた時間とともに負債に対する利払いが増えているにもかかわらず利回りはほとんど変化がなく、一方で民間部門によるネットの投資額は時とともに増えている。税や国債という形で政府がマネーを集めたために他の分野に回すマネーがそれだけ減る(クラウディングアウト)という事態がこの時期の英国で生じておらず、むしろ戦争に金をつぎ込みながらもなお成長分野への投資を増やす余地があったと解釈した方が妥当な数字になっている。
特に戦争中に英国経済に大きな変化があったことを示しているのがp71の表。まず1793年から1815年にそれ以前に比べて国際産品の輸出が大きく膨らみ、また輸送や保険といった関連の収入もこの時期に増えている。海上における英国の優勢がこうしたサービスを独占的に提供できる環境を作りだしたのだろう。こうした変化を経た後、英国が国外に持つ資産額は5000万ポンドに達した(p75)。要するに債権国としての地位を固めたのだ。
当時の英国の経済政策は
重商主義 だった。それはいわば経常収支の黒字最大化を狙うような政策で、必ずしも経済成長そのものを目標としていたわけではないのだろう。だが戦争という環境下における英国の重商主義は大成功を収め、それが産業革命につながったのではないかとこの文章では指摘している。戦争によるコストよりも戦争がもたらしたプラスの方が結果的には大きかったとの判断だ。
この論文で使用しているのは「価値の高い特許」と「軍事特許」それぞれのデータだ。前者は同時代の科学あるいは交易関連の文献内で引用されている頻度の高い特許で、後者は文字通り軍事技術と関連が高いと思われる特許である。調べた期間は1760~1830年で、戦争が行われた時期とそうでない時期に分けた場合、軍事特許は戦争と弱い相関を持っているという(Figure 1)。また多数の特許を出している人とそうでない人とに分けた分析もしている。
分析の結果はTable 1とTable 2に載っている。前者は全特許を、後者は多数の特許を出している人のみを対象とした分析で、価値の高い特許と軍事特許のそれぞれについて、期間を変えながら七年戦争、アメリカ独立戦争、フランス革命戦争、ナポレオン戦争、侵攻(英国が侵攻されるリスクがあった時期)などとの相関を調べている。
結論として筆者が指摘しているのは、戦時中の英国政府による軍事技術への需要、及び戦時の生産量増加がもたらしたより価値の高い技術の発展が、産業革命中に生じていた可能性だ。フランスとの戦争を通じて軍事特許は増加し、戦争が終わった後もその水準は変わらなかった。それ以前に比べて規模の大きい対仏戦争を戦ううえで英国政府は軍事的な発明により資金を投じるようになり、結果として新たな発明家が特許システムを使い続けるようになったという。
価値の高い特許も対仏戦争と戦争後の平和の時期と軌を一にしている。といっても対象期間のうち最初の頃は戦争と特許とはマイナスの相関を持っているのだが、ナポレオン戦争の時期になってより価値の高い特許が増えた。おそらくかつてないほどの規模の戦争がそうした発明への需要をもたらしたのだと筆者は推測している。また戦後も引き続き特許が増え続けているため、戦争が英国の特許(及びそれをもたらす発明的な行動)を恒久的に加速した可能性もある。もちろん戦争そのものが需要を増やしたのに発明家が反応した可能性もある。
こちらの分析はイノベーションを対象としているだけに、結果が正しいのであれば戦争が産業革命にもたらした影響を測るうえで重要な意味を持つ。私は経済成長をもたらす最大の要因はイノベーションだと思っているが、もしもそれが戦争によって生み出されたのであれば「戦争こそが経済成長をもたらす」という現代的な通念と逆の結論が導き出されかねない。その意味でなかなか刺激的な説だ。
本が焦点を当てているのは銃製造の中心地であったバーミンガム。ここは織物産業で勃興したマンチェスターより早くから銃産業が発展しており、分業の持つ重要性なども先行して理解され、実践されていた。また銃の製造は民間部門だけに基礎を置くものではなく、政府が供給の調整を行い、生産に介入し、時には支援を提供していた。兵器産業は戦争があるかないかで大きく需要が上下するリスキーな事業だが、それを緩和する役割を政府が担っていたのかもしれない。いわば18世紀版軍産複合体といったところか(筆者は軍産複合体ではなく軍産社会と呼んでいるが)。
ただしこういった産業関連について述べているのはこの本の3分の1にとどまるらしい。残りは銃の持つ社会的な意味と道徳的な意味に費やされているらしく、例えば前者については当初は英国内で銃は相手を脅すだけで実際に使用されることはほとんどない武器だったのが、フランスとの戦争を経て実際の使用が増えたという話や、また植民地では違う役目を背負わされていたという話が載っているらしい。例えば筆者が書いている
Guns and the British empire ではインドにおける事例が紹介されている。
それを見ると英国でいかに織物産業が重要だったかがよくわかる。17世紀頃には比率は4割強だったが1700~1740年には55%強、1740~1770年にはさらに増えて65%弱まで膨らんでおり、特に産業革命の初期(18世紀後半)には圧倒的に織物が英国経済の中心だったことが分かる。逆に銃の製造と関連する金属産業の比率は18世紀を通じてむしろ低下しており、つまり政府が支援した銃産業そのものが産業革命の中で重要な役割を果たしたとは言い難いわけだ。
とはいえ最初に紹介した書評によれば、Satiaは別に銃産業が産業革命を前進させたとも、あるいは石炭と綿織物産業の拡大が重要でないとも述べてはいないそうだ(p2)。戦争と産業革命の関係を見るうえで、少なくとも軍需産業こそが産業革命を引っ張った主役だと主張するのは無理がある、ということかもしれない。
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