軍事革命と産業革命 1

 産業革命が18世紀の英国で起きた理由については色々なことが言われている。もちろん単純に1つの原因から産業革命が始まったと考える必要はまったくないし、実際に英語wikipediaでは産業革命を容易にした要因として高レベルの農業生産、組織運営や起業関連のスキルをもつ人材プール、原材料や製品の輸送に役立つインフラ、石炭などの天然資源、政治的安定性とビジネスに適した法制度、そして投資に使われる金融資本の6種類を掲げている。様々な要因が絡んで産業革命が始まったのは確かだ。
 ただ、その中であまり産業革命を促進した要因として取り上げられることがないのが、戦争やそれに関連した分野。これは現代的に考えれば特に不思議のない指摘で、戦争は入り口では多大な需要を生み出すものの出口においては生産的な活動にはつながらず、むしろインフラ破壊などを通じて経済活動にマイナスの影響を及ぼすと考えられているからだ。そもそも戦争活動自体、収支を見ると大幅赤字だと言われており、むしろ戦争なんかしない方が経済にはプラスと考えたくなるのは当然だろう。
 ただし実際に産業革命が始まった18世紀の英国は、100年にわたってフランスと繰り返し戦争を行っていた。本当に戦争が産業革命に伴う経済成長にとってマイナスなら、英国は決して条件のいい国家ではなかったはずだ。ということもあってか、最近はむしろ戦争と産業革命の関係について議論する研究者が次第に増えてきているらしい。例えば前に紹介したHoffmanのように、英国は戦争は行っていても戦渦に巻き込まれていなかったためにマイナスが少なかったという説明もある。
 とはいえそうした見解はまだ少数派のようだし、さらに踏み込んで産業革命と軍事革命の関係まで踏み込んで調べている人は少なそう。そもそも軍事技術についてはむしろ産業革命が要因となって主に19世紀半ば以降に軍事技術を発展させたという指摘(The Dynamics of Military Revolution, 1300-2050, p9-10)の方がよく見かけるといってもいいんじゃないかと思うくらいだ。実際、産業革命の影響が出てくる前まで軍事技術の進展が鈍っていたのは否定できない(From the Military Revolution to the Industrial Revolution)。
 そこでこれから何回かに分け、戦争と産業革命との関係について言及した文献をいくつか紹介していく。少数派の見解ではあるが、それにどのくらいの説得力があるかを見ておくのも意味はあるだろう。それに後に紹介するが、同時代人たちは結構軍事力と経済との間に密接な関係があると見ていた節がある。そう考えると現代的な視点では違和感のある指摘にも一定の説得力が存在するかもしれない。

 まずは上にも紹介したHoffmanの他の文章をいくつか見ていこう。彼の基本的なスタンスは産業革命以前から兵器の製造分野でかなり高い経済成長が成し遂げられていたという内容で、産業革命と戦争の関係を直接調べるものではないが、産業革命以前の経済状況などに関する分析を色々と行っているだけに参考になる面もあるだろう。
 例えばWhy Was It Europeans Who Conquered the World?ではアブストの最後に火薬技術の発展における西欧の優勢が結果として植民地、奴隷貿易、果ては産業革命という結果をもたらしたとまで書いており、彼が戦争関連の技術と産業革命との間につながりを想定していることが改めて示されている。ただこの文中では具体的なその論拠は示しておらず、産業革命前から欧州ではLearning by Doingを通じてイノベーションが行われていたと記しているのみだ。
 それでも参考になる情報はあり、例えば遊牧民以外との戦争は中国と比べて欧州勢の方が圧倒的に頻度が高かったこと(Table 2)が示されているし、そうした実践が軍事技術分野におけるイノベーションを促進したのだろう。また中国と英仏における1人当たりの税額の比較も載っている(Table 3)が、中国の方が英仏に比べて数字が1~2桁少ない。中国の方が税負担が少なかったのか、あるいは庶民の税負担は大きかったが途中で大半が中抜きされていたのかは不明だが、中央政府の視点から見ると欧州勢の方が効率のいい国家を作り上げていたのは確かだろう。
 似たようなタイトルだがWhy was it that Europeans conquered the rest of the world? The politics and economics of Europe’s comparative advantage in violenceの中で、彼は前にも紹介したナポレオン戦争後の平和によって大陸諸国が英国に続く工業化を成し遂げたのではないかとの見方を示している(p16)。取り上げられているデータは上に紹介したものとほとんど同じで、追加として戦争に負けても地位を追われた君主は(18世紀までは)少なかったことを示すデータがあるくらいだ(Table 2)。
 要するにHoffmanが力を入れて説明しようとしているのは彼の言うトーナメント・モデルについてであり、それが産業革命にどうつながるかについての分析はほとんどない。ただ彼が示したデータは非常に参考になるもので、それこそ1人当たりの税額などは他の産業革命研究者の中でも言及する人がいたりする。その意味では目を通しておいて損はないだろう。

 続いて紹介するのが産業革命の淵源に海軍の強化があるという説。こちらは2006年にNicholas KyriazisがSeapower and Socioeconomic Changeの中で唱えたらしいのだが、有料なため詳細な中身は分からない。それでもアブストを読むと、軍事革命において海軍国のルートを選んだところは「広範な利害の同盟を必要とするため、より民主的な体制、より効果的で複雑な形態を取る新たな組織の発展、新たな知識や専門技能の取得と普及がもたらされ、それによって制度の変化と経済成長がもたらされる」と主張しているらしい。海軍国ルートという限定条件付きではあるが軍事革命が経済成長につながるという見解は、少なくともこの時期には指摘されていたわけだ。
 同じ見解を含め、軍事革命と産業革命の関係性について色々と紹介しているのがDaniel SokのAn Assessment of the Military Revolution。まず最初に出てくるのは海軍国というより軍事革命で兵数を増やした欧州諸国全般に関する指摘で、戦争用の資金調達の必要性から借り入れや金融市場が生まれ、また軍需物資の需要増加は衣服の製造、金属加工、農業といったいくつかの産業分野が工業化への道を歩むのを助けたとしている(p34)。政府は必要な産業に対する補助金も出し、産業の育成自体にも取り組んだ。
 英国が海軍を作るにあたってまず商船団の構築から取り組んだことはこちらでも紹介済みだが、海軍の建造とメンテナンスは英国でも最大の産業となり、雇用主となった(p36)。英国政府は帆布や鉄・銅などの加工業者に対してやはり補助金を提供し、これまた産業育成を図ったという。そうした取り組みが産業革命期における英国の権勢をもたらす基礎になった、という理屈だ。
 オランダでも同じことが起きており、造船や木材製造、食糧生産、帆やロープの製造といった船にかかわる様々な分野の仕事が軍事目的に転用された。そうやって海上での優勢を確保したオランダは交易の発展とそれに伴う銀行機能の向上を達成し、それがレンガの製造、織物、石鹸製造、さらには印刷業に至るまで、多くの産業の発展につながった(p38)。そしてここでもこのプロト工業化が後の産業革命の基礎になったと解釈している。
 ただしHoffmanやSokによる分析はあくまで軍事革命をベースに置き、それが産業革命に一定の促進効果を持っていたと主張するものであって、産業革命そのものを調べてその淵源に戦争なり軍事革命成りがあると指摘するものではない。論拠としては決して強くはないし、可能性はあっても具体的にどのような経路を伝って産業革命を支えたのかは明確ではない。
 そもそも産業革命という言葉が既に1830年代にはフランスでそれなりに知られるようになっていたのに対し、軍事革命という言葉が歴史学の世界で語られ始めたのは20世紀の後半に入ってからだし、議論がより広まったのは20世紀も末に近づいた時期。それに軍事革命論の世界ではこの仮説自体がどこまで妥当かという議論が中心となっており、他の革命とどうつながるかについての分析はまだこれからの課題という印象が強い。実際、次に取り上げる話からは軍事革命と産業革命というより「戦争と産業革命」という切り口が中心になる。
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