損害推計モデル

 以前、「戦争の最中に出てくる数字は実名匿名問わず軒並み疑うくらいでいいんじゃないか」と書いたことがある。戦争当事者の発言はそもそも当てにならないし、第三者は当事者でない分だけ必要な情報を持っていない可能性がある。現代ではOSINTという手法があるものの、こちらは正確さはともかくタイミングが遅れたり部分的でしかないといった問題がある。匿名サイトは問題外だ。使えそうもない数字をいくらいじくりまわしても意味はないと思われる。
 ところが世の中には戦争中に公表された様々な数字から実際に損害を推計するという無謀な挑戦を行っている研究者もいた。ノースカロライナ大学の研究者たちで、彼らがPNASに掲載したのがEstimating conflict losses and reporting biasesという文章だ。査読付き論文ではないが、それにしてもなかなかの蛮勇といえる取り組みである。面白いので紹介しよう。

 アブストの後に出てくるのは、いかに公表される数字が当てにならないかを示す一例。2022年9月にショイグが発表したロシア側の戦死者は5937人だったのに、ウクライナ国防相が報告したロシアの戦死者は5万5510人となっており、文字取り「桁違い」の差がついている。クラウゼヴィッツ曰く、「双方の損害報告は決して正確ではなく、正直なこともめったになく、多くの場合は故意に偽造されている」。だからそれらは軒並み疑うくらいがいいのだが、一方で統計的なモデルは戦争の役に立つことも事実で、例えば第二次大戦中、米軍は奪取したドイツの戦車のシリアルナンバーからその生産能力をかなり正確に推測していたという。
 ではどうするか。私がやってみたのはまだ信頼度が高そうなデータを使ってみるというやり方だが、そうではなくこの研究者たちがやったのは大量のデータを集めてそれらにどのようなバイアスがかかっているかをモデルを使って推計するという方法。集めたデータは実に4609種類にも及び、内訳はOSINTが169、ロシアのものが247、英国が32、ウクライナが3858、国連が78、米国が71、その他154種類となるそうだ。個別のデータが信用できなくても数の暴力で乗り切ろうという、力づくなやり方である。
 彼らが推計したデータの一覧はTable 1に載っている。対空システムや装甲車両、砲兵、市民の損害、ヘリコプター、航空機、軍の損害、多連装ミサイル、戦車、UAVといったあたりで、特にOSINTに高い信用度を置いてモデルを構築したらしい。それによると開戦から1年間のロシア側の死者数は7万6687人(95%信頼区間は3万8670~13万9772人)、ウクライナは1万7223人(同6219~3万9105人)になったという。ロシア側の死者はウクライナの4~5倍に達している計算だ。損害全体と死者数の比率はロシアが2.9対1、ウクライナが4.9対1で、ロシアの方が死亡する度合いが高い。西側でこれまで報じられてきた内容とおよそ歩調を合わせた推計値になっている。
 Fig. 1は開戦から1年間に両軍が被った戦死者と戦車の損失がどのように推移したかをグラフにしている。灰色の部分は95%信頼区間であり、それを見ると両軍の戦死者とロシアの戦車喪失数に比べ、ウクライナの戦車喪失数はかなり信頼区間が広い(データが少ない)ことが見て取れる。実は戦車の喪失は両軍ともあまり推測値が変わらず、ロシア3380両(1704~6178両)に対してウクライナも2051両(385~5946両)と結構な損耗を被っている。
 しかしこうした装備類に比べ、戦闘員の損失についてはかなりの差が生じている。負傷者まで含めた損害トータルだとロシア軍が1年で21万8800人を記録したのに対し、ウクライナ側は7万5538人とその3分の1ほどにとどまっている。キルレシオはさらに一方的で、ロシアの戦死者5.53人に対してウクライナが1人という計算(95%信頼区間によると1.6対1~14.5対1)になる。おそらくロシア兵の装備がより貧弱なのと非効率な兵站が彼らの高い人命コストにつながっているのだと研究者らは指摘している。
 さらに面白いのは、各ソースがどれだけバイアスのかかった情報を出しているかの推計もできてしまう点だ。それによるとロシアは自分たちの損害1人を0.3人(0.1~0.5人)と過少に報告する一方、ウクライナの損害については実に4.3倍に膨らませていることになる。一方、ウクライナもロシア側の損害をおよそ2倍にして計算しているが、驚いたことに彼らは自分たちの損害についてはほとんどバイアスなしで伝えている(95%信頼区間で1.0対1~3.4対1)。こうしたバイアスは実は第三者である米国にも存在しており、彼らはロシアの損害を最小化する一方、非戦闘員への暴力についても過小に報告しているそうだ。
 文章の中身をもう少し一般向けにまとめたのが、欧州政治研究共同体(ECPR)という学術団体のblogに載っていたEstimating troop losses on both sides in the Russia-Ukraine war。中でも興味深いのが途中に載っているバイアス度合いを示したグラフだ。色が赤いほど過大、青いほど過小に数字を出すバイアスがあり、ロシアのソースは自軍の損害をかなり小さく、ウクライナの損害を過大に出している様子がはっきりわかる。一番予想外なのはウクライナが自軍の戦車についてむしろ過大に報告しているという推計結果が出てきたところだ。
 文章の最期には、プーチンがウルトラナショナリストから戦争継続と拡大の圧力を受けている一方で、彼らの損害がウクライナに比べて異様に多いことを指摘。クレムリン内部にいる交渉支持派はロシア軍の装備面での問題と実際の損失を知っているのではないかとの推測を述べている。そのうえで戦争の2度目の冬を迎えつつあるプーチンは、自らの選択を考え直して和平計画へと動き出す必要があると記している。不正確な戦争についての報告は大衆の支持を鼓舞することはできても、長期的な戦略としては非効率的である、というのがこの文章の締めくくりだ。

 この分析が、私やTurchinがやった雑な計算よりずっとまともなものであることは確かだろう。もちろん個人blogに載せたざっくりとした計算と、査読対象ではないとはいえ米科学アカデミー紀要に掲載された文書とでは精度が全然違うのは当たり前。当然、まともに読む価値があるのが後者であることは疑いない。
 ただし戦争も2年目に入り、夏以降はウクライナが攻勢に出ているために、この損害数字が昨年と同じ比率で継続している可能性はほとんどないだろう。実際、米国の推測値として8月中旬にウクライナの戦死者7万人、負傷者が10万~12万人という数字が出ている。これは最初の1年に比べて死者数が異様に高く、比率は2.4対1~2.7対1になっている(ロシアは2.4対1~2.5対1)。これと上の推計値を比較するなら、戦争2年目の最初の半年でウクライナは5万3000人弱、ロシアは4万3000人強を失った計算で、つまり攻勢に出たウクライナがかなり戦死者を積み上げている可能性があるわけだ。
 その後の動向がどうなっているかはよくわからない。ウクライナ国防省の数字ではロシアの戦死者は27万人を超えており、研究者が指摘するようにこれが実態のおよそ倍にまで膨らまされた数字だとするのなら、足元でロシア側の戦死者は13万5000人を超える計算だ。1ヶ月で1万5000人分の死者が追加されたことになるが、ウクライナ側についてはバイアスのかかった数字ですら見当たらず、従って結論は出せない。それでも現時点で2年目はまだウクライナ側の方が戦死者が多い可能性はある。攻勢が始まって以降、ウクライナの損害が増えているという報道が西側でも増えてきたあたり、こうした推計値と整合性が取れていると言える。
 もちろん米国の推計値をどこまで信じるかという問題もある。米軍が推計したウクライナの戦死者数としては今年5月時点で2万人という数字があった。これは今回紹介した研究における2月末の推計値(1万7223人)からそれほど増えていないため過小にも思えるが、ウクライナの反攻開始が6月だったことを踏まえるならあり得なくはない数字にも見える。一方ロシア側の損害については昨年7月に戦死1万5000人という数字を出しているが、上に紹介した研究のグラフを(あくまで目分量で)見ると実際にはこの時期のロシア軍の戦死者は2万人ほどと推測される。私自身は今回の戦争について米国の情報を一番信じているが、細かいところまで全面的に信じられるかどうかはわからないわけだ。
 いずれにせよ戦争の数字については、やはりどうしても信頼度に欠けてしまうものが多くなるのは仕方ないのだろう。今回の研究はなかなか面白い取り組みだと思うが、そもそもこの推計値が正しいかどうかはおそらく戦後になるまで(下手したら永久に)わからない。新しい試みとしては評価に値するが、その正確さについては態度を留保しておくのが正しいのだと思う。

 そしてアゼルバイジャンとアルメニアの戦争が再び始まったようだ。旧ロシア帝国の長い解体トレンドはまだ続いているらしい。
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