荷役用の人間

 面白い切り口の文章を見つけた。The History of the Soldier’s Loadというやつで、Australian Army Journalの2010年に出版された号に掲載された記事である。古代から現代にまで至るそれぞれの時代に兵士たちが持ち運んでいた荷物の重さについて取り上げたもので、こういう観点から歴史を調べた文章はこれまで見たことがなかったため、とても興味深く読んだ。
 調べているのは「マスケット以前」「マスケット銃兵」「世界大戦」「現代の紛争」それぞれで兵士が運んだ荷物の重さだ。ただしあくまで「乾燥重量」だそうで、例えば第一次大戦における英軍のコートは乾燥時は3.2キロ、水を吸うと9キロになったそうだし、第二次大戦の米軍のオーバーコートも水を含むと3.6キロは重さが増した。またこの数字は平均値であり、特定の任務を負った兵士、例えば機関銃兵や信号係などは普通のライフル銃兵に比べればずっと思い荷を持っていた。
 具体的な分析は、まず紀元前7世紀のアッシリア帝国に遡る。サルゴン2世時代のアッシリア兵は鉄製のスケイルアーマー、兜、ブーツ、盾、剣、槍などを持っており、その重量は27.5キロから36.5キロに達したと見られている。おそらく現代の学者による推計値だろうが、当時の武装はある程度は同時代のレリーフから推測できることを考えれば、それなりに論拠のある数字なんだろう。
 古代ギリシャの重装歩兵が持っていたのは22.5キロから32キロの重量であり、当時の彼らの体重が多くても68キロほどだったと考えるなら、当時の兵士は体重の33~47%ほどの荷物を持って移動していたことになる。彼らにとって特に厄介だったのは6~8キロもした盾で、戦場から逃げ出す時にはこれを捨てる兵が多かったようだ。アレクサンドロス率いるマケドニア兵は戦闘用装備22.5キロに10日分の食糧として13.5キロの穀物を背負わされていたようで、この文章では彼らを「荷役用の動物」と呼んでいる。彼らはこれだけの荷物を持ちながらも戦えるよう、訓練では荷物を持ち、時速8キロで1日あたり55~64キロを行軍させられていたそうだ。
 紀元前100年のローマ軍は兵50人あたり1頭のラバを与えて荷物を減らしたそうだが、ラバに113.5キロの荷を持たせても兵1人当たりの荷物は2.5キロほどしか軽くならない計算だ。実際にはラバには兵士用以外の荷物を持たせた可能性もあり、結果としてローマ歩兵は「マリウスのラバ」と呼ばれたそうだ。ローマ兵が運んでいた荷物の重さについては色々な説があるが、ラバなどを使っても36.5キロほどには達していたもよう。当時の平均体重が66キロだと考えた場合、彼らは体重の55%に達する荷を運んだことになる。
 ビザンツ帝国の兵士が持ち運んだのは19.5キロから36.5キロ。ただしこの時代になると歩兵は脇役に退く。中世末期から近代初期になると再び歩兵の時代が戻り、イングランド内戦での兵士は重さ11キロもあるコルセットアーマーなどを含め、この時代のパイク兵は少なくとも29.5キロの荷物を持ち運んでいたという。
 白兵戦武器が姿を消し、歩兵がすべて銃兵となったマスケットの時代、英兵の運ぶ荷物はアメリカ独立戦争時で36.5キロ、ナポレオン戦争では22.5キロから36.5キロ、うちワーテルロー戦役では27.5キロから32キロほどだったという。彼らと戦ったフランス兵はフランス革命戦争からナポレオン戦争にかけて27.5キロとちょっと軽い重量を背負っており、ワーテルロー戦役だけなら25キロだったという。一方で彼らがかなり豪快な強行軍をしていたのはよく知られている。
 クリミア戦争期の英軍は26~31キロ、フランス軍は33~36.5キロと、今度はむしろフランスの方が高くなっていた。南北戦争における北軍の荷物は20.5~22.5キロと、これまで紹介してきた中ではかなり軽めに見える。だが実際にはこれに追加した荷物もあったようで、ある部隊の場合は銃も含めて27.5キロには達していた。南軍の荷物は13.5~36.5キロとかなり幅があるが、北軍に比べて規律の緩かった南軍では軽い荷物しか持たなかった兵士が多かったようだ。北軍では体重の22~59%、南軍は33~44%の荷物を持っていたことになる。
 第一次大戦中のドイツ兵は32キロ前後、フランス兵は38.5キロの荷を運んでいた。一部のフランス外国人部隊は45.5キロもの荷を背負っていた。米兵は22~32キロ(体重の34~50%)を運んでおり、英兵の荷物は当初は20.5~27キロだったが、すぐにその数字は30~40キロ(体重の50~57.5%)になった。オーストラリア兵は33.5キロ、カナダ兵は30~36キロという数字があり、別の戦場だとオーストラリア兵が持っていたのは27~28.5キロとされる。
 第二次大戦のノルマンディー上陸で米兵が背負っていたのは27.5~41キロ、体重の41.6~62.5%だった。東部戦線のロシア兵は28~35.5キロを持ち、オーストラリア兵はアフリカ戦線で22~32キロ、パプアニューギニアで20.5~41キロ、ボルネオで37.5キロといった荷物を持たされた。ビルマで戦った英兵は32~41キロだったのに対し、日本兵は28~56キロの荷物を背負っていた。日本兵の場合、体重の52%から多いと実に105%の荷を持っていた計算になる。
 モントゴメリーによればカナダ兵の戦闘能力に影響を及ぼさない荷物は最大22.5キロ(体重の31%)だったという。そして実際に朝鮮戦争においてカナダ兵はまさに22.5キロの荷を背負って戦場に向かった。一方米兵の荷物は最初の18キロからすぐ22.5キロに増え、さらに増えていって37.5キロに達した。ある戦場では兵士が背負わされた荷が実に54.5キロに達したという。韓国軍も36.5キロを背負っていたが、北朝鮮軍と中国軍は18.5キロほどに荷物を抑制していたために米軍よりも早く移動できたが、それでも一部の部隊は27.5~32キロの荷を持たされていた。
 ベトナム戦争になっても荷物は減らなかった。米兵は通常27.5~32キロの荷を背負っていたが、海兵隊は通常は36.5~45.5キロを持っていたという。オーストラリア兵は32~32.5キロ、一部の部隊は36.5~54キロを持ち、また別の部隊ではライフル銃兵が30~40キロ、通信兵になると47.5~56キロもの荷物を運ばなければならなかったという。一方ベトコンは地元の利を生かし、たったの12キロの荷で行動していたという。
 フォークランドでは英海兵隊が戦闘時に32~36.5キロ、行軍時には45.5~54.5キロを背負っていた。一部の部隊は54.5~66キロもの荷物を持って129キロも行軍したという。グレナダの米兵は54.5キロの荷物を持ち、レンジャー部隊に至っては実に76キロもの荷を背負った。ソマリアの作戦では49.5キロほど(体重の70%)の荷を米兵は運んでいた。東ティモールのオーストラリア兵は45キロから一部の兵は50キロを持ち、湾岸戦争の米兵は45.5~54.5キロを運んだ。
 この文章で取り上げている最新のデータはアフガニスタンでの荷物だ。米第82空挺師団はこの作戦において、戦闘時は29キロ、接近行軍時は43.5キロ、緊急接近行軍時には57.5キロを背負って移動した。それぞれ体重の36%、55%、そして73%に相当する。
 これらのデータをすべてまとめたのがFigure 1だ。2000年を超える長い時間を扱っている割に、その大半の期間において荷物の重さが大体似たり寄ったり(20~40キロの範囲)であることが分かる。ところが1980年以降になってこの位置が右側にずれ込み、兵士たちは40~60キロの荷を持たされるのが当たり前になりつつある。おそらくこの背景には最近になって兵士の体格がよくなっていることがあるのだろう。ローマ時代とアフガニスタンの兵士は、それぞれ体重の55%に相当する荷物を運んでいる。
 古代におけるラバなどの動物があまり兵の荷物を減らさなかったこと、また現代の兵士は常にこれだけの荷を運び続けているわけではないことなど、データを見る際には注意すべき点もある。それでも体重比で見た際に今の兵士も昔の兵士も似たような荷物を背負わされているのは同じだ。筆者は結論のところで、輸送手段や装備の変化も兵士の荷物という長年にわたる問題の解決策ではなく、もっと別のところにその答えがあるのだろうと記している。

 個別の数字の面白さがこの文章の中核だが、それを踏まえたうえで兵士への負荷が2000年以上にわたっておよそ変わっていないという点は興味深い。多くて体重の半分強という荷物はおそらく兵士が一定の軍事的機能を果たせる上限付近であり、そこまでは身を守ったり敵を攻撃するための装備をとにかく持たせることが歴史上常に重要視されてきた、と考えたくなるところだ。とはいえ戦争の形態がこれだけ変化した期間に、一方でここまで変わらないものが存在していたのは面白い。となるとおそらく将来も、戦争がなくならない限り兵士たちは「荷役用の動物」としての役割を期待され続けるのだろう。
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