時代の空気と学問

 後知恵で歴史を見てはならないという内容の話をこれまでもいくつか紹介してきたが、実際にはなかなかできないことである。そもそも過去の歴史について書かれた本であっても、「何がその時の話題になるか」はその時代ごとの空気とか流行の影響から免れられない、という話をしてみよう。なお今回はほとんど思い付き。
 以前マルクスの本を紹介した時にもちょっと言及したが、彼の主張が19世紀に「ウケた」のは近代的な資本主義国である英国が必ず最後に勝つと主張し、そうした流れが実現したからではないかと思われる。あるいはヴェーバーが1904~05年に記した「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が広く受け入れられたのも、ちょうどその時期に西欧のプロテスタント諸国が帝国主義の頂点に君臨していたからかもしれない
 で、そうした流れは最近になっても続いているんじゃないかと個人的に思っている。一例がダイアモンドの記した「銃・病原菌・鉄」と、アセモグルとロビンソンの著作である「なぜ国家は衰退するのか」の関係だ。1997年に出版されたダイアモンドの本は一世を風靡し、環境が歴史の流れを決めるという環境決定主義的な見方が広まったのだが、2012年に制度のみが重要だとするアセモグルらの本が出ると今度は世の中が一気にそちらへと流れていった。
 ほんの15年程度でここまで流れが変わった理由は何かと考えると、背景にはまさにその時代の空気があったように思われる。1990年代といえばソ連が崩壊し、中国が改革開放を加速した時期であり、世界は平和の配当を期待してユーフォリアに酔っていた時代だ。戦後ずっと大きな課題と人々が認識していた「東西問題」がまるで解決したかのように見えていたわけで、そちらに焦点を当てた論説はあまり流行らなくなっていた可能性がある。代わりに残された問題として関心を集めたのが「南北問題」だったのではなかろうか。
 南北問題を調べれば、そりゃどうしても環境に目が向く。緯度が変われば環境も大きく変わるため、緯度が違うと農業が広まりにくくなり、それが大陸ごとの格差につながったとの見方をダイアモンドは示している。こちらで紹介した説では低緯度で生産されることの多いイモ類と中緯度の穀物とで国家の起源となるインパクトが違っていたという話をしている。なぜ北と南の間に格差が生じたのかを調べると、気候やそれに基づく生物相との相関を見つけるのは難しくない。環境決定主義に見えても「実際に環境の違いが北と南の差と相関しているじゃないか」と反論するのが容易なわけだ。
 ところが2007年のリーマン・ショック後になって空気が変わった。当時の中国は確かにいったん成長率が鈍化したものの、引き続き高い成長率を維持。2010年には日本を抜いて世界2位へと躍進した。かつてバブル期の米国は経済的には日本を警戒していたが、この時点で警戒すべき相手は中国に変わったと言える。習近平が胡錦濤の後継者の地位を固めたのもこの2010年である。
 そして2007年はプーチンがミュンヘン安全保障政策会議でおおっぴらに西側にけんかを売るような演説をした年でもある。2008年にはロシアは南オセチアに軍事介入を行い、NATOとの対決姿勢も強め始めるなど、ソ連崩壊後に続いていたかに見える東西融和の流れが、この頃から明らかにスタックし始めていた。決定的に両者の関係が壊れたのは2014年のクリミア併合になるが、アセモグルらが制度重視の本を出版したのはその2年前の2012年だった。
 環境決定論者の説明だと南北間の格差は説明できるが、東西間の対立を説明するのは難しい。中国もロシアも西欧や米国と同じ中緯度地方の国であり、環境面で大きな違いがあるわけではない。一方、制度決定論者にとっては東西対決は説明しやすいテーマだ。かつてのような共産主義と資本主義という分類はもう通用しないが、代わりに権威主義と民主主義という軸を持ってくることで、なぜ東西の違いが生じているかを説明できるのが利点。加えて制度決定論ならグローバルサウスについても権威主義的制度を採用しているから経済成長面で苦戦しているという理屈を持ち出すことが可能だ。
 もちろん実際には環境か制度かという問題をゼロか1かで論じることはできない。こちらで紹介したように、実際には両方の影響があると考える方が妥当だと思う。でも個別の研究者にとっては極論を唱える方が目立つし、それが時代の空気や流行(あくまで欧米の、だが)と合っていれば広くもてはやされるケースもある。個々の研究者は昔から一貫した視点で分析していても、それが話題になるのは時代背景と平仄が合っている時であり、その時代を生きている人々にとって「腑に落ちる」内容だからこそと考えられる。要するに時代が流行の学説を決めている、可能性があるのだ。
 もちろんこの話はかなり思いつきの要素が強く、どこまで正確かと言われるとちょっと困る。それでも学説を見るときにそれが時代の「追い風」にどのくらい後押しされているかについては注意を払った方がよさそうだ。そのときそのときはもっともらしく見える学説でも、時間を置いて自分たちを取り巻く環境が変わった段階で見ると、時には全く違う景色が見えるかもしれないという点は、頭の片隅にとどめておきたい。

 ……ということを前提にした場合、最近(またもや)話題になっている社会学問題というか社会学者問題も、少し離れた場所から冷静に見られるような気がする。いやもちろん、覆面査読を真正面から否定する人を研究者と呼んでいいのかどうかを現代人が疑問視するのは不思議ではない。でも叩かれている学者の中には今や高齢な人が多く、そういう人たちは若いころの時代の空気や流行の中で売れっ子になっていった人たちであることを踏まえるなら、時代が変わった段階でその主張内容の説得力が乏しく見えるのはある意味、想定通りな気がする。
 それに査読というシステム自体、決して科学の歴史において昔から当たり前の存在だったわけではないようだ。こちらによれば、現代的な査読は19世紀にゆっくりと広まっていたが、決して一般的になったとは言えず、例えばアインシュタインは1936年に自分の論文が査読に回されると聞いて「信じられないほど腹を立て」、原稿を自ら取り下げたそうだ。査読が本当に一般化していったのは第二次大戦後で、それも一気呵成にではなくかなり時間をかけて拡大した。サイエンス誌が外部の査読者を使い始めたのは1950年代から60年代、ネイチャー誌は1973年、ランセット誌は1976年のことで、1990年代の半ばになってようやく「査読はほぼ一般的になった」。
 加えて査読を通ったからと言って、それが果たして信用に値する業績なのかどうかは必ずしも定かではない。つい最近もそういう事例があった。これまた、その時代の空気や流行に歩調を合わせた、というか媚びを売った研究なら、低いハードルで論文を掲載してもらえることを示している一例に思える。査読というシステムがあっても時代の空気や流行の影響が出てくるのだとすれば、査読軽視を批判するのはいいとしても、査読をあまり高く評価するのも控えた方がよさそうだ。
 結局のところ学問とか研究というものは、長い時間を経過しないと正当な評価はなかなか難しいのだと思う。時間が経過すれば、それが役に立つか否かはある程度見えてくる。少なくとも占星術レベルのものは「学問分野」としては排除されるだろう。研究とか論文というものに対しても、そのくらいの冷めた目で見ておいた方が安全な気がする。
 もちろん、今の社会学者批判はもっと低レベルな部分が問題にされているのだと言われれば、頷かざるを得ない。何しろ社会学全体で見ても、学生や助手に比べ教授の論文発表率の方が低すぎるといった点が批判されているわけで、つまるところ学問分野全体が世の中の流れに合わせてアップデートするのを怠ってきたと思われる。だとすると問題は個別の社会学者ではなく、やはり社会学そのものにあると見られても仕方ないだろう。さらにそれ以前の問題として、ツイッターを主戦場としているような「学者」をそもそも信用するのが間違いと言ってしまえばそれまで。SNSに大喜利以外の機能を期待する方が間違いだ。
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