中世の大砲性能

 中世末期の東欧における大砲の性能について文章記録から調べた論文があったので紹介しておこう。Characteristics of Medieval Artillery in the Light of Written Sources from Bohemia and Polandというヤツがそれで、主に15世紀から16世紀初頭にかけての文献にある記述を紹介している。ただし興味深いのは実は大砲よりも大砲とトレビュシェットを一緒に使った事例が紹介されている点の方かもしれない。
 まずはフス戦争関連、1420年に行なわれたフラッチャニ城の攻囲だ。ブレゾヴァのヴァヴリネツの記録によるとターボル派はこの城に対して投石機(おそらくカウンターウェイト・トレビュシェット)で攻撃を仕掛けたが、防衛側が大砲を撃ち出してこの投石機を破壊したという話が伝わっている(p21)。考古学的な調査によると少し前の14世紀の投石機は基部のサイズが5.1×2.6メートル(およそ13平方メートル)だそうで、それに命中させたという意味ではそれなりの精度を出す場面もあったのだろう。
 同年のヴィシェフラド攻囲でもトレビュシェットが使われ、同じように防衛側の砲兵の反撃によって破壊されている(p13)。1422年から行われたカルルシュテイン城の攻囲戦でもまたトレビュシェットは利用されており、そこでは932発の石弾が投じられたほか、822樽分の動物の死骸が城内に放り込まれた。そして同じく何種類かの大砲も使われていた(1日当たり7発とか30発くらいしか砲撃しなかったようだが)。
 カルルシュテイン攻囲についてはFig. 1に地図も載っている。現代の地図で確認すると分かるのだが、城に近い北方の丘で270メートルほど、遠い南方の丘で500メートルほど離れた位置に攻城兵器が配置されていたようだ。数で言えば小型の野戦砲が大半を占めているが、それ以外にも大型のボンバルドが5門、そしてトレビュシェットが5基あったかのように記されている。この地図がどこまで正確なのかは分からないが、当時の攻囲戦の距離感を示す一例なんだろう。他にもボヘミアではモスト攻囲戦、ベヒニェ攻囲戦といった例でトレビュシェットと大砲の両方が使われていた(p23)。
 それより以前、ボヘミアではなくドイツ騎士団領ではマリーンブルク(マルボルク)の攻囲戦が1410年に行なわれた。ポーランド国王が率いたこの攻撃に関するドイツ騎士団長の報告には、大砲と投石機などによって攻撃を受けたと記されている(p26)。論文中ではこの戦いで攻撃側が大砲を配置したと思われる場所を推測している(Fig. 4)が、現代の地図で確認すると比較的距離のある川の対岸からでも城の中心部まで300メートル未満にとどまっており、近い所だとおよそ50メートルの距離から砲撃して塔を破壊したそうだ(p25)。これまた当時の攻囲戦における距離感を窺わせるものだ。
 他には1426年のポジェブラディ攻囲でもやはりトレビュシェットと大砲が使われていたことが記されている(p27)。大半はフス戦争関連だが、要するに15世紀前半の時点でこの両方の兵器を同時に使う事例は東欧ではありふれていたわけだ。以前ジャンヌ・ダルクの時代にトレビュシェットが使われていたかどうかについて書いたことがあるが、ボヘミアやポーランドの事例を見てもこの両方が一緒に使われる場面はさして珍しくなかったと思われる。

 論文の本題に入ると、当時の大砲の正確性に関する結論は「雇われた専門家の能力と経験次第」となっている。何しろ当時の大砲は有効射程も射撃頻度も低く、投資に見合う結果を達成するのは決して簡単ではなかった。そのためしばしば攻囲された拠点は抵抗に成功することができたし、攻囲側が勝利するのはより小さな守備隊しか持たない小さな拠点の場合が多かった。
 射程距離やその有効性について知るうえでは、1428年に行なわれたベヒニェの攻囲が参考になる。実はこの時に攻囲側が使ったであろう砲撃陣地に関する考古学的遺構が発掘されており、そこから当時の大砲の距離感が分かるのである(Fig. 2とFig. 3)。城の南方、小さな川を挟んだ対岸に築かれたこの砲撃陣地から城の中心部までの距離は250メートル。上に紹介したカルルシュテインよりは近く、マリーンブルクの距離感とはあまり変わらない。カルルシュテインでは攻囲側が失敗し、ベヒニェでは成功したのを見ても、この250メートルといった距離になれば当時の攻城兵器も効果を発揮できるようになったんだろう。
 論文では射程について、野戦砲やテラス・ガンなら有効射程200メートル、大きなボンバルドなら500メートルという距離を示している(p27)。時には1キロを超える距離からの砲撃が命中することもあったようだが、あくまで幸運の賜物だろう。また正確さに関して言うと、優れた砲手がきちんと狙いを定めれば、ツキに恵まれた時にはかなり限られた目標に当てることも可能だったようだ。
 特に16世紀初頭の3つの事例は、この時期の砲撃がどのように行われていたかについて窺うことができる興味深いものだ。1つは1515年3月の事例で、撃った後に火薬の量を増やして再び砲撃した話が載っている。この時は砲弾(おそらく石弾)が砕け、また大砲の角度調整用の楔として使われていた木材までもが反動で破壊されたそうだ。砲撃の練習がシステマチックに行われていたこと、また古い大砲が時に16世紀や17世紀になっても使われていたことが分かる。
 2つ目の事例は1516年のもので、鉄製の砲弾と石弾を順番に撃った話や、ニュルンベルクから来たドイツの専門家が3回目の砲撃で鉄製の砲弾を目標であった城壁に命中させたという話が伝わっている。3つ目はその数ヶ月後に行なわれた練習で、最初は30ポンド、次は35ポンドの火薬を使って砲撃したが、2回目の方が砲弾の飛距離が短かった。翌日、今度は17ポンドや15ポンドの火薬で砲撃したところ、むしろ飛距離は長かったという。砲弾が飛び出す前に火薬が完全に燃焼するだけの量にとどめた方が、時には射程距離は伸びたようだ(p28)。
 また火薬兵器の危険性についての文献記録もまとめられている。ボヘミアでは古くは1383年に砲手が負傷したという記録が残っているし、1431年には貴族が大砲の爆発で命を落としている。1517年にはやはり大砲が暴発し、その破片で負傷した人間が出たことも記されている(p29)。東欧に関するこの時代の記録についてはあまり詳しくないだけに、この手の論文で色々と事例が紹介されているのはありがたい。彼らが西欧ほど早くはなかったとしても、さして遅れることなく火薬革命を進めていた様子が分かる。

 マルボルクの博物館にある同時期の火器について調べた内容を記しているのが、A late medieval or early modern light gun barrel from the Castle Museum in Malbork-typology, technology of manufacture and identification of the smelting processだ。Fig. 1を見ても随分と細長い火器であることは分かるし、この論文では元はハンドゴン(ハックブート)だったのではないかと推測している。ただし写真を見ても分かる通り、今では後付けらしい砲耳(トラニオン)もつけられているので、どこかのタイミングで砲車に載せて大砲のように運用されていたのだと思われる。
 この手の「最初はハンドゴンだが後から大砲的に改造された」ものは、The Artillery of the Dukes of Burgundy 1363-1477にも紹介されている(p270-271)。バーゼルの博物館にあるこちらの火器も、マルボルクのものと同様1メートル近い長さを持つが、おそらく当初はハンドゴンもしくはクロヴリヌとして製造されたものと見られる。マルボルクのものも同じだが、口径が3センチ弱と銃として使うには少し大きめだったことが、後から大砲に改装された理由かもしれない。
 マルボルクの火器については素材も細かく分析されている。基本的には高炉以前から存在したbloomery(塊鉄炉)で精錬した鉄を使って製造したものだそうで、こういった鍛鉄製の火器は15世紀には珍しくなかったし、銃の素材としてはその後も使われていた。やはり論文が指摘するようにこの火器は当初はハンドゴンだった可能性が高いのだろう。
 もう一つ、東欧でしばしば古い時代の火器の一種として紹介されるテラス・ガンが使われていた当時の城にあるテラスに関して説明した文章も紹介しておこう。The Terrace - The Prototype of the Batteryというもので、東欧において城塞の「テラス」が14世紀から15世紀にかけてどのように発展していったかについて、図解も含めて説明されている。火薬革命を象徴するルネサンス式要塞が生まれる前史として城塞の進化があったという話は前にこちらで触れたが、その東欧版といった趣だ。
 テラス・ガンについてはRecycling and Modifications of Firearms in Central Europe during the Medieval and Post-Medieval Periodに写真が収録されている(Fig. 9)。マルボルクの火器と同様に細長い大砲であり、そしてフス戦争で使われたタラスニツェとも似ている。タラスニツェという名前の由来が「テラス」なのだそうだが、そのテラスとは火器が据え付けられた木製の台を示しているそうで、城塞のテラスとは違うらしいけど。
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