1796年戦役では連合軍司令部に英国から連絡将校が送り出されていた。彼らが本国へ送っていた報告書が英国の新聞London Gazetteに掲載され、A Collection of State Papers Relative to the War Against Franceにまとめられている。連合軍側の事情を記した史料としての活用が可能だと思われるので、これから翻訳してみよう。
最初にカール大公の司令部に送り込まれていた連絡将校はチャールズ・グレガン・クロファード"http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Craufurd"。半島戦争で有名になったロバート・クロファードの兄である。彼が送った戦争の第一報は以下の通り。
グレンヴィル卿への手紙
閣下、 バウムホルダー、1796年6月1日
昨日朝、午前10時半から戦闘状態が開始されたことを閣下に謹んで伝えます。敵はナーエ川の水源近くにありオーストリア軍が前哨線として占拠していたヴァルハウゼン村を攻撃しましたが、60人から70人が戦死し、400人近くを捕虜に取られて撃退されました。
オーストリア軍のシェーレンベルク将軍は同時にナーエ川のケルンを奪いました。敵はその陣地から彼を追い出すためいくつかの失敗に終わった試みを成し、かなりの損害を蒙りました。
本日、オーストリア槍騎兵の一部とザルクブルクの軽歩兵は、ブリス川の水源方面にあるシュタインベルク近くの敵の陣地の一つを攻撃し、これを破りました。他にも取り上げるに値しないつまらない小競り合いがありましたが、いずれもオーストリア軍に有利なものでした。昨日から今日にかけの彼らの損害は士官4人と70人から80人の下士官及び兵でした。
敬具
C・クロファード
A Collection of State Papers Relative to the War Against France "http://books.google.com/books?id=OZ4BAAAAMAAJ" p22
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