集中と分散

 ウクライナ戦争では、ウクライナ軍の反攻が引き続き進展を見せているらしい。ISWの2日の報告によると主戦場となっているザポリージャ州西部で彼らはメリトポリ方面に進んでいるらしく、またエストニアの情報によるとウクライナ軍の砲兵能力はロシア軍と同等かそれ以上になっているそうだ。この指摘は以前からロシア軍内で対砲兵攻撃能力の不足に対する懸念が出ていた点と平仄が合っている。
 ISWは1日の報告でもロシア側から出てきた、対砲兵攻撃能力の不足に悩まされ極度の肉体的・精神的ストレスにさらされている、との話を紹介している。特になんたら人民共和国の軍勢など正規軍ではない部隊はかなりひどい状態で放置されているらしく、ロシアの上級指揮官たちが事態の悪化から目をそらしているとの指摘もあるという。
 ロシアの砲兵に対してウクライナが攻撃を集中している様子は、こちらのツイートでも指摘されている。グラフを見ると特に反攻を始める直前の今年5月ごろからロシア側の砲兵システムの損害がずっと右肩上がりとなっており、ウクライナの狙いは効果を上げているようだ。ロシアの砲兵は、砲弾のせいか大砲自体の問題か不明だが、かなり戦線の近くで砲撃をするようになっているそうで、それだけウクライナに狙われやすくなっている面もあるのかもしれない。
 ロシアも何もしていないわけではない。ISWによると彼らは新たな部隊として第25諸兵科連合軍をウクライナの戦場に配置したそうだ。問題はこの部隊がそもそも12月に配備されるはずだった点。6月に報じられた内容によれば、この部隊は9月から12月まで訓練をし、その後でウクライナに派遣されるはずだったそうで、ウクライナ側はこの部隊の戦闘準備が実際に整うのは2024年になると見ている。一応、彼らは最もウクライナ側からの攻撃が少ないルハンシク州に配備され、今までそこにいた部隊が「横への再配置」として激戦地に送られているらしい。
 実際に横へと再配置されたのは第76親衛空挺師団だそうだ。ルハンシク州のクレミンナを攻撃していた彼らがザポリージャ方面に回されたのが事実だとしたら、それだけロシア軍の戦線が厳しい状態にあると推察される。記事中ではこの予備の投入はロシア軍にとって「全賭け」を意味しており、失敗すれば東部と南部の両方を守るのは難しくなるとの見方を記している。
 ISWによるとこの横への再配置はウクライナの反攻開始から既に3回も実施されているそうで、数週間前にも2回目の横展開があったばかり。本来なら長期的なロシア軍再編のため使うことを想定していたと思われる第25諸兵科連合軍を5ヶ月も前倒しで投入してしまっているあたり、最前線の状況がかなりきわどくなっている可能性もあるそうだ。SNSでは人員配置に穴が開き、そこに兵力を逐次投入したため戦況が取り返しのつかない状況になりつつあるとの見方もあり、ウクライナ軍が時間をかけてロシア側の戦線を揺るがしてきた効果が出ているのかもしれない。
 そしてザポリージャで守備に当たっているロシアの第58諸兵科連合軍は、現在の司令官ではなく元司令官のポポフにその苦境ぶりを相談しているとISWは2日の報告で言及している。ポポフは対砲兵能力不足についてゲラシモフを迂回して苦情を訴えようとしたことを理由に7月上旬に解任された人物。これまたロシア軍の置かれている状況を示す話であり、今の上級指揮官たちが戦場の実態から目をそらしている可能性を示すものだが、同時にポポフの行動がロシア軍に不服従の前例を残し、それが今も続いているとの話もあるそうだ。戦闘を拒否するロシア軍兵士が相次ぐという報道も出ている。
 そもそも苦境に陥った背景にはロシア軍自身のミスもあると指摘されている。英国防省はロシアが継続している北方クピヤンスクからの攻勢について、ウクライナ軍を分散させてザポリージャなどでの反攻を頓挫させるのが狙いだが実際にはむしろロシア軍自身が分散してしまってウクライナの反攻への対処に苦慮する事態に陥っている、と指摘している。
 また、ロシアはせっかく時間をかけて構築した防衛線を生かせていないとの指摘もある。縦深を持つ複数の防衛線を作ったはいいがそこに立てこもる兵員が少ないから「前哨陣地のエリアで機動防御してた」という説だ。こちらのツイートによるとロシアは防御に際して地点保持を優先する「ポジショナル防御」と、自軍の戦力維持及び敵を損耗させることを優先する「マニューバ防御」のどちらかを採用することになっていたようで、その後者を実践しようとしていたのではという指摘もあるが、だったら前哨陣地にこだわる必要はないだろう。それに、横への再配置を何度も強いられるほど戦力を消耗しているのは、そもそもマニューバ防御の目的に反している気もする。
 それに対し、軍事的な合理性ではなく政治的理由でロシアが予備戦力を投入しているという説もある。単にウクライナの前進を防いでいる「という報告をするため」に、有利な地点より前方で戦力を消耗しているという考えだ。本末転倒もいいところだが、ポポフの解任を見てもわかる通りプーチンが「前線の固守以外の報告を聞く気がない」状態になっているとしたら、確かにあり得そうな気はする。無理に軍事的合理性をこじつけるよりも説得力のある説だろう。
 加えてウクライナが時間をかけて叩いてきた兵站への負荷がかなり効いている可能性もある。英国防省はケルチ海峡が南部に展開するロシア軍の兵站にとって「ボトルネック」になっていると指摘。ロシアはこの橋を守るために数多くの防御施設を配備し、さらには橋近くに多数の船を自沈させて防壁を構築しているらしく、「セルフ旅順閉塞」と言われたりしている。これでウクライナ南部の陸橋を通る兵站線が脅かされると、特にヘルソンやクリミアのロシア軍にとっては状況が厳しくなりそうだ。
 で、戦況が変わってきたのを受けてさっそく手のひらを返しているのが西側の報道。米軍も最近の「顕著な進展」について言及している。実は少し前まで米軍はウクライナの戦い方に文句をつけ、南部に「一点集中しろ」と要求していたらしく、それに対してISWが「激おこプンプン丸」で文句をつけていた。米軍で大規模な機械化作戦をデザインした例は1944年まで遡らないと存在しないというのに、偉そうなことを言うなというニュアンスらしい。
 こちらの記事によると米軍は諸兵科連合を機能させるためにも兵力集中が必要と主張したのに対し、ウクライナ側は航空優勢のない状態でそんなことができるかと突っぱねたらしい。これについてはウクライナ側に同意する元米軍関係者もいるようだ。最終的にはこの両軍の間に英国の参謀総長が入って部隊の南部への集中にウクライナを合意させ、その後になってザポリージャ州西部での作戦が進展した、というオチがついたという。どこまで正確な話かは分からないが、西側も一枚岩ではないのだろう。それでも他者の助言を聞いただけウクライナの方がロシア(というかプーチン)より融通が利くのだと思われる。
 戦線が限界に近付きつつあると見られる一方、経済面でもロシアは対応に追われているようだ。外貨流出を止めるため、ロシアは免税輸入の基準額を引き下げる予定だという話が出ている。確かにルーブルの下落を少しでも抑制したければ輸入を減らすのは手っ取り早い方策なんだが、そうでなくても生活費がかなり圧縮されているロシアの多くの人々にとって、輸入物資の不足をもたらしかねない政策はあまりありがたいものではないだろう。

 とまあ対岸の火事っぽく書いたが、今の時代ユーラシア東部も決して他人事ではないのが現実。最近では処理水の放出について中国が大騒ぎしているが、これについて「中共は焦っている」説もネットに出てきている。もともと日本のバブル崩壊時と今の中国が似ているとの指摘があり、先行き不透明感が強まっている中では、うっかり反日を煽ると国民から予想外のリアクションが出てくるリスクがあるとの指摘だ。
 確かに経済面ではロシアと似たような無茶な話がいくつか聞こえてくる。1つは中国が一部の投信に対して本土株の売り越し回避を要請したというもの。自由な経済活動への規制を強めようとすれば、いよいよ資金は逃げ出すわけで、にもかかわらず背に腹は代えられない状態になっているのだとするとこれはなかなか厄介だ。また米国へ亡命する中国人が増えているとの話も出てきている。紹介されているのは政治亡命っぽい話だが、数が増えればロシアの移転者と同じく経済への影響も大きくなるかもしれない。
 中国の政情が不安定化すれば、周辺諸国も警戒感を強める。その中には否が応でも日本も含まれるだろう。Modern War InstituteはWargaming for Peace in Asiaの中で、尖閣諸島をテーマにしたウォーゲームならぬ「ピースゲーム」の話を紹介している。このシミュレーションへの参加者は、米軍の支持を背景に日本が冒険主義的な行動に出るモラルハザードを恐れつつ、一方で日本の本土に対する攻撃からの防衛は米国にとって極めて重要な国家の安全にかかわる利益であるとの認識も共有していたという。
 日本もそれに合わせ、足元で急速な軍拡を進めようとしている。当然ながら「これってマジに10年以内どころか5年とかそういうスパンで極東で戦争が起きる、と偉い人達がマジマジに考えてる」との見方も出てくるし、今回の戦争で改めて「戦争は数だよ兄貴」であることがわかったせいで動きも加速している。しかも「間に合うかどうか微妙」な状態になっているとも考えられるわけで、そりゃ目がつり上がっている人も出てくるだろう。
 というわけで今や期待できるのは習近平の「寝そべり」くらい、かもしれない。彼にはぜひ、中華帝国を代表する偉大なる先達の範に倣い、全身全霊をもって「躺平主義」に邁進してもらいたいものだ。
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