経路依存性と栄枯盛衰

 歴史の経路依存性は思ったより重要ではないかという話を前に書いた。歴史の経路はそこに住むヒトにとって望ましい行動原理を規定し、またその行動に伴って彼らが暮らす環境を変える。ところが新しい行動原理が発明され広まっていくと、かつてうまく行っていた行動原理が逆に足を引っ張ったり、もしくは環境変化によってヒトにとって暮らす環境が不利になったりする、ことがあり得る。実際にホモ・サピエンスの歴史を見ると、リソースを獲得する手段が変わるごとにそれ以前に彼らに繁栄をもたらしていた地域が没落し、別の場所で繁栄が生じるといった流れがある、と解釈できるんじゃないだろうか。やってみよう。
 まずは出アフリカだ。およそ6万~5万年前に起きたホモ・サピエンスの出アフリカによって、アフリカ以外の大陸に足を踏み入れた一握りのホモ・サピエンスたちの末裔は、急激に勢力を広げ数も増やした。当時、アフリカを出たホモ・サピエンスの数は一説によると150~1000人ほどと、ホモ・サピエンスの人口全体に占める割合はごく少なかったようだが、現在では世界の各大陸のうちアフリカ以外に住む数が82%を超えている。しかもこれは最近のアフリカの高い人口増加率を反映した結果であり、1950年だとこの割合は91%ともっと高かった。要するにアフリカにずっと住み続けた者より、そこから出ていった者の方が高い包括適応度を達成できた、と言える。
 アフリカの原住民の方がそれ以外の地域に住むホモ・サピエンスよりもゲノムの多様性は高い。しかし長くアフリカにとどまった彼らの数よりも、そこから出ていった多様性の少ないヒトの方が圧倒的に多数の子孫を生み出した。なぜか。理由は色々あるが、大きな原因を占めているのは環境だろう。元々アフリカは生産性の面で地理的なハンデを負っているとの説がある。人類が出アフリカを行った時点ではそういう土地にホモ・サピエンスの圧倒的多数がいたわけで、彼らはおそらく少ないリソースを多数で食い合っていたと考えられる。
 一方、アフリカを出たホモ・サピエンスは、より緩いライバルであるネアンデルタール人など他のホモ属との競争が中心となったのだろう。いわばイージーモードでプレイできたわけで、結果としてネアンデルタール人などはかなりの短期間で絶滅に追い込まれた。さらに幸運だったのは新大陸(アメリカ、オセアニア)にまで到達した面々だ。彼らの前にはヒトと接触したことがなくて油断しきっているメガファウナという恵まれたリソースが転がっていた。イージーモードを通り越してボーナスステージ状態である。
 従ってアフリカよりはライバルの少ないユーラシアの方が、ユーラシアよりはライバル不在で獲物が豊富だった新大陸の方が、ホモ・サピエンスの包括適応度向上に恵まれた土地だったと考えられる。歴史的な経路依存性によって彼らの「成功度合い」には違いが発生した、可能性があるわけだ。ただしそうした環境は他ならぬホモ・サピエンス自身の活動によって変化してしまう(Global late Quaternary megafauna extinctions linked to humans, not climate change)。栄養源となっていたメガファウナの数は大きく減り、一方で氷河期が終わって安定した気候は別のリソース獲得手段を生み出す。農業だ。
 農業の開始時点で完全に出遅れたのはオセアニア。ここは大航海時代以降、旧大陸の人間と接するまで本格的な農業はついに始まらなかった。狩猟採集時代は有利な立場にあった彼らは、農業に適した野生種がいなかったせいか、逆に大きく立ち遅れることとなった。一方、ユーラシアとアメリカはほぼ同時期に農業を始めたが、しかしその後で両者には差がついた。皮肉なことに狩猟採集時代に繁栄したアメリカは、その時にメガファウナを大量絶滅させてしまったために牧畜に使える野生種がほとんど残っていなかった。
 上で紹介したリンク先にある通り、第四紀の絶滅において北米では83%、南米では72%の属が絶滅した。一方、ユーラシアでは全体の3分の2は生き残っている。特に象徴的なのは、ユーラシアの馬は生き延びたのに北米にいた馬はホモ・サピエンスの到来から間もなく絶滅したことだろう。馬を食い尽くしたアメリカ大陸のヒトは、その後になって牧畜用の野生種が手に入らないという事態に陥ったのに対し、手ごわいユーラシアのメガファウナを相手にしていたユーラシア大陸のヒトは氷河期が終わった後に幸運にも牧畜という形で新しいリソース獲得手段を得た。これまでトップに立ったことのないユーラシアが、この時点でトップに躍り出た格好だ。
 現在、世界で飼育されている家畜の大半はユーラシアで家畜化された哺乳類だ。それに対し野生の哺乳類は哺乳類全体のバイオマスのうち4%しか占めていない。ヒトの手で再生産された哺乳類が今や世界の圧倒的多数を占めているわけであり、その分野で先頭を走ったのがユーラシアなのは間違いない。ホモ・サピエンスのゆりかごだったアフリカ、豊かな狩猟採集資源を持っていた新大陸ときて、今度は中間地点にあったユーラシアの時代がやって来たわけだ。といっても人のインパクトが大きいのは哺乳類、及び家禽が全体の3分の2を占めている鳥類であり、その他の生物まで見るとヒトの手の及ばないものも多数ある
 そのユーラシアでも先行したのは肥沃な三日月地帯と中国という農業が始まった地域であり、さらに馬が大きなインパクトをもたらしたステップ地帯及びそれに接する帝国ベルトだったことは、これまでにも説明している。そしてこの流れが産業革命のあたりを機に大きく変わったことも。農業社会において繁栄の最先端にいたユーラシア中核から、今度はユーラシアの辺境が彼らを追い抜いて先頭に立った。
 具体的に優位に立ったのはもちろんヨーロッパであり、またそのヨーロッパの植民者たちが多数を占めるようになった北米だった。ユーラシア中核は彼らに成長率で抜かれ、第一次大戦直前の時期には欧米が世界GDPで圧倒的なシェアを占めている。最近になって少しアジアがシェアを取り戻しているが、引き続き欧米が高い水準を維持していることに変わりはない。
 なぜ農業社会から産業社会に変わるとユーラシアの中核ではなく周辺が有利になったのだろうか。もちろん色々な理屈があると思うが、水運をより活用しやすい点は重要かもしれない。農業社会よりも圧倒的に重厚長大な生産品が増えてくれば、そうしたものを運びやすい海沿いの地域の方が利便性には勝るだろう。農業社会では土地の広さが大切で、そうした広さを確保しやすい大陸の内陸部が条件的には勝っていたが、高密度のエネルギー(化石燃料)がリソースの根底にある産業社会では広さよりも輸送の利便性が重要になり、そうした利便性の高いところに集まるヒトの集団(つまり都市)こそが価値を生み出すようになった、と考えられないだろうか。
 日本でもかつては数多くの中山間地集落が存在した。農業が基盤の社会においては土地を極限まで利用する必要があり、そのためには中山間地までヒトが進出するのが当然だったからだろう。でも産業社会になればエネルギーは化石燃料という密度の高い形で分配されるため、それを簡単に手に入れられるようヒトは(主に港湾の周辺に)密集して住むようになる。かくして中山間地からヒトは消え、都市に住むヒトがほとんどとなる。価値を生み出す大元が結局はヒトの活動だとすれば、ヒトのいない地域で価値は生まれない。ただ広いだけの陸地は、リソースを獲得する手段が変わったことによってその地位を低下させていっているのだろう。
 都市化は世界中で進んでいる。となれば足元での流れはまだまだ続くのだろう。アフリカ→新大陸→ユーラシア中核→ユーラシア辺境と進んできたヒトの歴史の「先頭ランナー争い」は、まだしばらくユーラシア辺境がリードを続けると思う。ただしアフリカでホモ・サピエンスが先導していたのが6万~5万年前まで、新大陸がそれから1万年前まで、ユーラシア辺境が200年ほど前までと考えるなら、そうした変化の発生単位がどんどん短くなっている可能性は考えておくべきだろう。今生きているヒトが存在する間は変わらないと思うが、例えば1000年ほどが経過するとまた次のリソース獲得手段が生まれ、経路依存性の影響がまた異なる形で現れてくるのかもしれない。
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