専制と成長と工業化と

 専制的な国家ほど工業化を進めやすい傾向がある、と主張しているワーキングペーパーがある。Regimes and Industrializationがそれで、最大で19世紀初頭から21世紀までをカバーしている経済データと、国家の専制度合い(民主化の逆数)との関係を調べたものだ。調べた経済データによって強弱に差はあるものの、全体として民主的な国家ほど特に重工業の発展が遅い、という結果が出てきたという。
 筆者がこうした調査を行ったのは、東アジアに代表される開発独裁の成功例があったからではなかろうか。先進国の中に民主的な国家が多いため経済成長と民主主義の相性はいいと思われているが、工業化という観点だけで見ればむしろ権威主義的な体制の方がそれを推進しやすい条件が整っているし、インセンティブもある。従って後者の方が民主主義体制よりもアドバンテージを持っている、という結論を導き出している。
 権威主義の方が有利だという理論の論拠は3つある。1つは支持基盤で、民主主義が比較的広い支持基盤に拠っているのに対し、狭い支持基盤を持つ権威主義の場合、その基盤の中に工業経営者たちがいれば、彼らの望む政策(税制や低金利の融資、直接投資や補助金、土地の収用、規制緩和、輸出補助金や輸出加工区の設定、輸入関税、労働組織の抑圧など)を積極的に追求しようとするインセンティブが働く。民主的な政権の場合、工業化によってマイナスの影響を被る人々も支持者の中にいたりするため、権威主義ほど積極的に工業化ができない。
 2つ目は安全保障への懸念だ。権威主義的国家の方がそちらに対する懸念は強く、外国からの侵入だけでなく国内での反乱に対してもすぐ対処できるよう、鉄道などのインフラ整備に積極的になるという理屈であり、プロイセンや戦前の日本などがそうした実例となる。また3つ目は政策ツールとしてより強権的な手段を使えることが工業化にプラスとなる。工業化のためには上に述べたような政策の実行が必要であり、その際には近代化以前の社会において多数を占める農民が割を食うことが多い。彼らを黙らせる能力は権威主義の方が高いというわけだ。
 要するに工業化に際しては国家が大きな役割を果たすケースが多く、それをやりやすいのは権威主義だという理屈だ。例えば文中では権威主義は預金と投資を促し、民主主義は消費を促すといった議論がなされており、そうした国家の後押しによって経済の工業化が進む、という理屈だ。そして実際に工業化のメルクマールとなる4つの経済データと国家の民主化の度合いを比べると、権威主義的国家の方が工業化が早く進んでいるという。
 経済データの第1は鉄道輸送(乗客の荷物と家畜を除く)。主に工業産品を運ぶ能力を測ることで、工業化の程度を調べるという手法であり、対象国は92ヶ国、対象期間は1852年から1993年までだ。2つ目はエネルギー消費で、石炭の消費量に相当する数値を使って調査している。こちらは対象が175ヶ国、期間は1816年から2012年とかなり長い。3つ目は銑鉄(1816年から1899年)と鋼鉄(1900年から2012年)を使ったデータで、対象は最多の181ヶ国。そして最後はより包括的なデータとしてGDPに占める製造業付加価値額の割合を算出している。対象は153ヶ国で、期間は1960年から2017年。
 いずれのデータも民主化の度合いが高いほど工業化が進みにくいという結論をもたらしており、また各種の条件を変えてもほとんどの場合において同じ結果が出てくる。逆に工業化以外の指標、例えば労働者の実質賃金やDGPに占める公的支出の割合、そして労働人口に占める農業就業者の割合などは民主主義の国ほど高い傾向があり、必ずしも経済の全分野で権威主義が有利ではないことも分かる。
 筆者は工業化の要因として天然資源や文化的特質といったものを挙げる他の説を否定しているわけではなく、政治体制も原因の一つになるのではないかと主張するにとどめている。その意味では既存の説を全てひっくり返そうとしているわけではないのだが、それを踏まえてもなお開発独裁による経済的離陸を達成した国が多い東アジアの人間としては、なかなか頷けるところも多い議論に思える。この論文によると、そもそも政治体制と工業化の関係について調べたものは少ないそうで、その点でもなかなか面白い話であることは確かだ。

 同時に一つ疑問も出てくる。確かに開発独裁の話はよく聞くが、一方で工業化が進んだ国では多くが民主主義的な体制を取っていることも事実。権威主義的な国は新興国として成長は果たすものの、先進国に比べて1人当たりGDPはなお低い水準でとどまっているところが多い。なぜか。実は工業化によって工場労働者として大量の人間が雇われるようになると、それが大衆動員をもたらして鎮圧が難しくなるのだ、と指摘している研究もある。Industrialization and Democracyがそれだ。
 工場労働は農業に比べて失業時のリスクが高く(家庭菜園などが作れない)、また厳しい労働に晒されれる者が多い結果として彼らはより政治的な力を得ようとする。多数の人間がまとまって働くことが多い工場の雇用者たち(ブルーカラー以外も含む)は、その多くが都市部に集まっているため大規模な運動を組織する能力も高い。要するに工場での雇用が増えると下からの民主化圧力が強まるわけで、特に労働力に占める比率が25%前後を超えれば民主化に至る事例が多いという。
 一方、彼らを抑圧するのは難しい。工場労働はサプライチェーンの前後に非常に多くのつながりを持っており、1つの産業で生産が停滞すると幅広い経済に悪影響が及ぶ。このあたりはよりシンプルな農業社会とは違うところだ。また上にも書いたように彼らは組織化が得意であり、逆に権威主義体制側にとっては抑え込むのにコストがかかる相手だ。そしてそのコストが極端に上昇すると、いっそ民主主義を導入した方が安上がりになってしまう局面が訪れる。かくして工業化した国は民主主義へとシフトする、というのがこの理論だ。
 また工業化による工場雇用者たちの比率は、民主化が達成された後も長く続く傾向がある。ただし足元まで来ると工場の雇用者は減り、サービス業に従事する人の方がずっと多くなっているのが先進国の特徴だ。それでも彼らが再び権威主義にならないのは、サービス業に従事するミドルクラスの数が多く、彼らが民主主義体制でキャスティング・ボートを握ることができる点と、下層の人々がかつてのような貧しい農民などではなく、より組織化されやすくなっている点がある。このため民主主義国家は長続きするとも筆者は主張している。
 ではこの説はどのくらい数字で裏付けられるのか。まず、現時点で民主化されている欧州、旧大英帝国領、及び東アジアの国々を調べたのがTable 1だ。そこでは豊かさ、平等性、教育年数、都市化のデータと並べて工業化の数値が載っている。カッコ内はその数字を2015年時点で超えている権威主義国家が何%あるかを示しており、例えば英国が普通選挙を導入した時点で彼らの豊かさは現在の権威主義国家全体の半分より下に位置していたし、他の条件も似たようなものだ。ただし工業化の部分だけはほぼゼロが並んでいる。唯一の例外は日本だが、ここは工業化ではなく敗戦によって民主化したという特殊事例扱いとなっている。
 このデータが事実だとした場合、興味深いのは中国のケースだ。実は彼らは既に2020年時点で工場雇用者の比率が22.3%に達しており、もう少しで権威主義体制を続けるコストが民主制を上回る可能性が出てくる水準になっている。統計によると工場で雇用される人が4.1%増えると自由民主主義指数(0から10の間に分布している)が短期的な効果で0.274、長期的な効果で見ると0.661も上昇するのだそうで(Table 2)、改革開放以降に中国で進んできた工業化は彼らをかなりな勢いで民主主義に近づけていたはずである。この研究が正しいのならば。
 筆者は結論のところで途上国が成長する際にはいきなりサービス経済へ移行するのではなく、工業化を経由するようにした方がうまく機能する民主主義を作るためにも大切だとしている。この指摘が正しいかどうかを見定める最初の試金石になるのは、おそらく中国。権威主義へと舵を切ろうとしている中国が民主化の圧力にさらされ、エリートが民主主義を受け入れざるを得なくなるようなら、この研究も正しいのだろう。だがそうではなく、中国が権威主義のまま工業化を進められた場合、この論文には瑕疵がある可能性が高まる。
 もう一つ気になるのは、民主化が経済成長を促すという逆の因果関係があるのかどうかだ。もしそうなら、権威主義を続ける国はどこかで成長が頭打ちになるという傾向が見られることになるだろうし、そうしたメカニズムが見えてくると中国の民衆がより強く民主化を求める可能性も高まりそうに思える。いずれにせよ、制度と経済との関係についてはまだ色々と調べてみる余地があるんだろう。
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