長い解体トレンド

 現下のウクライナ戦争に関連し、ロシアの政治ストレス指数がどうなっているかを調べたことがある。残念ながらデータの揃っている期間があまりに短すぎ(ほとんどが1990年代以降)、大きな傾向を理解するには不明な点が多すぎることが分かっただけだった。あるいはTurchinは無理でもSecular Cyclesで過去のロシアの永年サイクルについて調べていたNefedovが現代について分析していれば、それが参考になったかもしれないが、こちらこちらを見る限り彼の関心は基本的に過去に向いているっぽく、現代ロシアについて言及している様子はない。
 データの利用が難しく、研究者による分析もあまり期待できそうにないとなると、後は厳密さに欠けるがナラティブを使っでどのような見方ができるかを考えるしかない。その際に参考になるんじゃないかと思っているのが、以前こちらで紹介したイングランドの永年サイクルに関する研究だ。特に注目したいのが中世末期のプランタジネット朝サイクル。論文によればこのサイクルは統合トレンドが1071~1314年、解体トレンドが1315~1485年まで続いたことになっている(Table 1)。特徴的なのはその長さだ。
 TurchinはEnd Timesの中で統合トレンドと解体トレンドがそれぞれ一般的に1世紀ほどの長さになると述べている。合計して2世紀という期間はテューダー=ステュアート朝サイクル(1486~1690年)の場合にはそこそこ一致しているが、常にそうなるわけではなく、プランタジネット朝のように1サイクルに合計4世紀を要する場合もある。こちらのケースでは解体トレンドも長く、実に170年にわたってイングランドはトラブルに見舞われていたことになる。
 ただしこの170年はずっと内紛ばかりだったわけではない。14世紀初頭のイングランドはフランスの牝狼と呼ばれた王妃イザベラによるクーデターなどで混乱に陥ったが、1330年にエドワード3世が実権を握るとしばらく内政は安定した。次にトラブルが起きたのは14世紀末のリチャード2世の時代で、ランカスター家のヘンリー4世が王位を簒奪するまでトラブルに見舞われた。そして15世紀半ばから始まった薔薇戦争の時代を経由して、ようやく長い長い解体トレンドが終わった。
 重要なのはイングランドが対外戦争に成功していた時期が、解体トレンドにもかかわらずトラブルの少なかった時期と重なっている点だ。エドワード3世の時代には百年戦争におけるクレシーやポワティエの戦いでの勝利によって戦況がイングランド優位に進んでいたが、統治期間の末期から戦況が悪化するとリチャード2世期のトラブルにつながった。ヘンリー4世の息子ヘンリー5世は戦争に成功したが、その子6世の時代には敗北してイングランドに内乱をもたらした。世代が変わると状況が変わるあたりをTurchinは父―息子サイクルとして説明している。
 エリート過剰生産が起きても政治体そのものが大きく成長していれば危機の深刻度は低いという話は前にも述べた。エドワード3世やヘンリー5世も、持続性には乏しかったが戦争によって短期間の成長を成し遂げたわけで、その期間中はトラブルを抑制できた。もちろん根本的な問題(エリート過剰生産)は解消されていないため、一時的な成功が消えてなくなればまたトラブルが表に出てくる。そうやって断続的な危機を通じて過剰なエリートを少しずつ削っていった結果、解体トレンドが長引いてしまった可能性があると考えられる。

 で、実は同じことがロシアについても言えるのではないかと思っている。ロシアはまず19世紀のアレクサンドル2世の改革を通じていったん危機の先送りに成功した。しかし20世紀に入るころにはもう矛盾を抑制できなくなり、ロシア革命を経て解体トレンドに入った。ところがそのおよそ1世代ほどの混乱を経た後で、ロシアの後継国家であるソ連は第2次対戦に勝ってしまった。勝利は実際に領土と、さらに勢力圏の拡大を通じてロシアが過剰なエリートを吸収する余地を生み出し、中世末期のイングランドのようにいったん危機が止まった。
 しかし戦争の勝利に伴う成長は長続きせず、スターリン死後からおよそ1世代を経過したブレジネフ政権末期には再び危機の時代がやってきた。ゴルバチョフはその危機を改革によって乗り切ろうとしたが失敗に終わり、ソ連は解体されてロシアを含むいくつもの勢力に分裂した。この混乱は1990年代が終わるあたりまで続いており、これまたおよそ1世代にわたる危機の時代といえる。
 この危機はプーチン政権下になっていったんは収まった。背景にはエネルギー資源を活用した経済成長があり、要するに政治体の成長を通じて危機を先延ばしすることに再び成功したと考えられる。ただし今回はスターリンの時と異なって領土の拡大はできず、そのため成長は2010年代に入ると鈍化。かくしてプーチンは2014年以降、スターリンと同じように領土の拡大という方法で危機の先送りに取り組もうとしたわけだが、足元はむしろトラブルが深刻度を増しているように見える
 というか、そもそもロシアとウクライナが戦争を行っていること自体、かつてのロシア帝国という枠組みから見るなら内紛と呼ぶべき事態だろう。以前は帝国の枠内にいて一緒に外敵と戦っていた者たちが、今では互いに殺し合っているわけで、ソ連時代が記憶に残っている者たちからすれば今起きているのは帝国という権威に対する内部からの反乱に見えているのかもしれない。というかプーチンの歴史認識などはまさにそれだろう。まさしく解体トレンドの真っ最中である。
 だが帝国という単位は(Turchinはマルチレベル淘汰上の単位と考えているかもしれないが)不滅のものではない。西ローマ帝国のようにバラバラに崩壊したものもある。彼らの末期の永年サイクルを見ると、紀元285年にはいったん解体が止まって統合トレンドが始まったかにも見えたが、350年には成長が終わってしまい5世紀には政治体自体が消えてなくなった。そもそも西ローマでは解体トレンドの停滞局面が285年になっても終わらなかった可能性があるわけで、だとすれば長い解体トレンドの末に帝国そのものが消え去ってしまう例は過去にもあったと言える。
 他にも長い解体トレンドではないかと思える事例はある。以前紹介したポーランドの永年サイクルでも、17世紀後半から18世紀末までの短いサイクルがあるとの解釈と、実際は17~18世紀を通じた長い解体トレンドが存在していたという両方の見方が可能だと指摘していた。もしロシアも同じように途中に何度か中断(成長局面っぽく見える時代)を挟みながら解体トレンドが続いているのだとしたら、それを確かめるためには1990年以降のデータだけ取り上げてもあまり意味はない。残念ながらより長期にわたるいいデータを私は知らないが、ロシアを構造的人口動態理論(SDT)に基づいて分析するつもりならそのくらい長い期間を対象にデータを集めないとダメなんだろう。

 そもそもの問題としてSDTは必ずしも歴史にサイクルがもたらされると決めつけている理論ではない。Turchin自身、Hiscorical Dynamicsの中でサイクルが存在しなかった歴史上の事例としてエジプトのマムルークを紹介している。マムルークの子供はマムルークになれず、次代のマムルークはコーカサスから購入される奴隷の中からリクルートされていた結果、マムルークはエリート過剰生産を免れていた。また彼が作った予測モデルでも、富のポンプを止めればエリート過剰生産が止まり、サイクルが消えるという予想を示している。
 あるいは以前記した日本の歴史も、わかりやすいサイクルを示さない例と考えられるだろう。日本の場合はエリートを恒常的に過剰生産し、彼らが常に緩やかな内紛を続けることで明確なサイクルが見えなくなるという結果につながっている。外国からの侵入を受けにくい地形のためにエリートの凝集度が低くても生き延びられた結果、永年サイクル的でない歴史が紡がれてきたわけで、「統合1世紀、解体1世紀」という定番サイクルがいつでもどこでも当てはまると考える方がおそらく間違いだ。
 SDTを理解するうえでは、サイクルよりもエリートの過剰度合いと政治体の成長度の両面に注意する必要があるんだろう。持続可能な成長を成し遂げている間(たとえば共和制ローマやロマノフ朝ロシアの統合トレンド)であれば、多少エリートが増えても吸収できるし、一時的に過剰になっても危機を抑制しながら解体トレンドをやり過ごすことができる。ただし永久に成長できる政治体は存在せず、従ってどこかで辻褄合わせは避けられない。短期間なら戦争の勝利や新しいエリート吸収法(最近ならお目覚め系NGO)で時間を稼ぐことはできるだろうが、中長期的にはやはりエリート自体を大きく減らすしかない。
 以前こちらでも触れたエリートたちの国外移動も、実際のところほとんどの場合は短期的弥縫策なのだと思う。彼らを吸収する新天地が大量に広がっていた場合(19世紀英国)ならまだしも、今のロシアの移転者たちのようにそもそも短期間のつもりで出国した人間たちについて同じ効果を見込むのはおそらく甘すぎる。革命前に積み上がり、ソ連時代及びプーチン時代に削減がストップしていた過剰エリートを十分減らしきるまで、かつてのロシア帝国の解体トレンドは終わらない、という可能性も考えた方がいいかもしれない。
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