専門家の使い方

 現代の問題でも、あるいは歴史について論じる場合でもそうだが、人はしばしば時系列をきちんと把握せずに話を進める傾向があるんじゃないか、と最近は感じている。現代であれば現状の事実認定や分析と将来予想とをあまり区別せずに並べて議論をするケースが見られるし、歴史においてはある時点で分かっていたこととその後に起きたことを混然一体に論じている場合が珍しくない。例えばナポレオン戦争について後知恵に基づく議論が溢れかえっているのは、最近紹介したde Witの本でも何度も指摘されている通り。この後知恵を排するという取り組みが一般化してきたのは割と最近の出来事であり、逆に言うとそれまでは多くの人が時系列をしばしばごたまぜにしながら話をしていたことになる。
 一方、現代の問題について言えば後知恵で論じるのは無理だが、代わりによく見られるのが過去に予想を当てた人の言い分を過大評価する傾向。例えばエマニュエル・トッドなどはソ連の崩壊を予測して見せたことが有名になった大きなきっかけになったし、Turchinがマスコミにちょくちょく顔を出すようになったのも、米国における不和の時代を予測したことが寄与している。19世紀にマルクスがあれだけ人気を博したのも、彼が予測した欧州列強による世界支配が的中したからではないか、と個人的には考えている。
 だが予測と現状分析は別物と考えた方がいい。そしてたとえ専門家の言い分であっても予測と現状分析については違うスタンスで臨んだ方がいいんじゃないか、というのが今の私の考えだ。
 まず現状分析については普通に専門家の言い分に耳を傾けた方がいい。「ポップな人類歴史書」の妥当性を調べるうえで専門家の書評が役立つという話を前に紹介したが、別に人類歴史書だけでなく何事であっても現状について知りたい場合は専門家の言い分に耳を傾ける方が安全。それができていないケースを見かけた場合は眉に唾を付ける方がいい。
 もちろん現状分析においても、確定的なこと、明示されてはいないが推測可能なこと、そして推測すら難しいことなどがある。そうした点について整理する際にもやはり専門家の言い分は頼りになるだろう。専門家ほどそのあたりは厳密な言い回しをしているはずで、逆に言うのならそこを雑に決めつけている言説を見かけたらそれは専門家でない人間による「ためにする発言」である可能性を疑った方がいい。よく言われる話だが、人間は詳しくない件についてほど断言したがる傾向があると思われる
 ただし、専門家の言うことでも現状分析ではなく予測については信用しすぎない方がいいだろう。ウクライナでの戦争においても、例外があるとはいえ多くの専門家が開戦前の予測を外している。ある専門家は開戦後の予想について最近振り返っているが、やはり外している事例いくつかあったようだ。逆に的中した件についてはかなり誇らしげに言及している。NFLでチーム作りのプロであるはずのGMたちがドラフトではcrapshootになってしまうのが典型で、要するに専門家であっても予測を的中させるのは本当に難しいのだろう。
 歴史において後知恵に基づく分析がかえって事実認定を歪ませるのと同様、現代においても現状分析と予測とは分別して論じることを心掛けた方がいい。これまでもblog内では専門家も含めて将来に関する予想を取り上げているが、誰が唱えたかによって信用度の差があるとはいえ、基本的にそれらは「当たるも八卦当たらぬも八卦」ぐらいの感覚で見ておいた方がいいのだろう。逆に予測が外れたからと言ってその専門家の価値が下がるわけではない。スポーツゲームを見ていれば、誰にも予想できないランダム要素が結果に一定の影響を及ぼすことが明らかな点からもそれはわかる。
 むしろ問題は「誰が専門家なのか」を見定める方かもしれない。査読済みの論文に他の専門家から「全然違う」とツッコミが入るようなケースがあることも踏まえるなら、専門家を見極めるのが難しいことも理解できるだろう。ただ、ここでも使えるのは現状分析ができているかどうか。例えばこちらではロシアの戦争目的について、開戦から1ヶ月まではウクライナの中立化とドンバス問題の解決にあったと書いているが、実際にはプーチンが2月24日の演説で既に「我々はウクライナを脱軍事化し、脱ナチ化することを目指し」と明言している(プーチン重要論説集, p274)。そもそもの事実認定に問題がある人物を専門家と見なすのは危険だろうから避けた方がいい。
 ただし、自分が詳しくない分野についてはそもそも事実認定が正しいかどうかの判断すらできない可能性もある。その場合はもう素直に「誰も信用できない」というスタンスで臨んだ方がいいだろう。その際に最も信用してはならないのが自分自身であることは忘れてはならない。自分自身を疑わなくなってしまうと、例えば「全てのヒトに親和性のある発想法」である陰謀論に対する抵抗力が失われてしまう。最も当てにならないのは自分の脳みそ、というくらいのスタンスでなければ、歪んだ現状認識の罠に落ち込みかねない。桑原桑原。

 というわけでISWが18日の報告で触れていたWashington Postの記事も、同じくらいの信用度で見ておいた方がいい。米国の情報機関がウクライナの反攻はメリトポリに届かないと予測しているとの報道だが、たとえ専門家が出したものであってもこれは予測であり、こちらで述べた「凍結された紛争になる」という将来予想と同じくらいの位置づけと考えておくべきだろう。ISWもツッコミを入れている通り、なぜメリトポリ奪回のみがウクライナの目的であると米情報機関が判断したのかも不明だ。もちろんISWが記しているように「ウクライナ軍の突破が潜在的に作戦上重要になる」かどうかも現状ではわからないわけで、だからISWは「そうなる機会が作り出されていると評価している」という遠回しな言い方に終始している。安易に断言していないあたりは専門家らしい。
 国内でも専門家が「今後について」ツイートしている。戦闘が膠着化すれば「占領地のロシア化」が進み、一方でウクライナの反攻が成功すれば「次はドンバスかクリミアか攻めやすい方に反攻」が来ると予想される。ウクライナがクリミアを譲ってもいいと思っているのなら「クリミアをある程度占領した段階で停戦協議の申し出」もあり得るが、その際の条件をロシアが受け入れるとは考えられず、結局はドンバス方面での反攻も必要になるとの見立てだ。またその際には航空優勢の獲得も必要で、要するに戦争はまだしばらく激しく続くと見ているもよう。専門家の話を聞く際に重要なのは、この結論そのものではなく、そういう予測を立てるに至った過程について学ぶことなんだろう。
 一方、ISWの17日の報告には、ロシアの大隊指揮官が停戦の必要性に言及したという話が載っていた。この話は以前プリゴジンが述べていたものであり、ウクライナの最近の攻撃によってロシア軍の防衛力が低下したことが背景にあるとISWは分析している。同じ報告ではイランのシャヘドミサイルの質にロシアが不満を抱き、またロシア国内でのシャヘドミサイル生産が専門家不足などで予定通りに進んでいないといった話も紹介されている。
 また最近、New York Timesが米政府の情報として両軍の死傷者数が計50万人に近づいたという話を報じている。昨年2月以降の戦争でロシアの損害は計30万人に接近しており、うち戦死者が12万人、負傷者が17万~18万人と見込まれるそうだ。一方、ウクライナの方は戦死者が7万人近くで、負傷者が10万~12万人に達したそうだ。この数字は前に紹介した数字とはかなり違う。
 1年半でこの数字だとしたら、以前計算した見通しも修正する必要があるだろう。ウクライナが戦死者と同数の戦闘復帰不能者を出すとすれば、90万人という損害上限を超えるのは9年半強と随分短くなる。一方、ロシアの方も上限の270万人に損害が達するのは17年弱となり、こちらも期間はかなり短縮される。ただしどちらも現状のような砲弾の消費数が継続できると想定した期間よりはやはり長く、その意味では前に記した「凍結された紛争」シナリオの可能性はあまり変わっていない。
 一方、ロシア国内でのエリート内対立については相変わらずいろいろな推測が飛び交っている。ISWの16日の報告ではロシア国防省が国際軍事・技術フォーラムでワグナーとの関係を断つよう参加各国に強要したとの話が載っていたし、19日にもワグナー解体のためワグナー関係者を国防省が支援する別のPMCに呼び寄せようとしていると伝えていた。前にも書いた通り、この手のクレムリノロジーの信頼度がどこまであるか正直不明だが、どうもISWのアナリストはワグナーがらみの話が好きなように見える。
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