de Witの
The Campaign of 1815 の第3及び第4巻の紹介続き。第4巻の前半はキャトル=ブラの戦いに触れているが、英連合軍にとってここでの戦いが望んだものでなかったことは間違いない。そもそも16日午前の時点でなお、ウェリントンはここで本格的な戦いが行われると思っておらず、大半の部隊がキャトル=ブラを目指せとの命令を受けたのは実際に戦いが始まった後だった(Volume 4、p179)。
そのため戦いが始まった直後の時点においてキャトル=ブラ付近に展開していたのはオランダ軍のみだった。この時、キャトル=ブラに兵力を集めたことについてオランダ軍の司令官であるオラニエ公を褒め称える言説がある。
こちら ではナポレオン自身がそうした発言をしていることを紹介しているが、似たようなことは1817年にグナイゼナウが国王に向けて記した手紙の中でも言及されている(
Le militaire , p126)。ただし称賛対象はオラニエ公ではなくペルポンシェだが。
とはいえキャトル=ブラの戦いが始まった時点で英連合軍(オランダ第2師団)の戦力は7900人と大砲16門(Volume 4, p58)にとどまり、1万1000人と大砲22門を数えるネイの戦力(p62)に比べれば劣っていたし、オランダ軍が危機を察知してあらかじめ戦力をこの地に集結していたとまでは言えない。
こちら でも紹介しているが、オラニエ公は部隊の配置に関してほとんど何もしていないし、参謀長のコンスタン=ルベックはキャトル=ブラを重視しつつもウェリントンによる「ニヴェールに兵を集めよ」との命令をそのまま下に伝えている。
ペルポンシェは確かにキャトル=ブラに増援を送ると自身の判断で伝えているが、その増援はニヴェールに残った兵の一部にとどまったし、残った兵は別の部隊到着までニヴェールから動かそうとしなかった。彼の手元に南西のフランス軍に関する情報が来ていなかったのは事実だったが、時間が経過すればそうした情報も得られただろうに、それでもペルポンシェは用心深かったとde Witは指摘している(Volume 4, p183)。実際にキャトル=ブラに布陣したザクセン=ヴァイマールについては、元からそこが旅団の集結予定地に定められていたにすぎない。
では後からやってきた増援部隊はどうか。真っ先にたどり着いたのはブリュッセルから駆け付けたピクトンの第5師団とブラウンシュヴァイクの軍勢なのだが、そのきっかけとなったのは午前7時にフラーヌ近くからオラニエ公が書いた報告(Volume 4, p54)にある。あまり大戦力ではないフランス軍がフラーヌを占領しているというこの知らせを9時前にモン=サン=ジャンとプランスノワの間で受け取ったウェリントンは、ワーテルロー付近にいた予備に対してジュナップまで前進するよう命じている(p17)。
ピクトンやブラウンシュヴァイクに対してワーテルローまで前進せよとの命令は前夜のうちに出ており、前者は8時過ぎに、ブラウンシュヴァイクは11時頃にワーテルロー付近に到着していた(Volume 4, p39, 42)。ワーテルローからはニヴェルにもキャトル=ブラにも向かうことができたが、これがジュナップとなるとキャトル=ブラには大きく接近する一方、ニヴェルには近づかない。実際にフラーヌに敵がいることを確認した時点でウェリントンがそちらに対応した格好だが、キャトル=ブラへ向かったのがあくまで兵力の一部にとどまっていたことは忘れてはならない。
ワーテルローを11時から12時の間に出発したピクトンはジュナップに午後2時頃到着し(Volume 4, p39)、そこからさらにキャトル=ブラに向かって3時半前後には到着した(p66)。ブラウンシュヴァイクは正午頃にワーテルローからジュナップへ向かい、さらに2時頃にはジュナップを出発したという(p42)。彼らのキャトル=ブラ到着は3時45分で、その行軍速度はかなり早かったとde Witは指摘している。
ただしすべての部隊が彼らのように早いタイミングで到着できたわけではない。予備騎兵に至っては宿営地が戦場から遠かったせいもあるが、最も早くキャトル=ブラにたどり着いたヴァンドルール旅団ですら戦闘に参加するには遅すぎた(Volume 4, p45)ほど。それでもタイミングよく到着した増援のおかげでネイの攻撃を跳ね返すことはできたが、研究者の中にはその結果について「いくらかは幸運のおかげだった」(p192)とする評価があることは間違いない。
英連合軍は戦役開始前の時点で東西80キロ、南北70キロの範囲に散らばって宿営していた。これらの部隊が集まるのにかかる時間について、ボウルズ大尉は中央に集まるなら1日行程、左右のどちらかの端なら2日行程(Volume 4, p206)と想定している。実際にはこの1日行程は休息なども含めた数字で、de Witは1日行程は12時間、2日行程なら24時間で集結が可能としている。キャトル=ブラは英連合軍が担当する戦線の東端にあるため、つまり12時間でおよそ半数、そして強行軍をすれば24時間で全軍を集めることが可能だったという計算になる。
もちろんフランス軍の位置がはっきりわかるまでそうした行軍は命じられない。だが前にも書いた通り、16日の朝5時頃にはモンス方面に敵の動きはないという連絡がデルンベルク経由でウェリントンに伝わっていた。その時点で唯一敵がいるとわかっていたキャトル=ブラ方面に戦力を集める命令を出していれば、16日の夕刻かそれを過ぎるころには全兵力の半数近くをキャトル=ブラに集めることは可能な計算だ。実際に集められたのはおよそ3分の1ほどだったと思われる。
全体として英連合軍の動き出した遅れた原因の多くはプロイセン側の連絡不行き届きにあると指摘するde Witだが、ウェリントンが無罪だったとは言っていない。実は4月当時、ウェリントンは実際の侵攻はなかったもののその恐れがあることに対応して部隊の集結を命じたことがある。ところが本番では15日にまずフランス軍の侵攻を知らされてもすぐには部隊の集結を命じず、また16日午前5時にモンス方面に敵はいないとわかってもすぐにはキャトル=ブラに部隊を集めようとしなかった(Volume 4, p206-208)。上にも指摘した通り、彼が本当に兵をキャトル=ブラへと急がせ始めたのは実際に戦いが始まった後だ。
そもそも16日朝にウェリントンがブリュッセルを出発した時点で、彼はその日に戦いが行われると想定していたわけではない、というのがde Witの指摘。フランス軍の様子を確認したうえで、いったんはブリュッセルへ戻ってくるだろうというのが全体的な感覚だったそうだ(Volume 4, p168)。要するにウェリントンはフランス軍の侵攻速度について楽観的過ぎたことになる。ウェリントンがもし本当に
ペテンにかけられた と思うときがあったとしたら、それはリッチモンド公爵夫人の舞踏会ではなく、想定より早くキャトル=ブラで攻撃を受けたと知った時かもしれない。
それではなぜ「ペテンにかけられた」ウェリントンはキャトル=ブラを守りきれたのだろうか。ネイの動きがあまりに慎重すぎたせいだ。
前回も書いた が、ネイは朝方のナポレオンの命令を受けて11時にはジュナップ、キャトル=ブラ、マルベ、フラーヌなどに部隊を展開するとの返答を送っている。これを受けてナポレオンが11時過ぎにもネイが攻撃を始めると想定したことも前回に触れているが、実際にネイがオランダ軍に向けて前進を始めたのはようやく2時過ぎになってからだった。
遅れた理由の第1はレイユとネイの間の連絡に時間がかかったことにあるようだ。この日の朝、フラーヌに出発しようとしていたネイの下にレイユが現れた。ネイはレイユに対し、皇帝の命令が届いたらすぐそれを実行し、またデルロンにも転送するよう命じたうえで7時過ぎにフラーヌに出発した(Volume 4, p9)。実際に皇帝の命令がゴスリーに到着したのは10時頃。だがレイユはその命令を受けてキャトル=ブラに向かうのではなく、ネイに手紙を書いてどうするべきか問い合わせた。フラーヌでこの手紙を受け取ったネイが前進命令を出し、それがレイユに届いたとき、時刻は11時45分になっていた。
レイユが躊躇したのはサン=タマン方面のプロイセン軍を気にしたためかもしれないが、いずれにせよここで1時間から1時間半の遅れが発生(Volume 4, p154)。さらにフラーヌではバシュリュ師団を支援するフォワ師団の到着を待ったそうで、結果として攻撃開始が2時まで遅れた。もしレイユがネイの命令に文字通りに従い、ナポレオンからの命令がゴスリーに届いたところで前進を始めていれば、攻撃開始時間も随分早まっていたかもしれない。
だが消極的だったのはレイユだけではない。キャトル=ブラへの攻撃を始めたネイもまた戦い方は慎重で、例えばジェローム・ボナパルト師団が到着する前にはフォワ師団を予備にとどめ、バシュリュ師団のみが主に攻撃を行った。フォワ師団が攻撃に加わるようになったのは3時半以降になるし(Volume 4, p75)、ジェローム師団に至っては一部の兵力を除いてやはり後方にとどめおかれていた。ネイはその恰好でデルロンの到着を待っていたという(p116)。
もう1つの問題は、朝方ナポレオンがルフェーブル=ドヌーエットの親衛軽騎兵を使わないよう命じた点にある。16日になった時点で彼らはこの方面の最前線にいたのだが、その使用を禁じられたネイはケレルマンの騎兵軍団が到着するまでピレの槍騎兵以外の騎兵支援なしで戦うことになった。ネイは騎兵を単独で使うことが多く、その意味で騎兵の利用がうまかったとはいいがたいが、手元にある兵力すべてを使えなかったのもまた事実。後知恵だが、攻撃開始時点で手元の全戦力を投入することがキャトル=ブラで勝利する可能性が最も高い方法だったため、彼やレイユの慎重さはむしろ連合軍を助けることにつながった。
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