学問の投資効率

 米国で「高卒が大卒の所得を上回る」現象が起きていることについてのエントリーが、結構話題を集めていた。まずは米国で高卒の方が相対的に地位向上しており、特に「男の職場」が強いことを指摘。そのうえで日本の研究についても言及している。女性の高学歴化が進む中でエリート内競争の主役が女性になるのではという話を前に書いたが、なぜ女性の方が大卒が増えているのかを理解することも当然ながら必要であり、そのためにもこの記事は役に立ちそうだ。
 ここで指摘されているのは、女性が大卒(特に人文系)に流入した結果としてそうした学科の卒業生が向かう職種がレッドオーシャン化している、という状況だ。結果、そうした新たな労働力供給の少ない男性向けの職場や、女性があまり行きたがらないSTEM系の職場の方が相対的に労働側の売り手市場となっている、らしい。文中に書かれている通り、「男は高卒建設業を選択肢に入れて大学と天秤にかけるが、女はその選択肢を考えないので大学一択になる」「その結果大学全体で女に性比が偏る」というわけだ。
 注意すべきなのは大卒全体が沈んでいるわけではなく、選んだ学科によって学位取得にかかるコストとリターンに差が生じている点だろう。一部の学科だけ見れば高卒の方が(自分という人的資本への)投資効率はマシという状態なわけで、それを分かりやすく示しているのが文中でも紹介されているこちらの記事。大学における1年未満の教育修了証明のうち37%は高卒の平均を下回る所得にしかつながらないことが示されている(Figure 1)。
 そもそも修了証明を手に入れても1年未満の場合は卒業生の6割未満しか就職できていない事例が20%もあり(Figure 2)、大学まで行ってもどのような修了証明を手に入れるかによってその後の就職環境自体が大きく異なっていることもわかる。また大学進学に伴う負債と、手に入れた仕事の月収とを比較したグラフ(Figure 3)を見ると、短期間で終わる学科は大した収入につながらず、修士以上を手に入れてようやく学費ローンを楽に返せるめどが立ってくることもうかがえる。
 では具体的にどの大学を出れば儲かるのか。こちらの記事に載っている投資効率トップ10大学を見ると、ゴリゴリの理系大学と、軍、海事、鉱山大学といった職業訓練校っぽい感じのところがずらずらと並んでいる。後者は正直なところコスト自体の低さ(軍学校などは無料)がプラスしている面が強いと思われるため、実際に投資効率という観点で見れば圧倒的にSTEM系が強いと見ていいんだろう。
 それをより如実に感じさせるのが、大学単位ではなく学科単位で調べたこちらの記事。一覧表を見ると上位は「なんたらEngineering」がずらりと並んでおり、所得の中央値は高くて失業率は低い。それに対して下位に並んでいるのはまさに「お芸術系」学科。見た目は華やかともいえるが、実際には所得中央値は低く、失業率は高い。一方で上級学位の割合は上位のSTEM系と比べて大きな差はなく、つまり時間とコストは同じようにかかっている可能性が高い。
 これを見ると改めて「役に立つ学問」とそうでないものの差がよくわかる。面白いのは特に就職の役に立たない学問の方で、「お芸術系」と並んでさらっと心理学が出てくる。前に「千の顔を持つ英雄」の話で、フロイトやユングを使った分析がもはや時代遅れで意味のないものになっていると指摘したが、このデータを見ると学科としても心理学が米国で終焉を迎えつつあるのかもしれない、という気がしてくる。いずれは占星術のようになる時が来るのだろうか。
 そして、なぜ引く手あまたのSTEM系に女性があまり進学しないのかも問題となる。こちらの論文によると、ほとんどの国でSTEM系に入学できる能力を持っている女性の一部しか実際には入学していないという。それもジェンダー格差の小さい国ほどその傾向が強く、格差が大きい国では生活の質を上げるためSTEM系を目指す女性の割合が高いのだそうだ。皮肉なことに女性の権利が守られているところほど、自分で稼ぐことへのプレッシャーが低くなっているように見える。

 さらに日本についてだが、ここで紹介されているのは「花嫁修行学校」という発想が研究の俎上に乗っているのではないかという点だ。そういう切り口で書かれていると見られるのが、こちらの論文
 そこではまず学位取得にかかるコストとその後のリターンを見た収益率について、時系列のグラフを出している(図4-1)。リーマンショック以降に大学、短大とも収益率が右肩下がりの傾向があり、別の論文において2000年以降に男性の収益率が上がっているのを見ると、米国と同じ現象が起きているようにも見える。ただし足元でどうなっているかは研究には含まれていないため断言するのは難しいだろう。また日本の成長率が鈍化する中で男子中心とはいえ大卒の収益率が上がっている理由は何かも気になる。個人的には若者の人口減による人手不足が働いているような気もするが、女子の数字が下がっているということは、やはり日本でも「男の職場」ほど人手不足が厳しい(建設とか運送とか)のかもしれない。
 論文ではさらに後半に「花嫁修業学校」としての高等教育を考えているのではないかと思われる分析をしている。そこでは結婚していったん仕事を辞めた女性が、正規で復帰する場合、非正規で復帰する場合、専業主婦になる場合の3パターンで収益率を計算したのに続き、「学歴同類婚」の場合に夫婦トータルとしての収益率がどうなるかを同じく3パターンで計算している。「花嫁修業学校」の理屈が成り立つのは、専業主婦を選んだ場合の夫婦トータルの収益率部分であり、大卒女性が大卒男性と結婚した場合は仕事を辞める時期によるが3.9~6.2%のリターンを得られるという計算だ。
 もちろんこの数字は辞めずに仕事を続ける場合(8.3%)よりはずっと低いし、正社員として再就職する場合の夫婦トータル(5.8~7.3%)も下回っている。それでもなかなかの水準ではあるし、何より女子が短大・専門卒で男子が高専・専門卒の夫婦の場合(0.6~3.6%)を大きく上回っているのが重要だ。つまり高校を出た時点で短大や専門に進んで「学歴同類婚」するよりも、学費はかかるものの頑張って四大へ進み、同じ大卒の男性と結婚する方が、大きなリターンが得られることを意味している。「大学を花嫁修業学校として使う」ことが実際に投資効率のいい選択肢になるわけだ。
 ただしいくつか注意は必要。まずこの計算はモデルを使ったもので、実際にそういう事例があることを意味しているわけではない。むしろ最近ではM字カーブが次第に姿を消しつつあることが知られており、花嫁修業というよりも実際には仕事に復帰する女性の割合が高まっている。もちろん非正規が多いといった課題はあるとしても、収益率の高い専業主婦になるために四大に進む女性が増えているというわけではない。
 またこのモデル計算が成り立つためには「学歴同類婚」が成立しなければならないのだが、こちらのワーキングペーパーを見ると1980年には婚姻に占める学歴同類婚の割合は6割に達していたのに対し、2010年のこの数字は5割を切っている(図2)。大卒自体が増えているために大卒の学歴同類婚の割合は増えているが、必ずしも学歴同類婚が当たり前ではなくなっていることはわかる。それどころか足元で増えているのは「妻・下方婚」の割合だ(図3)。モデル計算をしていた論文によると、大卒女性が高専・専門卒の男性と結婚した場合の夫婦トータルの収益率は-0.9~4.4%と時にかなり低くなっていたが、それでも下方婚を選ぶ女性の割合は増えているのである。
 大学を「学歴同類婚狙いで進学する対象」と考えている女性が実際にどのくらいいるかはわからないが、少なくとも現実にはそういった経済的合理性だけで人間が行動しているわけではないと考えた方がいいんだろう。同様に、理屈のうえでは稼げる高卒と大学進学を天秤にかけられる男性についても、実態がどうなっているかはまた別途調べる必要がある。少なくとも米国では働き盛りの男性の就業率が長期低落傾向にあるそうで、大学一択の女性より選択肢がある男性の方が有利だと一概に決めつけるわけにもいかない。

 ただし長期的に先進国ではそもそも婚姻できる割合が減っており、その要因として仕事(というか収入)が関係していることが問題視されているのは事実だ。根っこにあるのは古いモデルが通用しなくなっていることなんだろうが、問題はその古いモデルが「親が実際にたどった道筋」である点か。親より豊かに、少なくとも親と一緒のレベルになれない状態は、人々が不満を募らせやすい。新しい傾向があちこちに見られるのは確かだが、その影響は楽観視しない方がいいのかもしれない。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント