横方向の再配置

 ロシアのウクライナ侵攻においては、少しずつウクライナが進んでいる様子が窺える。12日のISWの報告を見るとウクライナ軍がヘルソン州のドニプロ左岸に橋頭堡を築いたとロシアの軍事ブロガーが伝えているようだ。ただしISWはまだこの件については確認していないとしており、それまではウクライナ軍が本当に橋頭堡を築いたかどうかについて保守的な見方を取るとしている。実際、ウクライナ軍が左岸に投入しているのは軽歩兵だと伝えられており、ロシア側が反撃を行った場合にここが持ちこたえられるかどうかはまだ不明のようだ。
 その前の11日の報告ではザポリージャ州西部で戦術的な前進をウクライナが成し遂げたと指摘している。ただここで重要なのはどのくらい進んだかよりも、ウクライナの攻撃に対してロシアがどう対処しているかに関するISWの分析だろう。それによればロシア軍は攻撃に対処するため部隊を「横方向」に再配置しているそうで、つまり後方に置いている予備を投入するのではなく戦線の圧力が少ないところから圧力の多いところへの部隊シフトによって穴埋めを図ろうとしている。それだけ現存の防御戦力が低下している可能性が窺えるというわけだ。
 こうしたロシア側の作戦についてISWは「全体としてロシアの防衛線をさらに弱体化させる」と見ている。ウクライナの反撃によってロシア軍が固定されているバフムートや、逆にロシア軍がウクライナ軍を引き付けようとして行っていると見られるクピヤンスクのように、いくつかの地域に兵力が張り付けられた結果として、他の地域が弱体化した際にそこでのウクライナの活動が増すことが考えられるからだ(もしかしたらヘルソンの動きもそれかもしれない)。一方、ウクライナはまだ部隊をローテーションさせられる予備を残しているというのがISWの見立てで、彼らの方が戦線に余裕を持っていることになる。こちらによればロシア人士官が「戦果捏造文化」を解説しているそうで、捏造が歓迎されているあたりもウクライナの方がマシと思われている一因かもしれない。
 ただしロシアによるクピヤンスク攻撃はウクライナがこの方面の防御を大幅に強化することを強いているようだ。その意味ではお互いに陽動作戦を行いながらどこかで相手に破断界が訪れるタイミングを待ち構えている、という状況かもしれない。それも含めて相変わらず戦場は第1次大戦的な「戦線が動かないまま死者だけが積み上がる」状況が続いていると見た方がいいんだろう。そろそろ秋が来て泥の季節になることも考えるなら、両軍とも大きな動きを見せないまま戦線の膠着が冬まで続く可能性も踏まえておくべきかもしれない。
 というわけで兵士たちにとっては地獄だが傍から見ていると地味な殺し合い、という流れがウクライナでは続いている。あとは互いにどう殺しの効率を上げていくかというとても嫌な話になってしまうのだが、12日のISW報告はウクライナ軍がターゲットを特定してから攻撃するまでの時間を大幅に短縮したというロシア軍事ブロガーの発言を紹介している。つまり彼らはキルチェーンを回転させる速度を向上させているわけで、そのためロシア軍はこの地域でウクライナの攻撃から身を守るためには前線から10キロ以上離れたところを移動しなければならないのだそうだ。無残な話である。
 一方、ISWは引き続きワグナーとプリゴジンの話をちょくちょく報告に入れている。9日にはワグナーがベラルーシから引き上げようとしているとの話が流れ、ISWはプーチンとプリゴジンの間の合意の一部が破綻したのではないか、との見方を示していた。ただし10日の報告では引き続きベラルーシの施設にワグナーがいることが確認されたと述べており、要するに彼らの状況はまだよくわかっていないようだ。
 個人的にはワグナーとプリゴジンについては次に何か具体的動きが明確になるまで考慮に入れない方がよさそうな気がしている。そうでなくてもロシアのエリート内対立がどうなっているかを外部から予測するのは難しく、例えば身柄が拘束されたはずのギルキンが10日時点でもクレムリンを攻撃しているなど何が起きているのかよくわからない。かつてソ連時代はクレムリノロジー(ドイツではクレムリン占星術)と呼ばれる手法でソ連国内でどのような権力闘争が行われているかを推察しようとする試みがあったが、似たようなことをやっても結果を確認する手段がないため、あまりメリットがないように感じられる。まあ他に方法がないからこういうやり方がいろいろと出回っているんだろうけど。

 もう少し当てになりそうなものとしては、ロシアの経済を追う方法があるだろう。爆弾の導火線がどのくらい燃えているかを調べたいのなら、少しでも数字を使えるものから推測する方がよさそう。例えばルーブルの下落がその一例で、最近は侵攻直後の昨年3月以来の安値で推移している。理由の一つは侵攻の長期化に伴う戦費の増大で、国防費を当初予算から倍増させる事態に陥っているという。これは国家予算の3分の1を占めているそうで、現代国家としてはかなりの負荷だ(米国も国防費を増やしているが、予算比だとまだ13%)。
 一方で経済制裁の影響は石油・ガス収入などに現れており、こちらは47%減とほぼ半分。こちらによると短期的にはロシアは西側制裁に対応してみせたものの、中長期的な影響(それこそ2050年までの影響)は深刻になり、経済成長を抑制するのではと見られている。またインフレ率の見通しについてロシア中銀は7月に下限を上方修正して5.0~6.5%とした。前年の11.9%からは落ち着いているものの、軍の動員がもたらす人手不足からインフレが進むリスクは残っているそうだ。
 一方こちらの記事によると、2022年末の契約兵はロシアの平均給与の3倍以上の給与をもらい、死亡時には多額の一時金も支払われているという。戦争開始前のロシア兵はもっと安い給与で使われていたが、ウクライナ戦争のために金に糸目をつけず、なおかつ数をそろえるために兵役経験のないものまで景気よく集めている様子が窺える。そりゃ国防費も跳ね上がるってもんだ。もしかしたらクレムリンは札束で顔をひっぱたきながら兵士を集めれば、いずれウクライナが持ちこたえられなくなるまで戦争を続けることが可能だと考えているのかもしれない。
 こうして集める兵のレベルは推して知るべしだし、やっていることは戦場でひたすら札束を燃やしているようなものだが、管理通貨制度が短期間に破綻することはないと見ればこういう対策もあるんだろう。その代わり後の時代がそのツケをもろにかぶることになる。こうした投資を合理化するためには侵攻先を徹底して収奪する方法があるが、そもそもロシアより貧しい国に侵攻し、現地で破壊の限りを尽くしたうえで何を収奪すれば採算が取れると考えているのかはさっぱりわからない。むしろ戦争がいかに合理性と程遠いところで起きる現象であるかを象徴する事例に見える。

 とはいえロシアのみが苦境にあると考えるのは違うだろう。経済で言えば例えばEUを離脱した英国で「失われた経済成長」が今後5年続くといった見通しが示されているし、中国では直接投資の急減が大きな注目を集め、Noah Smithが「中国経済はどんどん弱くなり続けているように見える」と厳しい評価をしている。米国では世論調査で過半数がウクライナへの追加援助に反対し、特に共和党が彼らを見捨てようとしている。そして日本では戦争の可能性を踏まえると最も有能でなければ困る「幹部自衛官の知的・学術的水準が相対的にみて、他国の将校クラスよりも心もとない」と言われてしまっている。
 どの国にもそうした課題のある時代ではあるが、トラブルとして表に出やすい西側と異なり、中ロについてはやはりクレムリノロジー的な視点がどうしても増えてしまう。例えばこちらでは中国が「党の指示で必死に木を伐採し、次々と耕地にしている」という話が出ている。国際的な孤立感が強まる中で食糧確保に動こうとしているのかもしれないが、リツイートにもあるように多くの人が「大躍進政策」を思い出してしまうのが実情だ。
 あるいは「難しくなった中国の現状把握、士気低下と保身で誰もが多く語らず」という記事。最近の彼らは外国のエコノミストなどに対して当たり障りのない発言や習近平の言葉の引用で済ませる度合いが増えているそうで、反スパイ法に対する警戒、当事者の無気力、保身といった態度が目立つようになっている。どうやらグローバル化の激しい逆回転が起きているようだ。
 もちろん陰鬱な話ばかりではなく、引き続きSNS上では大喜利も行われているが、一方でSNS上での炎上も続いている。それが人間社会と言ってしまえばそれまでだが、やはり殺伐とした印象はぬぐえない。
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