1795年ライン 反撃4

 SchelsのDie Operazionen des Feldmarschalls Grafen Clerfayt am Rheine vom Main bis an die Sieg, und General Jourdans Rueckzug ueber den Rhein, im Oktobar 1795(p278-305)の続き。今回も地図はこちらのReymann's Special-Karte(20万分の1)と、Old Map OnlineにあるMesstischeblattの2万5000分の1地図を参照。
 11日夜明け、エアバッハは一定の時間を置いて大砲を数発撃たせた。これを何らかの合図と見て取ったヘーヒストのフランス軍は対岸を砲撃。敵が反応したのを見たエアバッハは、続いてイゼンブルクの森からいくつかの部隊を平地に送り出し、まるで攻撃準備をしているかのように見せかけた。マイン河沿いのフランス軍はこの陽動に引っ掛かり、ヘーヒストではフランス軍が戦闘用の隊列を敷いて姿を見せ、正午までその状態を維持していたが、その時オーストリア軍の主力が本当の目的地であるベルゲンへ姿を見せた。監視部隊のナウエンドルフはザクセンハウゼンを包囲し、他の部隊は予定された陣地を占めた。
 前衛部隊も夜明けと同時に動き出していた。クライは第1師団を率いてキンツィヒを越え、シュターダーは残る2個師団とともにオフェンバッハ付近でマインを渡った。これら前衛3個師団は遭遇したフランス軍の偵察部隊をニッダまで押し込み、それからハディックは第3師団をフィルベルに集めてニッダを渡り、対岸に哨戒線を敷いたうえで強力な偵察隊をオーバー=ウアセル、ホンブルク(バート=ホンブルク)、フリートベルクへと送り出したが、どこにも敵はいなかった。ボロスの第2師団とクライの第1師団はニッダ河畔をバーカースハイムからマインとの合流点まで占領。主力軍は昼頃にはベルゲンに到着し、ベルガー・ヴァルテとフリートベルガー・ヴァルテ(いずれもフランクフルト北東にあった監視塔)の間に宿営した。
 ジュールダンはこの奇襲に対して上手く反応できなかったようだ。それでもクレルフェによるこの機動が甚大な結果をもたらすことは理解していた。11日にクレベールはニーダー=ヴァラウフの司令部からライン左岸のグーヴィオン=サン=シールに対し、サンブル=エ=ムーズ軍が翌日には攻撃を受けること、それに対応するべく、左岸のルノー師団を右岸に動かしてこの方面からのマインツ包囲を担当させ、それで浮いたベルナドットとシャンピオネの両師団をジュールダンが使えるようにするとの命令を伝えた。グーヴィオン=サン=シールは残る左岸の3個師団を指揮する。
 命令を受けた彼は12日朝、ニーダー=ウルム(ニダー=オルム)の司令部からクレベールの命令の写しをピシュグリュに送り、ジュールダンはいつでも攻撃があり得ると見ていると知らせた。またオーストリア軍が中立地を通っていることや、その右翼がフリートベルクに向かっている件についても連絡しており、そうなるとジュールダンの左翼は迂回されるため、彼が踏みとどまって会戦に応じることは考えにくいと告げている。

 続いてSchelsがクレルフェの反撃について記したのは、こちらのp3-35だ。10月11日夕、クレルフェはプロイセンのホーエンローエ公から中立侵害に対する抗議を受けた。彼は、オーストリアが承認していない中立地について帝国軍の移動に際して考慮に入れることはできないと返答。またこの中立を尊重するよう条約で義務付けられているフランス軍の方が、先にアイヒェルカンプで(9月上旬に)それを侵害したことについても言及している。
 ジュールダンの陣地は右翼をラインに、左翼を中立地に置き、割と狭い正面もマインにカバーされていた。フランス軍はこの戦線を正面から突破されることはないと考えていたが、クレルフェがニッダ河畔に展開したため彼らは左翼を脅かされ、マイン沿いにはエアバッハが牽制をかけてきていた。ヘーヒストからクローネンブルク(クロンベルク)まで戦線を延ばしていたルフェーブル師団が今や連合軍主力と対峙する最前線となり、残る3個師団は後方のランゲンハイン、ヴィッカート、フレアスハイムにいる状態となった。
 彼らが急いで前線に到着すれば、クレルフェ相手に4万5000人弱で戦闘を仕掛けることはできた。またライン右岸からマインツを囲んでいた2個師団(1万8000人)を投入すれば、クレルフェの4万2000人に対して6万3000人近いフランス軍を投入できただろう。だがそのうち少なくとも1万人はマイン沿いに牽制しているエアバッハへ対抗するために残す必要があり、また上に述べた通り、シャンピオネとベルナドット師団を使えるようにするためにはルノー師団が左岸から移動してきてマインツ守備隊による背後からの攻撃を防ぐことができるようにしなければならなかった。
 1万人をマイン沿いに残して右翼を守り、残る5万3000人弱で連合軍主力と対峙する。左翼ではケーニヒシュタインの砦とクローネンブルク近くの高地を拠点とする、といった可能性を考慮したうえで、クレルフェはジュールダンが会戦を受け入れるであろうと考え、それを前提に攻撃計画を定めた。ニッダ沿いのオーストリア軍はフランス軍の新しい戦線とかなりの急角度で面しており、左翼はヘーヒスト付近でフランス軍と接している一方、右翼はフランス軍から3マイル以上離れた場所にあった。
 クレルフェが考えたのは右翼に主力を集め、フランス軍の左翼を攻撃する計画だった。攻撃開始位置に軍を集めるには2日を必要とした。クレルフェは12日に左翼にフランス軍の注意を引き付ける間に右翼にニッダを渡らせ、前衛部隊にオーバー=ウアセルを占領させようとした。12日から13日にかけての夜間にオーストリア軍右翼はこの地に集結し、13日朝にはヘーヒシュタットを経てクローネンブルクを攻撃する。クレルフェはこの想定をエアバッハとマインツ総督のノイに伝え、13日になるまで陽動は仕掛けないよう命じた。
 一方、ジュールダンは12日の夜明け前に連合軍前衛部隊の左翼を攻撃した。強力な縦隊がニッダ下流に接近し、ニッダ(ニート)村を奪おうとした。ボロス率いる前衛第2師団がこの村とその背後に部隊を展開しており、それに対しフランス軍はそこにある橋へと進んでニッダ右岸の小屋を奪おうとした。ヴュルテンベルク公が2個中隊とともに村にかけつけ、これらの攻撃を撃退。だがフランス軍はさらに多くの兵を前進させて攻撃を繰り返し、ボロスはさらに増援を村へと送り込んだ。
 フランクフルト対岸のザクセンハウゼンを取り囲んでいたナウエンドルフは、ヘーヒスト対岸のマイン左岸に砲兵を配置しており、ニッダ村を攻撃するフランス軍の右側面を砲撃した。ニッダ左岸を遡ったレーデルハイムまでの茂みにはボロスが狙撃兵を配置し、その背後にも支援の部隊を置いた。これらの地点でもフランス軍は渡河を試みたが同じように撃退された。戦闘は日没まで続き、ボロスの損害は220人を超えたという。
 前衛部隊の右翼ではニッダ対岸にいたハディックが朝のうちに偵察隊を送り出したが、敵とは全く出会わなかった。偵察隊の1つはフリートベルクを経てヴェッツラー街道を進み、ブッツバッハで放棄されたフランス軍の物資を奪った。昼頃にはロートハイム(フリートベルク南西)からヴェーアハイムを経てウシンゲンにも部隊が送られ、フランス軍を騙すためにそこで2万人の兵を受け入れると称した準備が始められた。さらに偵察隊がエシュ、カムベルク(バート=カムベルク)、ヴィンデン(ヴァイルミュンスター南方)、そしてラーン河畔のヴァイルブルクにまで送り出された。ウシンゲンとの連絡を維持するためハディックはフリートベルクとホンブルクにも部隊を配置した。
 クライの第1師団はバーカースハイムからヘッターンハイムまで敵に悩まされることなく展開していた。ベルゲンの主力とマイン左岸の監視部隊もそれぞれの位置にとどまっていた。マインツ守備隊もこの日は動かなかった。オッペンハイムのフランス軍は派遣議員から12日朝に対岸へ陽動をかけるよう連絡を受けた。彼らは実際に12日に渡河してオーストリア軍の前哨線を排除した。だが砲声を聞いたグーヴィオン=サン=シールが駆け付けた午後には彼らは孤立の危険に晒されており、サン=シールは急いで橋頭堡に退却するよう彼らに命じた。
 同日、ジュールダンは将軍たちとヘーヒストで会議を持った。そこで出た対策案は2つ。ライン右岸で包囲している2個師団を含めてニッダに向けて前進し、勝利を収めたうえで包囲を再開するというものと、マインツ及びエーレンブライトシュタインの包囲に当たっている部隊を呼び戻し、ラインを下って退却するという案だった。後者を支持する論拠として、ピシュグリュの軍が攻撃に参加する希望がもはやないこと、クレルフェの作戦がなくても食糧などの欠乏によってサンブル=エ=ムーズ軍は現在の布陣を放棄することを強いられるであろうといった点が挙げられた。こうした状況下で会戦を行なうのはあまりに危険だった。
 全員が後者の案を支持した。ジュールダンはマインツ包囲を12日から13日にかけての夜間に解除し、全地点で退却を始めるよう命じた。クレベールは右翼のシャンピオネ、ベルナドット師団とともにヴィースバーデン、ランゲンシュヴァルバッハ(バート=シュヴァルバッハ)、ナッサウを経てモンタバウアーへ後退し、そこでマルソー師団を回収してノイヴィートでラインを渡る。中央のグルニエ師団とポンセ師団はリンブルクを経てボンへ、左翼のティリー、ダルヴィユ、ルフェーブル師団はアルテンキルヒェン、ジークを経てケルンとデュッセルドルフへと移動することになった。
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