データの選び方

 Turchinがウクライナ戦争に関する4つめのエントリー、War in Ukraine IV: Projectionsをアップしていた。戦争の今後についての予測を記したものであり、せっかくだからこちらもこの計算法を試してみるとしよう。ただし彼とは違うデータを使って。
 Turchinはまずウクライナ軍がどのくらいの損害まで耐えられるかについて、75万人という数字を出している。論拠となっているのはこちらの匿名ツイッター。第二次大戦中のドイツ軍の損害を使った計算法だが、なぜソ連(ドイツより損害の割合は高かったが国は崩壊しなかった)のデータを使っていないかなどについて説明はない。Turchin自身も認めている通りロシア寄りであるこの匿名ツイートを使うより、もっと客観的なデータがあるならそれを使う方がいい。
 というわけで開戦前のウクライナ軍の戦力についてニュースメディアが紹介した数字を使おう。それによるとウクライナの陸上兵力は実働数が20万人弱、予備が90万人となっているので、この数までならウクライナは兵士として使用できると考える。といってもこの約110万人が全滅するまで敗勢にはならないと考えるのはさすがに極端。開戦時の実働戦力を割り込んだところで敗勢が固まると考えるなら、ウクライナが耐えられる損害は90万人となる。
 続いてTurchinはランチェスターの法則から月間2万4000人の回復不能な損害をウクライナが被ると計算している。死者が1万2000人で、それと同数の戦闘復帰不可能な兵が出るという理屈だ。前にも述べた通り、論拠は「異端の退職者たち」であり、補強材料として匿名サイト、及びCovid-19との類推を使った推計を挙げている。
 正直どれもデータとしての信頼度は怪しいと思うので、ここではニュースサイトが報じた米国の推計を使う。ウクライナは2022年2月以降に侵攻された領土のうちおよそ半分を既に取り返しているが、Turchinの主張するようにウクライナの損害がロシアの4倍に達しているとしたらこうした現象が起きる可能性は極めて低い。むしろ米国の推計のようにウクライナの損害の方が少ないと考える方が平仄が合うだろう、と考えるのも根拠の1つだ。
 さらにTurchinの言う標識再捕獲法として、ロイターが報じたポルタヴァ地域の死者数を使おう。戦争前に130万人を数えたこの地域での戦争による死者数は報道時点で1072人。これをウクライナ全土の開戦前人口に適用すれば推計死者数は3万4000人ほどになる。米国の推計より高いが、Turchinが出している数字よりは桁1つ少なく、どちらがより信頼性の高いデータであるかを推測するうえで役に立つ。他国のCovid-19データという性質の異なるデータを使っていない点でも、Carlの推計より蓋然性は高いだろう。
 米国の推計だとウクライナは15ヶ月で2万人(1年だと1万6000人)の死者を出している。これに同数の戦闘復帰不可能な兵がいると想定するなら、ウクライナの損害は1年で3万2000人となり、彼らが損害に耐えられなくなる(つまり損害が90万人を超える)のは開戦から28年以上後になる計算だ。
 それだけ長期にわたってロシアが1日2万発という砲弾消費を続けることは可能だろうか。ニュースメディアの報道によればロシアが戦前に蓄えていた砲弾は1700万発戦争前の8年間の砲弾生産数は356万発で多い年は73万発だったという。開戦後に生産能力を年100万発まで増やしたとしても、3年しないうちに砲弾が底を尽く計算で、それ以降はウクライナに与える損害ペースが大幅に落ちる。つまり実際にはもっと長期にわたってウクライナは戦争を続けられる計算となる。
 ちなみにTurchinはロシアの砲弾についても匿名サイトを使っている。その主張によると戦前の貯蔵数は2000万発、生産能力は年340万発になるが、この数字でも5年経過後には残弾100万発となり、やはり砲撃を継続することはできなくなる。そもそも3月時点で、バフムートが落ちればウクライナはその先の平野でワグナーの攻撃を支えることができないという間違った予想をしている匿名サイトのデータを使っていること自体に疑問を覚える。
 以上がTurchinの計算式を使った私の予測だ。Turchinが言うような「問題はウクライナがいつ負けるか」という結論にはならず、敗勢が見えてくるはるか手前でロシアの砲弾が尽きるという予想になる。ちなみにロシア側についても状況は同じで、現有戦力と予備を含めた290万人のうち270万人が回復不能になった時点でロシアの敗勢が見えると計算した場合でも、そうなるまでにはウクライナより長い34年ほどの時間かかる。Turchinが採用しているドイツの被害からの推計値を使うのならその期間は67年にまで伸びる。今の状況が続く場合、ロシアの敗北はあり得ないというTurchinの指摘には同意する。
 おそらくこの計算から予想できる結末は、以前こちらで紹介した専門家が述べていた「凍結された紛争」だろう。どちらも先に攻撃手段の欠乏に見舞われ、決定的な一撃が与えられないまま小競り合いが続き、その途中で「中途半端なディール」が行われると見るのがいいのではないだろうか。もちろんTurchinの言うようにプーチン体制の崩壊やNATOの参戦、あるいは逆にNATOがウクライナ支援から手を引くといった事態の変化があれば結果は大いに異なるだろうが、それは今回の計算の対象外だ。

 なお念のため言っておくが、私はTurchinの予測が外れると主張しているわけではない。こちらの予測が外れて彼の予測が当たる可能性は当然ある。なぜならどちらも現時点で明確になっていないデータを使って計算しているからだ。問題はその明確になっていないデータの信頼度にある。Turchinは「異端の退職者」や匿名サイトのデータに頼り、こちらは国家などの推計を報道しているニュースメディアの情報を使っている。普通に考えれば前者より後者の方が信頼度は高い、はずなのだが今の時代は必ずしもそうは思わない人が大勢いる。不和の時代に入ったせいで国家や既存メディアといったエスタブリッシュメントへの不信が募っているからだろう。
 だが、いくら国家が信用できないからと言って、正体不明な匿名サイトの情報や陰謀論を唱える「異端の退職者たち」を代わりに信じるのはさすがにバランスが悪すぎる。予測をする際に重要なのはその予測がどれだけ整合性が取れ蓋然性が高いかであって、結果として当たればそれはいい予測、ということにはならない。怪しいデータを使った予測が偶然当たってもそれが次も当たる保証はないからだ。逆に真っ当なデータを使って予測をすれば、外れたとしてもどこが間違っていたかを検討することで次回以降の予測の精度を上げることが期待できる。学者ならそうした前提でデータを選び、予測を行うべきであろう。
 残念ながらTurchinは今回のエントリーでそうした努力を放棄しているように見える。私がちょっと探すだけで見つけだせる程度の比較的まともなデータがあるのに、匿名サイトのデータばかりを使っているのがその理由。この分析態度と、米国に関する分析の際のきちんとしたデータ選択とを比べると、あまりの差に愕然とするほど。対象によってここまでやることや言うことが変わってくる研究者が過去にいなかったわけではないが(リン・マーギュリスなど)、個人的にそうした研究者の言うことはあまり信用しないようにしている。
 ウクライナ戦争が始まった直後、私は「ロシアに関するTurchinの分析はあまり当てにしない方がいいんじゃないか」と書いた。当時はほとんどただの直感に過ぎなかったが、結果的には当たっていたようだ。従って個人的には、他のテーマはともかくロシアの絡んだ話に関しては、今後Turchinの言い分に対して眉にたっぷりと唾をつけるようにするつもりである。

 なおTurchinが熱心に紹介しているランチェスターの法則(OLモデル)だが、こちらのTurchin読者も指摘しているように最近の研究ではむしろ二次法則より一次法則の方が足元の戦闘の実態に合っているのではないか、との説が存在するようだ。さらにある研究者は「全体的に戦闘の理解は進んでいない」と結論づけているという。Turchinが紹介するほど簡単に「戦争の数学」が確立できているわけでもなさそうだ。
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