砲兵の決闘?

 Turchinのありがたいところは、私にとって面白いアイデアをいろいろと提示してくる部分にある。例えばこちらでリツイートしている各種のデータ。冒頭に出てくる米国の精神病院と刑務所の人数推移などはなかなかシュールだし、2番目にあるメディアの見出し傾向の変化などはいかにも不和の時代っぽさ満載。もちろん3番目の特殊合計出生率に関するデータなどは日本人は見慣れたものだと思うが、全体としては面白いものが多い。
 例えば米国のニュース番組では製薬会社の広告がやたらと多いという。米国の医療費が異様に高いことは前にも書いているが、その高い医療費はこうやって広告費に化けている、のかもしれない。もちろんそうではなく、単に米国でも高齢化が進み、加えて若者はテレビではなくネットを閲覧するようになっているので、結果的に高齢者向けの広告が増えているだけとも考えられる。他にも男性のテストステロン低下と出生率の低下を並べているデータもあるが、これも実際には高齢化が原因かもしれない。

 もちろん言っていること、紹介していることが面白いからといってTurchinの言い分に常に合意しなければならないわけではない。前回に続いてblogにアップしていた戦争をテーマにしたエントリー、War in Ukraine II: The Modelもそうで、面白い指摘と、同意できない部分とが入り乱れている。
 一例がランチェスターの二次法則(Turchinはオシポフの名も含めてOLモデルと呼んでいる)についての話。彼によるといくつかの研究で戦力を比較する際に自乗するのは過大だという指摘があるらしい。どうやら実際に過去の戦争の例を調べると、べき指数は1から2の間くらいが適切だそうだ。残念ながらどのような研究でそう指摘されているかまではわからないが、こういった細かい知識が増えるのはそれ自体は喜ばしいことである。
 続いてTurchinが指摘するのはウクライナ戦争による損失の80%が砲兵によってもたらされているとの指摘。これまたソースが示されていないのだが、火薬革命の定着期に当たる現代において戦場で砲兵が大きな役割を果たしていることに違和感はない。また砲弾の使用量について紹介しているウクライナ側が1日あたり5000発、ロシアが2万発という推計値も、全体的なイメージとしては適当だと思われる。ロシア側が152ミリ、ウクライナ側(NATO)が155ミリ砲弾を多く使用しているといった違いはあるとしても、全体として使っている砲弾の比率が4対1前後、少なくともロシアの方が多いという点は、これまでの情報を見る限りおそらくそうなんだろう。
 面白いのはその後に出てくる「砲弾10発につき1人の損失(戦死または負傷)が生じる」という部分だ。TurchinはUltrasocietyのp157を見ろと言っているが、実際にUltrasocietyに書かれているのは「10本の矢のうち1本が損害を与えるとしたら」という内容であり、砲弾とはえらく違う。ただまあ現代の戦争は塹壕のような火薬兵器に対する防衛法が極端に発展していることを踏まえるなら、結果的にこの数字が似てくる可能性はあるだろう。
 こうした基本的なOLモデルに、さらに追加的な条件を加えるべきかどうかについても言及している。まずテクノロジー的には両軍に大きな差はなく、戦闘技術という点ではドンバス内戦を長く続けているウクライナが有利だが、時間が経過するにつれてその差は縮まる。士気については消耗戦での影響は限定的であり、防御か攻撃かという点では両軍とも攻防両方を行っている。大砲以外の兵器についてどう計算するかはなお未解決で、時間と空間の変化についても考慮は必要。もちろん兵站もそうだ。
 中でもTurchinが重要だと考え、今後もエントリーを上げるとしているのが生産能力と双方の戦争目的の部分。前者についてはNATO側の兵器備蓄量がかなり減っているとの指摘がある一方、ロシアは精密誘導弾用の部品が不足しているという話が前々から伝わっており、どちらにとっても重要な要素なのは間違いないだろう。そして後者も極めて重要。ただロシアを国境外に追い出すというウクライナの目標が割と明確なのに対し、ロシアの本当の目標はプーチン政権の維持なのかウクライナに民主的国家が成立しないことなのかよくわからない部分があり、この判断は簡単ではないはずだ。
 そうした面白い部分とは逆に疑問もある。彼の紹介する理論に従うのなら「ウクライナの損失はロシアのおよそ4倍と予測できる」ことになるのだが、問題は現時点でその予測が大幅に外れているように見えること。こちらにはいくつかの損害推計が紹介されているが、米国による今年5月21日までの累計の損失推計を見るとウクライナが戦死2万人、負傷13万人に対してロシアが戦死5万人、負傷18万人となっている。4倍どころかロシアの方が1.5倍以上も損失が多い有様だ。
 およそ15ヶ月(450日)にわたって双方が放った砲弾の数をTurchinの紹介した数字に基づいて計算するとロシア900万発に対してウクライナは225万発となる。つまり、ロシア側の損失はウクライナの砲弾数の10分の1(22万5000)に近い23万人となり辻褄は合うのだが、ロシア側の砲弾は60発ごとにやっと1人の損害を与えたという計算になってしまう。もしこれが両軍の技量の差なのだとしたら、ウクライナ砲兵はロシア軍の6倍も効率的な技量を持っていることになる。そこまで行かずとも「砲兵の決闘」ではウクライナが有利だとの報道もあるわけで、単純に砲弾の数を信じればいい、というわけでもなさそうだ。
 Turchinも認めている通り、そもそもランチェスターの法則は戦争全体ではなく個別の戦闘を分析するためのツールだ。また戦争全体に適用するとしても、大衆の困窮化やエリート過剰生産といった数十年単位にわたる構造的変化を追うものではなく、ずっと短期間で限定的な分野を対象にしたものにならざるを得ない。数多くの戦争を母数として取り上げれば大数の法則が働いてモデルに近い結果が出てくるかもしれないが、個別の事例だとボラティリティが高すぎて予測を外すリスクがそれだけ高いのではなかろうか。
 要するに戦争のような事象を分析するうえで数字を使った予測はあまり効果的ではないんじゃないか、というのが私の考え。こちらでも説明変数として短期に大きく変わるようなものを使うのは避けたほうがいいと書いたが、それは戦争についても成り立つのではないかと考えている。

 実際ウクライナの戦い方は、数で決まるような単純な「砲兵の決闘」を狙っているわけではないように見える。ISWの11日の報告ではウクライナのミサイル攻撃によってロシアの中将が戦死したと指摘。彼らが引き続きロシアのキルチェーンの結節点、つまり弱点を狙っている様子がうかがえる。15日の報告ではニューヨークタイムズの「ウクライナが自軍の損害を減らしてロシアの戦力を消耗させる戦略」に転じたとの報道に触れ、ウクライナ軍が領土奪回の代わりにロシアのマンパワーと装備を擦り減らすことに力を注いでいるとの見方を改めて示している。
 こうした戦い方は、もし本当に実効性を上げているのなら上に述べた両軍の損失差をさらに広げる効果をもたらす。もちろんロシア側が一方的に負けているかどうかはわからないし、航空優勢のない中での攻勢であることを考えるならウクライナ側も多くの損害を被っている可能性がある。実際の損害がどうなっているかは神のみぞ知るなのは確かだが、だからと言って単純な砲弾の数字の比較から結論に飛びつくのもあまり賢いやり方には見えない。
 そういった定量的ではない、より定性的な部分に目を向けると、ロシア側の状況はとてもバラ色には見えない。ISWの11日の報告には、部隊のローテーションがないことに懸念を表明したポポフ少将をゲラシモフが解任したという話があったのだが、そのポポフが上層部への不満をぶちまけたビデオが後にリークされたとISWの13日の報告で紹介されている。それによれば彼はロシア軍の対砲兵戦争能力の欠如、砲兵偵察基地の不在、そしてウクライナの砲撃によるロシア側のかなりの損害について述べていたそうで、つまり「砲兵の決闘」の実態がロシア側不利に傾いていると主張している。またポポフの行動はゲラシモフやショイグの排除を求めたプリゴジンとも相通じるものがあり、ロシアの現場指揮に相当な問題が発生しているとも考えられる。
 15日の報告ではさらにセリヴェルストフ少将の解任も伝えられており、ロシア軍がウクライナの戦場から従順でない指揮官たちをパージしている様子が窺える。こうした追放はロシア国内における党派的分断を悪化させる恐れがあるというのがISWの見立てで、その対立する各党派は情報空間のコントロールを巡って相争っている可能性があるそうだ。Turchinはグループ内の団結力が重要であるとしばしば記しているが、それは現在のロシア軍内部で最も欠けているものではないか、との疑いが浮かぶ。
 16日の報告ではこの現場指揮官の不服従がさらに悪化していることが指摘されている。国防省は戦闘力の高い部隊から指揮官を移動させようと試み、指揮官たちはそれをやると現場の士気が下がるような情報環境を作ることでこれに抵抗する。そもそもプーチンが指揮系統を無視して介入したがることがこういった不服従の背景にあるそうで、結果としてそれはウクライナとの戦争におけるロシア軍の能力を引き下げている。ワグナーが反乱当時に核兵器奪取を試みたとの説が出ていることも含め、どうやらロシアのエリート内対立は深刻に見える。
 戦争ではなく外交面でもロシアの方が失敗していることは否定しがたい。一例はスウェーデンのNATO加盟についてトルコが容認する姿勢を見せた点で、これでバルト海がNATOの海と化すことになる。プーチンはNATOの東方進出を大いに助けた大統領として後世に名を遺すことになるのかもしれない。
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