トレビュシェット 下

 前回トラクショントレビュシェット(牽引式投石機)の話をした。各種動画に出てくるその動作が実際の使われ方と違っているのではないかという点について、研究者による再現実験などを紹介し、相違点を説明したものだ。牽引式の投石機に比べて後から登場したカウンターウェイトトレビュシェット(重力式投石機)の印象が強すぎるのか、そちらに引きずられて実際の牽引式の動作とはかなり違う動きを想定した動画が多くなっている。
 実際、前回紹介したThe Traction Trebuchet: A Triumph of Four Civilizationsの中でも、重力式の投石機は数世紀にわたるハイブリッドトレビュシェットなどの研究の集大成として出来上がったのではなく、機械式攻城兵器の挙動に対する原則的なブレークスルーによって誕生した兵器だと指摘されている(p457)。実際に誰が発明したかは不明だが、その人物は全面的な尊敬に値する、と記している研究者もいるそうだ。
 だが牽引式の細かい挙動が忘れられたのは、重力式のインパクトが強かっただけではなさそうだ。こういった攻城兵器の歴史について取り上げる際にちょくちょく言及される「マンゴネルの神話」も影響している可能性がある。The myth of the mangonel: torsion artillery in the Middle Agesという論文が代表的だが、ギリシャ・ローマ時代に使われていた「捻じれ」の反動を利用した攻城兵器が中世にも続けて使われていたという19世紀頃の説は間違っている、という話だ。今では過ちだとされているこの説によれば、欧州では牽引式の投石機はそもそも使われず、ローマ時代の攻城兵器が廃れたのは12世紀における重力式投石機の登場がきっかけだった、という話になる。
 The Traction Trebuchet: A Reconstruction of an Early Medieval Siege Engineによると、そもそも牽引式投石機が無視されるに至ったきっかけはルネサンスにあったという。ギリシャ・ローマ時代のものは何でも褒めそやしたルネサンス人たちは、明確さに欠ける文献を使って空想的な古代兵器を図像に残し、それを見た19世紀の歴史家が空想的な武器を正確なものと見なしたうえに、中世の「マンゴネル」と呼ばれる兵器こそがそうした武器だったのだという説を唱えたという(p138-139)。代表的な人物がフランスのViollet-le-Ducと、英国のPayne-Gallwey(The Traction Trebuchet: A Triumph of Four Civilizations, p435)だ。
 後者は単にルネサンスの図像を引っ張り出すだけでなく、実際に「捻じれ」を使った兵器を再現してその効果を調べた。問題は彼が再現に際し、高度な産業革命以降の技術をフル活用してしまったこと。現代の金属加工技術で製造されたラチェットが古代や中世にそのまま作れるわけもないのだが、そうした視点は抜け落ちていたようだ。実際には「捻じれ」を使った攻城兵器はローマ帝国という社会的政治的技術的なシステムがあって初めて製造・維持できた兵器であり、そうしたシステムが崩壊して以降も使用されたと考えるのは難しい。捻じれを使わず、シーソーのように簡単なパーツで製造できるトレビュシェットの方が、中世社会では利用可能性が高かったし、実際に「捻じれ」を使った兵器の存在を具体的に示す史料は乏しいという。
 ちなみに、ギリシャ・ローマ時代に最初に現れた攻城兵器は、「捻じれ」ではなく「張力」を利用した大型のクロスボウのような兵器だったと思われている。遅くとも紀元前4世紀初頭には現れていた(A Companion to Greek Warfare, p107)この兵器は、しかしすぐに繊維や腱をより合わせたスケインを使って弾を撃ち出す兵器に取って代わられた。The Traction Trebuchet: A Reconstruction of an Early Medieval Siege Engineの中にはそうした古代兵器の名称に関する説明が乗っており、「捻じれ」torsionを使った兵器としてアルクバリスタ、バリスタ、カタパルト、オナガーといった名前を紹介している(p166-167)。
 捻じれ兵器ではなく牽引式のトレビュシェットが使われたのは、技術的な要因だけではなかったとの見方もある。The Traction Trebuchet: A Triumph of Four Civilizationsでは、単純に機能面での格差を紹介している。捻じれを使った兵器では、最大でも60ポンド(27キロ)の石を投げるのが限界であり、しかもそうした兵器は滅多に使われなかった。実際に最も利用頻度が高かったのは30ポンドや40ポンド(14キロと18キロ)にとどまっていたそうで、実際にはそれほど大きな石を投げられたわけではないようだ(p436)。
 それに対し、前回も述べたようにトレビュシェットははるかに大きなサイズの石を投じることが可能だった。牽引式でも100~200キロ、重力式なら1トン前後の石を投擲できたという記録があり、どうやら火薬と同様、ユーラシアの東部(中国)で発明されたトレビュシェットが、西部(欧州)で使われていた張力や捻じれを利用した攻城兵器より優れた技術だったと思われる。技術的に難易度が低いうえに、より強力な兵器になるのであれば、敢えてギリシャ・ローマ時代の兵器を使い続ける必要もないだろう。ローマ時代の文献は残っていたため捻じれを使った兵器の存在は中世でも知られていたと思われるが、小型の兵器を除くと実際にはほぼ使われていなかったようだ。

 それにしても研究者に混乱をもたらしたマンゴネルという名前はどこから生まれたのだろうか。The Traction Trebuchet: A Reconstruction of an Early Medieval Siege Engineでは、アラビア語で投石機を意味するマンジャニークという言葉から由来したのではないかという説を紹介。さらにビザンツのマンガノンという言葉も含めて、アラム語のアラーダーという言葉から派生した可能性にも触れている。アラーダーはギリシャ語のオナグロス(オナガー)から来たものであり、1本のポールを使って投石を行なう同名のローマ時代の捻じれ武器が、後にアラブ世界で同じく1本のポールを使って投石する牽引式のトレビュシェットを指すようになったのではないかとの見方を示している(p143-144)。
 この手の名称に関する推測は結論を出すのが難しいので、どこまで正しいのかは不明。確かにローマ時代のオナガーという言葉から派生したと考えると、例えば中国で砲が投石機から火薬兵器を意味するものに変わったように、一見して辻褄が合っているように思える。でも断言できるほどの材料があるようにも思えない。
 それに牽引式のトレビュシェットが中国からどのようにユーラシア西部に伝来したかもはっきりしているわけではない。The Traction Trebuchet: A Reconstruction of an Early Medieval Siege Engineではこの武器がアラブ人とイスラム教徒を通じて6世紀にはビザンツへと伝わったと記しているが(p144)、The Traction Trebuchet: A Triumph of Four Civilizationsには東欧経由でビザンツに伝播したというNeedhamらの説が紹介されている。アラビアに伝わったのは預言者ムハンマドが生きていた時代であり、イスラム帝国による征服に伴ってその使用も広がったが、西地中海には彼らが到達するより前に伝播していたとも書かれている(p438-439)。
 いずれにせよ牽引式のトレビュシェットはその後も9世紀にバイキングがパリを攻撃した時に、10世紀にはマジャール人が石の壁を相手に使用した。この日付を踏まえるなら、前回紹介した映画のシーンのうち、アーサー王の時代にトレビュシェットが使われているのはさすがにおかしいと言える。一方、サラディンの時代に重力式が使われているのは、かなりギリギリ感があるが不可能ではないといったところ。もちろんフィクションなんだから時代に合わない兵器が出てきても別に問題はなく、むしろ全体としては辻褄が合っているケースが多い方に感心すべきかもしれない。
 ちなみに映画関連で個人的に一番面白かったのは、実はこちら。重力式のトレビュシェットで攻撃してきた敵に対し、石油(ギリシャの火)を詰めた火矢を大砲で撃ち出し、それを使ってトレビュシェットを燃やす場面だ。投石機、ギリシャ火、そして火薬を使う大砲という、中世の特殊兵器勢揃いといった感じのなかなか贅沢なシーンである。歴史映画じゃなくてSF映画だけどな。

 なおこちらではトレビュシェットで音速越えを果たそうとした話が紹介されている。といっても使われているのは人力でも重力でもなく、強力なゴムの反発力。皮肉と言えば皮肉だが、トレビュシェット史上最高速を記録したこの機械は、古い捻じれの力どころか、さらにその前に使われていた「張力」を利用していたことになる。温故知新とでも言えばいいのか。
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