ヤムナヤの裸馬

 騎兵が歴史にもたらしたインパクトについては、例えばこちらで紹介している。紀元前第1千年紀に起きたこの騎兵革命がユーラシアの歴史を変えたことは、こちらのまとめでも言及済み。ただし、これは騎兵が軍事的に有効な技術になった後に生じた変化(移行期)であり、その前から騎乗技術そのものは存在していた(前史)。
 その古い騎乗技術について最近書かれた論文がFirst bioanthropological evidence for Yamnaya horsemanshipだ。題名の通り、ヤムナヤ文化においてどのくらい騎乗が行われていたかについて同時代の人骨から推測したという内容であり、Turchinもツイートで取り上げている。論文のキモは、古い時代の人骨に乗馬に伴って生じたであろう病変の痕跡が残っているかどうかを調べたところにある。
 論文では調査対象となった人骨のうち、乗馬に伴って生じた可能性がある6種類の病変のどれかを持っているのを数えたとしている。6種類とは主に大腿骨や骨盤、臼蓋など直接またがった部分に関連するもの4種類と、椎骨の変性、そして落馬や蹴り、噛みつきに伴う外傷を示す。Supplementary Materialsの記述によると調査した172体の人骨のうち、これらの病変のうち少なくとも3つを持っていたのが24体にのぼっており、そのほとんどは男性のものと見られる骨だった。出土した人骨に占める男性の比率は元々高かったのだが、その中でも騎乗していたと見られる人骨は圧倒的に男性に偏っている。病変の種類が半数以上(つまり4種類以上)ある事例を数えると9体になり、こちらは全部男性だ。
 Turchinはこれらのデータから、ヤムナヤ人が騎乗していたという事実もさることながら、騎手の割合が少数派だったことに注目している。ヤムナヤ文化が馬を家畜化したことは広く知られているが、馬に日常的に乗るという行動を取っていた人物は、男性の中でも必ずしも多数派ではなく、女性の中ではほとんど存在していなかった様子がうかがえるわけだ。
 騎手の人骨に病変が生じるのは、当時の騎乗がなかなか難しい仕事だった点を反映している。論文のFig. 5.では青銅器時代の騎手たちの乗馬姿勢を描いた図をいくつか示し、それらをchair seatと表現をしている。椅子に座っている時のように膝を曲げたスタイルという意味だろうか。この姿勢は、他のsplit seat、dressage seat、hunt seatと呼ばれる乗馬姿勢とは異なるもので、特に古い時代によく見られたもののようだ。
 乗馬姿勢についてより詳しく記しているのはSupplementary MaterialsのFig. S2だ。chair seatだと騎手の骨盤は少し後ろに傾き、太ももは上に引き上げられ、膝は曲げられて常に馬の背中を挟み込むよう圧力をかけた状態になっている。乗馬用の装備がほとんどない裸馬にまたがる場合はこうした姿勢が必要なのだが、この姿勢だと座骨と馬の脊椎がこすれてしまうため、多くの騎手は筋肉の多い馬の臀部の方に座ろうとする。青銅器時代の図を見ても確かに馬の背中のくぼんだ所ではなく、その後ろ寄りに座っているものがある。
 こうした姿勢で長時間馬に乗ることによって生じた骨への影響こそ、上に紹介した6種類の病変だという。つまりヤムナヤの騎手たちは、乗馬姿勢をもっと楽なものにするような様々な馬具を持たない状態で乗馬していたのだろう。技術発展の流れを考えれば、初期段階でこうした素朴な技術から始まり、時間とともにその技術が洗練されていくという流れが推測できる。火薬技術もそうだったし、乗馬技術も同じだったのだろう。
 実際、次に登場したsplit seatでは騎手はもっと直立し、骨盤は前に傾け、両足を長く下に伸ばして重心を下げたため、chair seatよりは安定して騎乗できるようになった。座骨と馬の脊椎とがこすれる問題もなくなるため、馬の背のくぼんだ所にも座れるようになった。ただし股間で上半身の重さを支える人間にとっても、同じく人が乗った部分のみに重さを感じることになる馬にとってもこの姿勢はかなり不快なものだったようで、それを緩和するための鞍の存在が重要だったそうだ。鞍が最初に登場したのは紀元前8~7世紀の西アジアだそうだが、この姿勢は股間周辺部の病変を減らす一方、脊椎への負担はむしろ増えたと見られている。
 dressage seatやhunt seatのためには鞍だけでなく鐙も必要になる。鐙が発明されたのは紀元1世紀であり、これによって騎手は自らの足も使って体重をよりよく支えることができるようになった。乗馬の動きと合わせるように姿勢を調整しやすくなり、鞍のうえでの敏捷性も確保できるため、鐙の登場は騎兵の軍事的使用にさらにプラス効果をもたらした。つまり乗馬姿勢においては鞍の登場と鐙の登場という2つの技術革新が騎兵の軍事利用に大きな影響を及ぼしたことになる。

 過去のエントリーでは金属製のハミの登場によって騎兵の軍事利用が進んだ可能性を指摘している。使用中に壊れるリスクの少ない金属製のハミを使えば、軍事目的のような激しい行動が求められる局面でも十分に乗馬を操ることができるという想定だ。
 一方、今回の論文からは、chair seatからsplit seatへのシフトの方が軍事目的への利用促進に寄与した可能性が窺える。より安定した姿勢を、かつ長時間にわたる乗馬に耐えられる程度の低い不快さで続けられるための仕組みとして鞍が登場し、それが広まった結果として激しく動き回る戦場でも落馬のリスクを抑えて活動できるようになった、との理屈である。ただし、本当に鞍の登場が紀元前8~7世紀の西アジアなのだとしたら、騎兵革命が始まった時期(紀元前1000~900年)よりも後になってしまうという問題が生じる。
 ただしこれについては辻褄合わせも可能だ。図版に残るような、あるいは木製の鞍のように後で出土品として見つかる可能性のあるような鞍が生まれたのは紀元前8~7世紀頃かもしれないが、それ以前から毛布のような形の鞍は既に存在していたのではないか、と推測できなくもないからだ。それらがどこで生まれたかについてはよく分からないが、論文に紹介されている青銅器時代の図版が基本東地中海地域のものであり、またアッシリアで鞍が生まれたという説がある点からも、金属製のハミと同様に中東で生まれた可能性はある。つまり騎兵はポントス・カスピ海地域ではなく、やはり中東で生まれたという主張だ。
 とはいえこのあたりはあくまで推測であり、証拠があるわけではない。それでもTurchinが主張しているように、今回の発見を踏まえてもなお、騎兵が有効な軍事技術として確立されたのはヤムナヤの人々が裸馬にまたがっていた時代からはかなり後だったと見なしても、おそらく問題ない。金属製のハミも鞍も、そして鐙も、少しずつ騎兵という軍事技術の有効性を高める効果を持っていたと考えればいいのだろう。火薬兵器が金属加工技術や機械工作といった他の技術を追加することで有効性を増していったのと同じである。

 ただしここまで書いたことは、あくまで現時点での理解に基づく推測。この後でまた新たな発見があれば、こうした歴史的経緯が書き換えられる可能性はいくらでもある。というか実際に論文の中では、紀元前第5千年紀の後半という、馬の家畜化が行われた時期(紀元前第4千年紀の後半)よりも前の人骨に騎乗に伴う病変らしきものが見られたと指摘されている。論文ではこの人骨に対しては慎重な姿勢を示しているし、実際に単独の事例であればそれをあまり重視しすぎるのは拙いだろう。だが似たような事例が増えてくれば、乗馬のみならず馬の家畜化についても改めて考え直す必要が出てくる可能性はある。
 何せこうした出来事はまだ文字の存在しないようなかなり古い時期に起きていたため、正確に理解するのはそう簡単ではない。このあたり、火薬革命に比べて鉄器・騎兵革命の解釈が難しくなってしまう要因だと言える。おそらく最古の騎乗法だと思われるchair seatはいつから始まったのか、金属製のハミや鞍は騎兵にどんな影響を及ぼし、そしていつから騎兵が有効な軍事技術になったのか、その移行期は例えば鐙が発明された紀元1世紀あたりまで続いたのか、などなどの疑問については、そう簡単に答えが出てくるものでもない。
 それでも新たな知識が増えれば、何も知らないよりは推測できることが増える。chair seatでまたがっていた騎手たちは、軍事活動を行なうだけの安定した乗馬ができなかったか、あるいは求められる技術水準が高すぎて戦争に必要な数を揃えられなかった可能性がある。逆にそうした困難を乗り越えたところで大帝国が生まれるためのボトルネックが乗り越えられ、ユーラシアに帝国ベルトが生まれるようになったとも考えられるわけで、後の歴史に及ぼした影響はやはり大きい。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント