500日

 ロシアのウクライナ侵攻が始まって500日が経過した。8日のISW報告では改めてこの500日間に起きたことについて、ロシアがまず3日でキーウ奪取を試みたが失敗したこと、ウクライナの断固たる巧妙な抵抗によってロシア軍が支配した地域のうちスーミ、チェルニヒウ、ハルキウ、ミコライウ、ヘルソンなどを取り戻したこと、さらにロシアがなお保持を試みている占領地に対する反転攻勢に取り組んでいることなど、これまでの経緯を簡単にまとめている。西側の支援によってウクライナの独立は確保できているが、ロシアが支配している戦略的に重要な領土の解放はまだこれからだ、というのがISWのまとめだ。
 実際、ロシア軍がヘルソンのドニプロ右岸から撤収して以降、バフムートなど小さなエリアのやり取りを除いて戦況はかなり膠着している印象が強い。ハルキウ反攻の時には第二次大戦的な電撃戦の様相も一瞬だけ表れたが、それを除くとウクライナの戦争はむしろ第一次大戦に近い状態が続いているように見える。西側の優れた装備を得たウクライナ、一方で以前よりは空軍の活動が効果的になっているロシアと、双方の戦力が拮抗している状況が続いているのだろう。
 一応、そのバフムート方面やドネツク州西部、ザポリージャ州西部といったところで、引き続きウクライナの反転攻勢が続いている。彼らはベルジャンシクやメリトポリといった地域を目標に定めていると見られるが、進み方としては遅々たるものと言わざるを得ないだろう。ゼレンスキーはロシアの防衛網によって反転攻勢に遅れが出ていること、本当はもっと早く反攻を始めたかったことを認めており、塹壕をはじめとした野戦築城で防御を固めた陣地が容易に抜けない点が改めて立証されている。
 で、こうした膠着状態を打破しようと考えたのか、米国がウクライナにクラスター弾を供与するという話が出てきた。記事中にもある通り、その理由の1つにウクライナの反転攻勢が進んでいない点がある。塹壕中心の戦闘になるとクラスター弾があるかないかで大きな違いがあるという専門家の見解もあり、こちらで指摘した通り、やはり火薬時代において塹壕にこもった敵を攻撃するのは大変なんだろう。
 面白いのはもう1つの理由、つまり「弾薬不足」だ。西側が供与している通常弾が、今回の戦争で湯水のように大量消費されている様子が窺える。記事によれば既に100万発の155ミリ砲弾が供与されており、生産規模を「年24万発と6倍に増やしても」米軍が在庫補充するのに5年はかかるという。とんでもない量の弾薬が急速に消耗しているあたりも第一次大戦冒頭のシュリーフェンプラン当時と似ており、やはり今回の戦争は防御側が有利な状態が続いていると考える方がいいんだろう。
 ナゴルノカラバフ紛争では電撃戦によってあれだけ短期間で戦況が進んだのに、それから2年もしないうちに始まったウクライナ戦争が塹壕戦と消耗戦にシフトしていくあたり、安易に「この時代はこういう戦いが中心」と決めつけることの拙さをうかがわせる。現代の戦争においてはちょっとした条件の違い次第で、戦況は激しく動く場合も、逆にひたすら膠着する場合もあるのだろう。
 ただしこうした条件の違いが交戦国にもたらす負担はかなり異なる。ロシアもウクライナも消耗戦に入ったことで体制に相当の負荷がかかり続けていると見られるし、その負荷はウクライナを支援している西側諸国にも及んでいるはずだ。弾薬不足はその分かりやすい事例だが、この戦争を見て従来よりも基盤となる戦力を増やさなければならないという恐怖感は多くの国が抱いたと思われ、それは政治にも経済にも大きなストレスとなっており、さらに今後もなり続ける。平和の配当といって喜んでいたほんの30年ほど前の冷戦終結はもはや過去の話となってしまった。

 戦争を通じて各国が背負う負荷に耐えられる強靭な体制を保有しているのはどの国だろうか。経済面で見れば西側諸国の方が余力があるように見えるし、おまけに西側はあくまで武器の援助にとどめているわけで、人的被害まで支えなければならないロシアよりは負担は小さい。だが一方で西側の右代表である米国では不和の時代を経て終末が接近している、とTurchinは主張している。彼の分析が正しい場合、米国はむしろ脆弱な状態にあると考えられる。
 一方でロシアについてはそこまではっきりと傾向が読めない。前にも紹介したがTurchinはロシアとウクライナの戦争でロシア側が国力にものを言わせて勝利すると予想しており、つまりロシアの自壊はないと考えている。確かにロシアのサイクルを考えた場合、ソ連崩壊後の1990年代こそが「終末」に近く、そこから回復した後の現状ですぐにまた終末が来るとは考えにくいと言われればその通りだろう。
 一方でロシアでもエリート層が分裂しているという指摘は、特にプリゴジンの乱で表に出てくるようになった。先日はルカシェンコが「プリゴジンは今もロシアにいる」と発言し、実はまだベラルーシに亡命していないことを明らかにしている(ルカシェンコがどこまで事実を話しているかはわからないが)。事実ならプーチン体制下でプリゴジンがほとんど治外法権化している可能性がある。
 6日にはISWがプリゴジン問題についてかなり詳しく述べている。どうやらルカシェンコだけでなくロシアのソースもプリゴジンがロシアにいると主張しているらしく、それが事実ならルカシェンコが仲裁したプリゴジンとプーチンの和解は実際にはまだ達成されていないことになる。ルカシェンコは自身が仲介したとされているプリゴジンとプーチンの取引から距離を置き、プリゴジンにその条件を強制できていない責任をクレムリンに押し付けようとしている、というのがISWの分析だ。
 もしプリゴジンがロシア国内にいるのだとしたら、まだ彼を守る勢力がいるか、あるいはプーチンが暗殺という手段に踏み切れない理由があると考えられる。少なくともプリゴジンを非難することで彼の支持基盤を削ろうとするクレムリンの取り組みは、ロシアのウルトラナショナリストの間でプリゴジンを悪役にしようとするロシア政府のプロパガンダに対する批判が存在することからも、うまくいっていないと考えられる。まさに飼い犬に手を噛まれた状態であり、クレムリンにとって事態はよろしくないと言わざるを得ない。
 8日の報告ではワグナーの指揮官(プリゴジンではない)が8月の休息を終えた後でベラルーシに移動するつもりだと発言したことが紹介されているが、引き続きプーチンとプリゴジンの間の取引がどうなったかは不透明であり、おそらく事態は「流動的」だとISWは見ている。ロシア国内でのプリゴジンとワグナーの活動を許していることは、潜在的に彼の体制に対する脅威となり得るわけで、そうした事態を防ぐためかロシア政府はアフリカや中東に展開しているワグナーをコントロール下に収めようと動いているそうだ。
 加えてロシアの軍事ブロガーの中には近くショイグが交代させられるのではないかとの意見も出てきているそうだ。6日にベトナムの要人と会談したのがショイグではなかったことが理由だが、ISWはこの見解には疑問を示しており、クレムリンはショイグやゲラシモフを変えるつもりはないと見ている。ただしショイグや国防省のリーダーシップに対する不満がロシア国内で広まっていることはおそらく事実であり、クレムリンがそれに対処する必要に迫られている面もあるのだろう。要するにまだプリゴジンの乱の後始末は終わっていない可能性がある。
 こうしたクレムリンの対応はウクライナにとって有利、というのがISWの分析。ワグナーはロシア国内で最も戦闘力のある組織だが、現状彼らをウクライナでの戦闘に投入するつもりはなさそうであり、ワグナーのバフムート周辺からの撤収がこの方面におけるウクライナ軍の反攻に有利に働いている。一方でロシア軍はその戦力の大半をウクライナ南部に展開し、予備がほとんど残っていない状態らしく、もしウクライナが作戦的な突破を成し遂げれば予備の支援がないまま主要防衛拠点まで退却を強いられる可能性がある。そうした困難な行動を果たしてうまく実行できるかどうか、ロシアにとっては難問だ。
 8日の報告の中では米国高官が今のウクライナの作戦について「判断するには早すぎる」と述べたことも紹介されている。ISWによれば今のウクライナの軍事行動は領土的な前進を遅らせる代わりにウクライナの戦力を保持しつつロシアの兵力と装備を消耗させる段階にあるそうで、本格的な突破を始める前の準備段階に多大な時間をかけているということかもしれない(ウォールストリートジャーナルも同様の記事を書いている)。両軍の争いが消耗戦に入っているのは間違いないが、国力で勝るロシアが一方ではエリート内紛争もあってその国力を十分に生かせない状態が今なお継続中といったところ。どちらが先に破断界を迎えるのかはまだ不透明なんだろう。
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