フィクションと世相

 水星の魔女は家族愛の物語である。というか、家族愛こそが絶対の価値であって、家族愛さえあればすべてが許されてうまく行き、なければ酷いことになるという「家族愛至上主義」の物語である。

 順番に見てみよう。主人公スレッタは、緊急避難的な面はあったとはいえ人を殺している。しかもその後で、母親に命じられたら人を殺すとも言っている。だが彼女はその件で罪に問われることはなかった。むしろ命がけで家族を助けようとした結果として家族と愛する人とともに暮らせる未来を手に入れ、おまけに本人が望んでいた「学校を作る」という希望まで叶えている。この作品においては、家族愛に基づく行動はすべて免責され、正当化され、祝福されるのだ。
 デリングはプロローグでヴァナディース機関の殺戮を命じた人物だ。またその後も戦争シェアリングで金儲けをしている企業のトップに君臨し、後に大量虐殺の道具となるクワイエット・ゼロを建造した。だが彼の目的が亡き妻や娘のためであったことが分かった結果として作中での彼の立場は敵役から脇役に退き、クワイエット・ゼロ関連は彼ではなく別の人物の責任になった。重傷を負う場面はあったが死ぬことはなく、最後は普通に健康を回復しているように見える。
 そのクワイエット・ゼロの虐殺を命じたプロスペラ、実行したエリクトも、最後は何事もなかったかのように家族とともに過ごしていた。どちらも家族を守るため、家族を助けるための行動であったことが作中で示され、結果として社会的制裁の対象にはならなかった。もちろん前者は車椅子生活を強いられ、後者はデータストームの中でしか生きられなくなってはいるが、ガンダムが消えてもエリクトは生き延びるなど、物語的にはハッピーな未来にたどり着いている。
 では家族のない者たちはどうなっただろうか。孤児のニカは、本人が望んだこととはいえ、おそらく3年ほどの服役を強いられた。彼女が果たしたのはテロリストとの連絡役であり、殺戮を命じたわけでも実行したわけでもないのに、しっかり法的な罪を問われたのだ。彼女にとっては地球寮の面々が疑似家族のような存在になっていたが、本物の家族ではなかったため、その分だけ酷い目に遭ったと考えることもできるだろう。
 やはり実の両親ではなくサリウスが養父となっていたシャディクは、おそらく極刑に処された。彼はすでに本名を捨てており、その意味で家族を捨てた、もしくは捨てられた存在であることがわかる。事実上の孤児である彼は、これまた本人が望んだことではあるが、自分と無関係の罪まで背負って刑を受けることになる。もちろん彼のやったことは罪に当たるのだが、上に紹介した家族愛に守られている者たちと異なり、実の家族がいない彼は罰を免れなかった。
 そして何より象徴的なのはソフィーだ。家族がほしいと言っていた彼女が家族を持たない人間であったのは間違いあるまい。だがその彼女はスレッタを家族にしようと戦った結果、実の家族を守ろうとするエリクトのデータストームにさらされ、血を吐いて死んだ。これまた彼女の行為が犯罪なのは間違いないし、物語的には死んだことでその罪を償ったと見ることはできるのだが、一方で家族愛の対象でないキャラクターには罪から逃れる術はないことを立証する役割も演じることになった。
 実は歴代ガンダムの中で、ここまで家族愛が重視され称揚される作品は珍しい。例えばアムロの場合、物語の開始前から家族は半分壊れていた。両親は離婚していたわけではなかったようだが別居しており、子供に対する愛情も微妙だった。それにアムロ自身、家族との関係はかなり希薄。作中に母親や父親と絡むエピソードはあるが、いずれもククルス・ドアンと変わらないレベルの一過性で短いものでしかなかった。彼にとって家族の重要度は極めて低いことが示されており、これは水星の魔女の主人公スレッタとはかなり対照的だ。
 初代主人公がそうだったせいか、ガンダムシリーズは家族愛に乏しく、家族関係が希薄な描写が多い。酷い場合は家族同士が殺しあう場面も珍しくないくらいで、物語内における家族愛が占める地位の低さが如実に表れている。この傾向は最近になっても同じで、ガンダムOOの主人公はテロ組織に洗脳され実の両親を殺しているし、鉄血のオルフェンズでは題名にもある通り主人公は最初から孤児で家族がいない。ガンダムにとって家族愛は優先順位の極めて低い事項でしかなく、そう考えるとグエルとラウダの兄弟がモビルスーツで戦ったにもかかわらずどちらも死ななかった水星の魔女が、いかに異端であるかがよくわかる。
 水星の魔女については始まる前に「初の女性パイロット」や「学園もの」である点が過去作と一線を画する特徴としてしばしば取り上げられていた。だがこれらは単に表面的な設定の違いにすぎない。水星の魔女が過去のガンダム作品と決定的に違うのは、他でもない「家族愛」の描き方にある。過去のガンダムが重要視しなかった、いやむしろおそらくは意図的に希薄に描いてきた家族愛を、これ以上ないほど濃密にくどくどと描写し、その価値を高く歌い上げたのが令和のガンダムだったのだ。
 そしてそのガンダムはウケた。批判的なレビューの中でも水星の魔女は成功だったとはっきり書かれているし、何よりスポンサーが大きく売り上げを伸ばしているのだから、水星の魔女が成功だったのは誰にも否定できまい。家族愛という、どちらかといえば古臭い価値観を前面に強く押し出したガンダム作品が、令和の世の中では広く受け入れられたのである。
 なぜだろうか。人は手に入らないものに憧れを抱く。今の世の中ではかつてと異なり、家族そのものがなかなか手に入れられないものとなっていることが、家族愛ガンダムのウケた理由だと推測できる。初代ガンダムが放映された翌1980年の国勢調査を見ると、家族で暮らしている親族世帯数が2865万世帯に達しているのに対し、単独世帯(1人暮らし)は710万世帯とその4分の1ほどしかなかった。世帯の大半は「家族」だったわけで、当然視聴者にとっても家族は当たり前すぎる存在だったのだろう。だからフィクション内であえて焦点を当てるまでもなかった。いやむしろ当時の家族は若い視聴者にとっておそらく鬱陶しい存在であり、だからフィクション内では希薄にしか描かれなかった。
 だがこれが令和2年(2020年)になると様相が大きく変わる。親族のみの世帯は3388万世帯と40年前より18%の増加だったのに対し、単独世帯は2115万世帯と実に3倍に膨らんでいるのだ。特に典型的な核家族といえる「夫婦と子供からなる世帯」に絞れば、1980年の1508万世帯が2020年には1394万世帯まで減少しており、単独世帯より少なくなってしまっている。かつては当たり前だった「家族」、つまり両親と子供がそろっている世帯は、今ではむしろ少数派に転落しているのだ。
 社会が変わり、世の中で「家族愛」が珍しい存在になってしまったからこそ、うるさいくらい家族愛を表に出したガンダムがあれほどの成功を収めたのである。令和の世相に合わせ、社会の変化を踏まえて、多くの視聴者にとって手に入れにくいものとなった「家族愛」を物語の最大の軸に据えた。それが水星の魔女が成功した要因であろう。

 ……というのは。読者は上に記したような「フィクションと世相を雑に絡めた言説」を安易に信用してはならない。理屈と膏薬はどこにでもつく。上では世の中から失われたものを大きく取り上げたから作品がウケたのだと記しているが、まったく逆の主張だって可能だ。例えば進撃の巨人。そこで描かれているのは争いや憎悪、政治的対立といった殺伐としたテーマが中心で、逆に恋愛要素は極めて薄い。これはかつてバブルの頃にテレビドラマが恋愛ばかり描き、音楽はラブソングだらけで、「恋愛至上主義」という言葉があったのと比べると様変わりである。
 なぜか。現代が「不和の時代」だからだ。日本にとって好感情の時代だったバブル期には争いや憎悪などはリアリティに欠ける題材でしかなく、だから恋愛テーマで話が成り立った。だが格差が広がり、大衆の困窮化とエリート過剰生産が進み、不和の時代が訪れると、逆に「惚れた腫れた」で大騒ぎする方がリアリティのない話になってしまった。消費者が求めるのは現実を反映した物語であり、だからこそ世の中にあふれかえるようになってきた不和こそがテーマになったのだ。Quod Erat Demonstrandum
 ……もうお分かりだろう。フィクションは世の中に山ほどある。従ってその中から自説に都合のいい話をチェリーピックしてくるのは簡単だ。だからこの手の言い分を見かけることがあっても、眉に唾をつけて読み飛ばすのが正しい。フィクションは事実と無関係の嘘八百であり、だから事実と無関係の嘘八百として楽しめればそれで十分なのである。社会の変化? 世相を反映? 知らんがな。
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コメント

onigi
恥ずかしながら「このブログでアニメの評論は珍しいな」という違和感があっただけで、最後の段落に至るまで「確かにその通りかもしれない」と殆ど疑わず読んでしまいました。

普段、本やコラムなどを読むときは、内容がこじ付けでないか気にしているのですが、自分の好きなものについて肯定的に書いた文章だと、好い気分になってしまって警戒心が薄れてしまいます。致命的な失敗を犯す前に本記事のおかげで自分の欠点に気付けたのが幸いです。

desaixjp
コメントありがとうございます。
肯定的な文章だと警戒心が薄れるというのはまさにその通りで、エコーチェンバーというのもきっかけはそんなところから生まれているのかもしれません。
でもまあ今回取り上げているのは単なるフィクションがらみの小ネタなので、気軽に読み飛ばすくらいでもいいんじゃないでしょうか。
現実と無関係なところで楽しむのがフィクションですから。
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