中国トレビュシェット

 AndradeのThe Gunpowder Ageの中には、朱元璋と陳友諒の間で行われた鄱陽湖の戦いについて描いた中国ドラマに関する言及があった。水上戦で使われている大砲がまるで1600年代の西欧製の大砲のように、大きく、砲車に載せられ、さらに砲身が長かったのだそうだ(p60)。少なくとも500キロはありそうな重い大砲描写に対し、実際のこの時代の砲は大きくても碗口砲程度で、重さは75キロ。通常サイズだと2~3キロしかなかった、というのが彼の指摘だ。
 確かに洪武大砲が登場する以前であれば、使われていた大砲は間違いなく小さなものだっただろう。いや、洪武大砲にしても砲身は短めのずんぐりむっくりとした形状をしているし、それ以降に製造された大将軍砲でも大きくて680キロほどのサイズだったそうなので、ボンバルドなどを生み出した西欧製の大砲よりは小さかった。私自身は当該ドラマは見ていないが、中国の火薬史に詳しい人物から見れば違和感があるものだったんだろう。
 もちろんドラマはフィクションであり、その描写が事実と違っていたからといって問題はない。要は面白ければそれでいいのだ。むしろこうした細部が気になってしまうのは、ドラマをそのまま楽しむことができなくなる一種の「呪い」のようなものと考えてもいいくらい。ならばそういう呪いにかかった人は、いっそその呪いをネタとして楽しむようにした方がいいんだろう。というわけでAndradeとは違うドラマについて、Andradeと同じ観点でちょっと調べてみたい。

 取り上げるのは大明皇妃という、こちらは2019年のドラマ。1話目がYouTubeで無料公開されている。その中で靖難の変で南京が攻撃されるシーンが描かれているのだが、その中に気になるところがあった。いやまあ一瞬だけ映る大砲(8:37)についてはいい。はっきり映っているのは砲口部分くらいで、全体像が分からないからこれが大将軍砲なのか、それとも西欧的な大砲なのか、見ただけでは判別できないのだ。
 それ以外にオープニング映像で火銃っぽいものも出てくるのだが、これも銃口周辺から炎が噴き出すシーンだけであり、やはり全体像は描かれていない。この時代の明朝の銃はもののけ姫に出てきたもののような形状をしているのだが、それとはちょっと違うように見える。もしかしたらNeedhamの言うEruptorのようなものをイメージしているのかもしれないが、断言できるだけの材料はない。
 気になったのはこういった火薬兵器ではなく、もっと古いトラクション・トレビュシェットだ。ドラマの中では城攻めの場面(上から擂木が降ってきたりしている)で、2人の兵士がトレビュシェット(中国語wikipediaでは人力拋石機とある)を発射している。放り投げているものは火をつけた可燃物の塊で、ドラマ内では上空をこの塊がいくつも黒い煙の尾を引きながら飛んで行っている。こちらと似たようなシーンだ。
 この場面がなぜ気になるのか。理由は2つある。1つは「そもそも15世紀初頭の中国でまだトレビュシェットが使われていたのか」。トレビュシェットは古くは紀元前から存在していたと言われており、墨子の巻14の記述に基づいたトレビュシェットの再現図が、NeedhamのScience and Civilization in China, Volume 5 Part VIのp207-208に載っている。後に火薬が発明された当初、このトレビュシェットを使って点火した火薬を投擲していたことは、こちらで紹介している
 ただ13世紀末には金属製の銃砲が生まれており、その時点で火薬は焼夷兵器から炸薬としての使用にシフトしたと考えるなら、15世紀初頭を描いたこのドラマにおいてまだトレビュシェットが生き延びているのはおかしくないだろうか、という疑問が浮かぶ。それもモンゴルの時代から使われていたカウンターウェイト・トレビュシェット(重力拋石機)より古いトラクション・トレビュシェットだ。もしかしたら時代錯誤な兵器が使われているという、こちらで紹介したような批判が今回は成立してしまう、のだろうか。
 そうはならない。というのも、そのものずばり靖難の変の記述ではないが、少し前の洪武帝の時代において相変わらずトラクション・トレビュシェットが使われていた可能性を示す話があるからだ。Andrade自身が触れている1366年の出来事だが、明の徐達が張士誠の平江城を攻めた時に、前者が襄陽砲と七梢砲を使ったという記録が存在する(The Gunpowder Age, p69)。どうやら紀事録という同時代の文献にそうした記述が載っているらしい。原文は分からないが、こちらにある文章などが紀事録からの引用かもしれない。
 Andradeは襄陽砲をモンゴルが持ち込んだもの(つまりカウンターウェイト・トレビュシェット)、七梢砲がそうではないタイプ(つまりトラクション・トレビュシェット)と見なしている。後者については武經總要の巻12(155/208)に同名のトラクション・トレビュシェットが図解付きで載っており、これも一つの論拠になりそう。さらに明史巻125には徐達が城攻めに際して「台上又置巨砲」とも記しており、この砲がトレビュシェットを示しているとAndradeは解釈している。
 また洪武帝は1388年にもトラクション・トレビュシェットの利便性(動かしやすさや少ない人手で済むところなど)を評価したとされる記録が残っている(雲南機務抄黄)。カウンターウェイト・トレビュシェットについてはさらに後の時代になっても重視されていたようで、1480年代に書かれた大學衍義補の巻122でもその重要性に言及している(Science and Civilization in China, Vol 5 Part VI, p229)。トレビュシェットが明の時代になってもまだ使われていた可能性は十分にあると言えよう。
 問題があるとしたら、紀事録が述べている七梢砲の数についてAndradeが「48個の衛ごとに5座あまり」と記している部分だろう。実はネット上の記述を見るとどれもこれも七梢炮架五十余座と書いているし、中国古代火炮史にもそのように記されている(p203)。5つあまりと書いているのはAndradeだけなのだ。この部分については彼よりも他の文章を信じたくなるが、元ネタである紀事録を見ない限り断言はできない。残念ながらネットではその中身までは分からないようだが。
 もう1つの問題は、ドラマで可燃物を飛ばしていた点だ。こちらについては正直、トレビュシェットの存在そのものよりは怪しげに見える。前にも記している通り、13世紀前半には鉄火砲のような爆弾をトレビュシェットで飛ばす方法が採用されている。単に可燃物に火をつけて飛ばすだけの霹靂火毬のような武器がいつまで生き残っていたか分からない点が問題だ。それに15世紀後半から16世紀前半の人物が記した文章内では、鉄火砲と似た震天雷ですら久しく用いていないと記されている(中国、宋代における火器と火薬兵器, p66)。15世紀初頭の時点で、それより一段古い兵器が使われていたかどうかは、結構怪しいと思う。

 とまあ細かい話を色々と書いてきたが、ドラマというフィクションであることを踏まえるのならこの程度のツッコミは許容範囲だろう。中にはもっとすごいのがある。12世紀の人物が出てくるドラマで、「堤防破壊に用いる大砲」が出てくるのだそうだ。いやまて、12世紀と言えばようやく爆竹と火槍が生まれたばかりで、まだ爆弾も、ましてや金属製の銃砲も存在していなかった時代だぞ。おまけに堤防を破壊するほどの破壊力を持たせたければ、ルネサンス式要塞の分厚い城壁を崩すことができた16世紀以降の西欧製大砲(鋳鉄製砲弾を使用)でも持ってこないと、簡単には実行できないはず。まさにオーパーツである。
 ちなみにこの作品、その次の回で本当に大砲で堤防を壊してしまっているらしい。まあフィクションならこのくらいやってもおかしくない。とりあえず見ていた人がスカっとしたならそれでOKなんだろう。
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