1795年ライン 進軍4

 SchelsのDie Operazionen am Rheine vom 8 bis 24 September 1795; mit dem Treffen bei Handschuhsheim(p107-150)の続き。引き続き地図はこちらのReymann's Special-Karte(20万分の1)と、Old Map OnlineにあるMesstischeblattの2万5000分の1地図を参照。
 ピシュグリュのマンハイム奪取によりネッカー流域の重要性が増したのを受け、連合軍の2人の司令官はハイデルベルクの支援準備を進めた。アーハイリゲンのクレルフェは23日、翌日にはツヴィンゲンベルクからヘッペンハイムを経てヴァインハイムへ行軍すると決定。そこでツェーントナー、クォスダノヴィッチと合流し、ネッカー両岸の敵を一掃してマンハイム方面へ進もうと考えていた。一方、ヴルムザーは既に22日の時点でラシュタット付近にいる右翼のラトゥール増援のための部隊をフライブルクから送り出しており、またラインコルドンを除く可能な部隊をシュヴェツィンゲンに向かわせ、クォスダノヴィッチの左翼とヴィースロッホで連結するよう命じた。
 9月24日にはヴルムザー自身が部隊とともにフライブルクからオフェンブルク(ケール南東)へと出発した。ただしヴルムザーが送り込んだ部隊はいずれもマンハイムから遠く離れていたため、ハントシュースハイムの戦闘には加わることはできなかった。一方クレルフェは敵がクォスダノヴィッチ相手に本格的な攻撃を加える前にハイデルベルクへの行軍を実行しようと考えており、24日夜明けに彼は部隊を率いてアーハイリゲンを発った。
 一方のピシュグリュはデュフールとアンベールの2個師団約1万2000人で即座にクォスダノヴィッチを攻撃し、ハイデルベルクとヴィースロッホから排除したうえでネッカー上流のハイルブロンまで進撃する計画だった。23日、デュフール師団は右岸のケフェンタールに、アンベールは左岸のシュヴェツィンゲン近くに展開した。デュフールはラーデンブルクを越えて進み、7時間にわたる抵抗を受けたが最終的にはシュリースハイムとドーゼンハイムを奪った。この地を防衛したブレヒャーン大佐は負傷し、部隊は砲撃を受けながらハントシュースハイムの陣地に後退した。
 ネッカー左岸ではアンベールが偵察している間に小競り合いが行われた。クォスダノヴィッチは砲声を聞いたヘッペンハイムのツェーントナーが山沿いの道に沿って前進し、ラーデンブルクのデュフールを攻撃し、ファーンハイム(フィアーンハイム)とヴァインハイムに布陣するものだと期待していたが、ツェーントナーは23日、24日に全く動きを見せず、戦いには参加しなかった。
 24日朝、クォスダノヴィッチの部隊は以下のように展開していた。バヤリッヒの部隊がネッカー右岸におり、うち2個大隊がノイエンハインに、2個中隊が前哨線としてハントシュースハイムに配置されていた。山沿いの道にある村では可能な限り急いで塹壕と胸壁が築かれ、残りの兵力は予備としてハイデルベルクにいた。左岸にはフレーリヒ将軍がハイデルベルク正面、キルヒハイムとネッカー河の間に布陣し、ヴィープリンゲン、エッペルハイム、ブルックハウゼン=ホフ(ブルフハウゼン)に哨戒線を敷いた。ヴィースロッホ正面にはカラクツァイ将軍が展開し、その哨戒線はザントハウゼン、ザンクト=イルゲン、ヴァルドルフを経てクライヒ川(ヴィースロッホ南方を流れる川)まで広がってそこに到着したラトゥール師団の騎兵と接触していた。
 Schelsはここで左岸におけるアンベール師団の戦闘に触れているが、それについてはこちらでも簡単に紹介している。フランス軍は4個縦隊に分かれ、左翼のダヴーはネッカースハウゼン(ネッカーハウゼン)を経てヴィープリンゲンへ、その隣のベルトランはシュヴェツィンゲン街道をブランクシュタット(プランクシュタット)へ進んでおり、彼らはデュフール師団が右岸の敵を押し戻すまで攻撃しないことになっていた。
 騎兵で構成された3つ目の縦隊はブランクシュタットからエッペルハイムへ向かっており、おそらくはベルトランの前衛的な位置づけだったとみられる。彼らはその後で右へとシフトし、キルヒハイムとローアバッハを経て連合軍の背後に回り込むことになっていた。4つ目の縦隊は最右翼としてヴァルドルフとザンクト=イルゲンの森の端を占拠する。
 ネッカー右岸ではデュフールが1個半旅団をケファータールの背後に残し、師団の主力はラーデンブルク方面に向かうことになった。具体的にはデュジラ旅団が川岸に沿ってファイデンハイム(フォイデンハイム)に進み、その左翼ではカヴロワ旅団が斜め後方をヘッデスハイム方面に進んでデュジラ旅団を支援することになっていた。前日のうちに奪っていたはずのシュリースハイムとドーゼンハイム方面にどの部隊がいたのかは、Schelsの記述からはよく分からない。
 左岸ではアンベールの左翼側2個縦隊が砲撃を行い、連合軍の哨戒線をエッペルハイムとヴィープリンゲン経由で押し込んだが、ハイデルベルクから送られた兵がこれらの動きを食い止め、さらにはオーストリア軍が逆襲に出た。右岸ではデュジラ旅団がラーデンブルクを越え、2つの前衛部隊を派出した。うち右翼はネッカーを遡ってノイエンハイム方面に向かい、左翼はドーゼンハイム方面から進んだ。ハントシュースハイムも砲撃を受けるようになり、2時間にわたってネッカー両岸で砲撃が絶えなかった。
 午前10時、デュジラは2つの縦隊に対してハントシュースハイム襲撃を命じた。オーストリア軍は増援を受け取って執拗に抵抗し、フランス軍は特にドーゼンハイム方面から激しく攻めたて、左翼の山沿いに村を回り込もうとした。だがこの時、バヤリッヒ将軍がさらなる増援を連れてハントシュースハイムの左翼に現れ、フランス軍を攻撃してこれを撃退した。フランス軍左翼は村から追い払われ、右翼は散弾砲撃を食らった。デュフールはドーゼンハイムを経て退却し始めている左翼支援のため2個大隊の増援を送り、右翼とともに今度は右側からハントシュースハイムを回り込もうとした。先頭を切ったのは6個大隊から成る猟騎兵連隊で、その後に多くの大砲を連れた歩兵5個大隊が続いた。
 時刻は午前11時だった。バヤリッヒ将軍は騎兵6個大隊を率いるクレナウ大佐に、ノイエンハイムの先まで進んでフランス軍を攻撃するよう命じた。クレナウは部隊を3つに分け、猟騎兵連隊に襲い掛かってそれを撃ち破ると大砲8門と弾薬車9両、31頭の輓馬などを奪った。騎兵の敗北にフランス軍歩兵が恐れおののいている間にクレナウは彼らにも襲い掛かった。同時に別の部隊がハントシュースハイム守備の部隊と合わせてもう1つのフランス軍縦隊を撃ち破ってドーゼンハイムとシュリースハイムを奪い返した。デュジラ旅団は逃げ出し、一部は山中へ、一部はラーデンブルクからファイデンハイムへと落ち延びたが、大半は倒されるか騎兵の捕虜となった。デュジラ将軍は撃たれ、デュフールはサーベルで切りつけられて捕らえられた。残った部隊はイルデスハイム(イルフェスハイム)の浅瀬を通ってネッカー左岸へと逃げた。
 彼らの敗走によってカヴロワ旅団は右側面ががら空きになった。バヤリッヒは歩兵とともにラーデンブルクへ行軍し、クレナウは追撃を続けていた。カヴロワは大急ぎでマンハイムに引き揚げようとしたが、ファイデンハイム近くの平野で帝国騎兵に追いつかれ、かなりの損害を被った。
 ネッカー左岸ではダヴーとベルトランがエッペルハイムとヴィープリンゲン正面でしばし持ちこたえた。フランス騎兵はフレーリヒの左側面を攻撃しようと試み、連合軍をシュヴェツィンゲン街道から排除できればすぐ左翼の2個縦隊をハイデルベルクへ前進させるつもりだった。一方、哨戒線にいたフレーリヒ将軍はこの攻撃を止めるよう命じ、接近してきたフランス騎兵は逃げ出した。フランス軍の指揮官は兵を集めなおして再び前進してきたが、またも反撃を受けて撃退された。それでもアンベールは部隊を展開させるための空間を手に入れるために騎兵に3度目の攻撃を命じた。彼らは砲兵の支援を受けて前進したが、連合軍騎兵の巧妙な機動と砲撃によって多大な損害を出してまたも撃退された。
 それまでアンベールの歩兵は砲撃によって押しとどめられていた。フレーリヒはヴィープリンゲン村への攻撃を命じ、フランス軍はすぐそこから排除された。アンベールとダヴーはそこを奪回すべくいくつかの縦隊で前進してきたが、この攻撃もまた撃退された。最後には彼らは森の近くに多くの歩兵とともにとどまり、村を砲撃するだけにとどめた。
 この間、アンベール師団の右翼第4縦隊はヴァルドルフを奪った。彼らはハイデルベルク陥落直後にヴィースロッホを奪い、連合軍のジンツハイム(ジンスハイム)とハイルブロンへの退路を邪魔するのが狙いだった。カラクツァイはヴィースロッホ付近の有利な地形にとどまって敵がライムバッハ(ヴァルドルフとヴィースロッホ間を流れる川)を越えてくるのに備えていたが、一方で分遣隊をヴァルドルフへ送り込んだところ彼らはフランス軍をそこから追い払った。以後フランス軍はこの方面の連合軍を牽制するにとどめ、カラクツァイはそれを無視して騎兵の多くをフレーリヒ旅団に増援として送った。この増援が到着した時、フランス軍の第2縦隊はキルヒハイム近くのフレーリヒの左側面をまさに攻撃しようとしていた。連合軍騎兵はその右側面に突入し、同時にデュフールの敗北を聞いたアンベールはマンハイムへと退却を始めた。
 以上でハントシュースハイムの戦闘は終わった。ここまで一方的な攻勢を続けていたフランス軍だが、この敗北にともない1795年戦役の攻守が入れ替わる。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント