黒死病の被害

 前にこちらで、イングランドの人口が黒死病によって半分近くも落ち込んだという研究を紹介した。イングランドに限らず、最近の研究では黒死病の死者がかなり多かったと見る向きが多く、英語wikipediaでも「4年間に欧州人口の45~50%が亡くなった」という研究者の指摘を紹介している。このデータは地域ごとに差があり、地中海沿いの地域だと実に75~80%近くというとんでもない数字にまで高まるという。
 だが、こうした足元の研究に異論を唱える論文が昨年発表された。Black Death mortality not as widespread as long thoughtという記事がその結論を簡単にまとめているのだが、要は花粉のデータを使って調べたところ、地域によって黒死病の影響はかなり違っていたようで、思われていたほど一般的でも広範囲に及んでいたわけでもないという結論になった。黒死病に関する研究データの大半は数字が充実している都市部のものだが、当時の欧州人口はその大半が農村に暮らしていたことを考えるなら、都市部の数字が過大に適用されているのではないか、という疑問が出てきたという。
 この論文はNature Ecology & Evolutionに掲載されたPalaeoecological data indicates land-use changes across Europe linked to spatial heterogeneity in mortality during the Black Death pandemic。黒死病の前100年間と後100年間に湖や湿地にたまった花粉の種類を調べ、その周辺地域の植生がどう変わったかを推測するという方法で欧州261ヶ所を調査した。結果、いくつかの地域で黒死病は破滅的なインパクトをもたらしたものの、そうした影響が全くといっていいほど見られない地域もあったそうだ。
 論文では黒死病の影響について、それが実際に高い致死率をもたらした場合とそうでない場合には、周辺地域の土地利用に変化が生じると指摘(Fig. 1)。人口が減れば農地が牧草地になったり、あるいは自然に戻るといった変化が起きていたのに対し、人口への影響がなければ農耕が継続されることになる。結果、その地域で見つかる花粉の内容が変わっていくわけで、花粉を調べれば人口の変動が推測できるという理屈だ。その条件で黒死病の前後にあたる紀元1250~1450年のデータを欧州19ヶ国にまたがる地域から集めた(Fig. 2)。
 数え上げた花粉は穀物、牧草地、放棄されてから5~10年で生えてくる低木などの植生、もっと時間のかかる森林、という4種類。例えば穀物について、黒死病の影響が少ないといわれているポーランドと、明確に影響を受けたとされるスウェーデンの例について調べたところ、実際にそうした過去の研究と平仄の合う結果になったという(Fig. 3)。それを踏まえたうえで実際に21のエリアについてどのような影響が出たかを花粉で調べた結果がFig. 4。上の列から順番に大きな人口増(6エリア)、わずかな人口増(6エリア)、わずかな人口減(2エリア)、大きな人口減(7エリア)となる。
 穀物、牧草地、低木など、森林などのそれぞれについて、黒死病前100年と後100年を比較した地図はFig. 5で確認できる。ざっくり見た感じだが、前者2つが増えている地域は後者2つが減っており、逆に前者2つが減っている地域では後者2つにプラス傾向が見受けられる。最後にそれらをまとめた地図がFig. 6で、ギリシアやイタリア、フランス、ドイツの一部、スカンジナビアなどで人口減が厳しかった地域がある一方、スペイン、アイルランド、ポーランドやバルト諸国ではむしろ人口が顕著に増えた地域があったことが分かる。
 この論文についてはNew York Timesも記事を書いており、その中では今回の論文以外にも黒死病の死者がそれほど極端に多かったわけではないとの主張をいくつか紹介している。1つはSelectivity of Black Death mortality with respect to preexisting healthであり、黒死病とそうでない時期の墓地を調べて死者の年齢を確認したところ、黒死病においても特に無差別に住民が死んだ様子はなかったと指摘している。高い死亡率を出したなら死んだ年齢構成にも違いが出てきておかしくないが、そうした様子が見受けられないとの疑問だ。
 もう1つはネーデルランドのエノーにおける相続関連の文書を調べた研究だ。The Black Death and recurring plague during the late Middle Ages in the County of Hainautというその研究によると、エノーにおける死亡率は確かに黒死病の際に跳ね上がったのだが、実は後の時代にまた疫病が再来した時の死亡率の方が高かったことがデータから分かっているという(Figure 1)。14世紀半ばの黒死病は必ずしも特別な災害だったわけではなく、繰り返し訪れた疫病の1つであったと解釈できそうな数字だ。
 これらのデータを踏まえると黒死病で欧州人口の半数が亡くなったという最近の説が、実は過大評価ではないかとの疑いも浮かんでくる。都市部のデータから算出する方法は、そうでなくても人口動態の蟻地獄といわれる都市部の傾向(高い死亡率と低い出生率を人口流入で賄う)を農村部にまで無批判に広げる方法ではないかと考えられるわけで、それこそ花粉を使った手法のように他の方法と組み合わせて多角的に調べておかないと間違った結論に飛びつきかねない。
 そしてこれらの指摘は、私が関心を持っている人口動態と社会政治的不安定性との関係を見るうえでも重要だ。Turchinは黒死病などで人口が減ると労働需給が締まり、需要側であるエリートの内紛が激しくなるといったメカニズムを想定している。Scheidelは格差を減らす暴力の1形態として黒死病のような疫病を想定している。いずれも疫病が人口にかなりのインパクトをもたらす想定で理論を組み立てているわけだ。
 だがもし黒死病が思ったほどのインパクトをもたらさず、例えば中世イングランドで言われているほどの人口減が起きなかったとしたら、これらの理論は果たして成立するのだろうか。欧州全体がまだらに影響を受けた場合、イングランドやフランスが同時並行で似たような永年サイクルを経験していることについて、人口動態から説明しようとするのは難しいんじゃないか、といった反論だって考えられる。古い話であっても、意外に考えておくべきテーマではないかと思う。
 なお黒死病についてはPandemics, places, and populations: Evidence from the Black Deathという文章もあり、こちらは短期的な影響はともかく中長期には交通の利便性などの経済的要因の方が都市の成長に大きな影響を及ぼすという話を指摘している。また黒死病後の人口回復過程においては死亡率の低かった農村から都市に人口が流れ込んだ結果、むしろそういう農村ほど放棄されたことも指摘されている。当たり前の話だが人口動態を見るうえでは人口の移動についても考えねばならないのだろう。

 実際問題、古い時代の人口動態について調べるのは難しい。例えば英語wikipediaのMedieval demographyでは1500年時点のドイツの人口を1080万人としているが、Demographics of Germanyだとその数は920万人となる。領土が変わるといった問題も踏まえて考える必要があるのかもしれないが、研究者間でも必ずしもデータが一致しているわけではない一例だ。
 これがBritannica.comになると、1500年のドイツの人口は1200万人となり、うち150万人が都市住民だと書かれている。The Population History of Germanyでは帝国領(アルザス、ロレーヌ除く)が920万人、ドイツのみに絞ると720万人という数字が出てくるし(Table 1)、同じ筆者が書いたUrban population in Germany, 1500 - 1850では1500年当時のドイツの都市化率を10%と推測している(Table 3.1)。
 近代に入っても人口推測の困難さは変わらないようで、The Population History of Germanyでは1600年の人口1620万人が三十年戦争を挟んだ後の1700年には1410万人に減ったとしているが(Table 1)、前に紹介した古い時代の推計値を見ると1600年から1700年の間に少しだが人口が増えているとしている例もあるビッグヒストリーを語るうえでデータは外せなくなっていると前から書いているが、一方でこうした古いデータが持つ限界を忘れてはならない、と思わせる話だった。先日書いたロシアのSFDの話でもそう結論づけたが、必要であることは間違いない一方、歴史データについては注意深く見るようにした方がいい。
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