キルチェーン

 ウクライナでの戦争だが、ISWの18日の報告によるとウクライナ側が作戦の見直しに向けて反転攻勢を一時中断しているそうだ。この数日、彼らはほとんど前進を止めているという指摘がいくつか出ており、ISWも同じ見解を持っているという。ただしこうした作戦の休止は大規模な攻勢においては共通する特徴だそうで、これでウクライナの反転攻勢が終わったわけではないらしい。
 全体としてウクライナの攻撃はゆっくりと進んでいた印象があり、昨年のハルキウのような機動戦が展開されているとはいいがたい状況なのは確かだ。先日の報道を見るとウクライナ軍は12個旅団のうち中心的に投入しているのは3個旅団どまりだそうで、まだ予備を背後に残した状態だと考えられる。昨年夏のヘルソンでの反転攻勢時もそうだったが、守りを固めている相手に対しては時間をかけて慎重に攻め寄せるつもりなのかもしれない。ただしロシア側もあまり予備を投入している様子はなく、現状まだ膠着状態が続いていると見た方がよさそうだ。

 ウクライナ側の作戦について「40年くらい前のソ連式の縦深攻撃理論のような陣容って事でええんか?」という疑問が出ているように、ウクライナが何を狙っているのか、現時点では必ずしも明確になっていない。ただ今回の戦争から、どのような戦い方が効率的であるかはうかがえる、という指摘がある。そのあたりについて解説しているのが、Modern War Instituteに掲載されているThe Russian Way of War in Ukraine: A Military Approach Nine Decades in the Makingという記事。題名の通り、旧ソ連時代からの90年に及ぶソ連・ロシア軍のドクトリンの変化を紹介しているのだが、彼らのアプローチは実際に足元の戦争の変化をきちんと把握したものだと指摘している。
 大祖国戦争が始まる前からソ連は「深層戦闘と深層作戦」を掲げ、長距離砲、航空攻撃、空挺作戦を活用して敵戦線の奥深くまで突入し、強力な第2梯団がそれに続いて突破を達成するという方針を掲げていた。これを達成するには多数の梯団を準備できるだけの戦力を整える必要があり、実際に赤軍はこの方針に従って組織されていたという。
 この方法は時代を通じて改変されており、たとえば核兵器が登場した1950年代からは伝統的な兵力の集結が難しくなり、各部隊の機動性を高める必要が生じたし、1970年代には深い梯団を諦め、密集した部隊ではなく散らばった拠点からの素早い機動を生かした戦い方が唱えられるようになった。1978年からは米軍が前線からずっと後方にある敵を精密攻撃によって破壊する「深層攻撃」システムを構築。ソ連伝統の第2梯団を使った突破自体も今後難しくなっていく可能性まで出てきたという。
 ソ連はそこで偵察攻撃、偵察射撃というコンセプトを生み出した。ミサイルや砲兵を使ってNATOの深層攻撃システムを先制して叩くというもので、敵の発見から意思決定、そしてターゲットの破壊という一連のプロセスをできるだけ加速することでこの目的を達成しようとした。このターゲットの発見からその破壊に至る一連の過程はキルチェーンと呼ばれているそうで、つまり味方のキルチェーンをうまく機能させつつ、敵のキルチェーンが働かないようにいかに妨害するかが問われることになる。
 そうした戦い方が中心になると、戦線のない、さらには戦線同士の接触もない流動的な戦場が生まれ、かつてであれば戦線から離れた安全な後背地とされていたものも消え、広い「戦闘ゾーン」が取って代わると予想されていた。実際にそうした「軍事における革命」が実践に移された最初の例は湾岸戦争であり、これを分析したロシアの軍事理論家たちは接触を行わない、長距離兵器と精密誘導弾を使った戦闘が中心になると予想。その中でキルチェーンを効率的に回す指揮統制能力の重要性も浮かび上がった。
 正面からぶつかり合う大規模な部隊間の戦闘から、分散した機動的な諸兵科連合部隊が流動的に動き回る戦場に移行すると、数千キロにわたる戦線は姿を消し、両軍が接触するのは特定地域のみで他の地域では主攻勢のための兵の集結を代替するような「非戦線」的な戦闘が繰り広げられる。ソ連崩壊後にロシア軍が改革を通じて小規模だがより機動性のある戦術的部隊で構成される軍を作り上げようとしたのは、こうした予想が前提にあったようだ。
 ウクライナ以前にこういった戦闘が実際に展開されたのはナゴルノ=カラバフ戦争だ。アゼルバイジャンが利用した無人機や徘徊型兵器は、伝統的な前線を挟んで使うような兵器よりもずっと多くの損害をアルメニア軍に与え、彼らから反撃に出る能力を奪い取った。ロシア自身、2014年には無人機がウクライナ軍の集結している場所を発見し、これに先制攻撃を加えてその兵力を無効化するのに成功したという。
 今回のウクライナ戦争は両軍が深層攻撃能力を持っている初めての戦争であり、そして実際に両軍とも戦場でその能力を発揮している。キーウ侵攻失敗後にロシア軍はドンバスで無人機を使ってターゲットを探し出し、彼らの持つ砲兵の優位をさらに強化することに成功した。ウクライナ軍はより小規模な部隊に分散することを強いられたという。一方で特にHIMARSの到着後はウクライナ側が効果的にロシア軍の弾薬庫を見つけ出して攻撃するようになり、ロシアの砲兵優勢が次第に失われていった。ただし両軍とも戦闘から学んでいるのは同じで、最近のロシア軍はめったに機甲部隊と歩兵を攻撃用に集結させることをせず、ウクライナの攻撃を鈍らせるのに砲兵を使う割合が増えている。
 このような戦場で効果的な方法は2つ。敵の深層攻撃能力を低下させるための偵察射撃と偵察攻撃の能力向上と、生存力を高めるため部隊をさらに分散させることだ。互いに味方のキルチェーンを守りつつ敵のキルチェーンを無効化できるかどうかが重要になっている。特にキルチェーンの重要な結節点と言える司令部は大きな目標で、最近でもウクライナの攻撃でロシア軍の少将が戦死した
 ウクライナ側にとっては特に数で勝るロシア軍の砲兵をどう無効化するかも重要で、衛星画像を使って砲兵陣地を特定しようとしているのではないかとの推測もある。キルチェーンの4つのノード(ターゲット識別、ターゲットへの戦力派出、ターゲットへの攻撃開始、ターゲット破壊)のどこを破壊するか、その判断をするうえでも情報がかなり重要になっているようだし、そのために第三者への情報流出は時とともにどんどん減っていきそうに思える。
 それ以外に戦場で話題に上っているのが、地雷原の話。この排除に時間とリソースが必要という話だが、これが問題となっている大きな理由は航空優勢がないことにあるそうだ。とにかく米軍の持つ圧倒的な航空優勢のおかげで西側がこれまでどれほど楽に戦争をしてこれたのか、逆にそれがない状態だといかに戦争が泥沼になるかがわかる。

 軍事理論の分野では先見性のあるロシアだが、政治まで絡んでくるとそういった合理性がほとんど見えなくなってくるのは相変わらず。いやまあ囚人のジレンマにおける裏切りがデフォルトになっている社会で、かつ全体ではなく個々人の利益を最優先に考えるなら合理的と思える行動なのかもしれないが、それは結果的にロシア全体にとってはマイナスをもたらしている。
 例えばショイグの最近の言動。彼は「予備の装甲車両を迅速に戦地へ輸送できなかったことを理由に西部軍管区の将校を非難」したそうだが、これは「自分の失態を部下に転嫁させておき、近い将来に敗北を喫した際に、自分は責任から逃れるつもり」と見られる行動だ。組織内での生き残りを最優先させたこうした行動はショイグにとっては合理的なのだろうが、周辺の者たちはそこから素早く教訓を学び、結果「上から細かな命令がないと何もしようとしない事なかれ主義の組織文化が育まれ」る。上に書いた通り今の戦場は細かい部隊に分散することが生き残りのために大切なのに、上からの命令なしでは動かない部下ばかりになるとそうした対応は難しくなる。
 同じく自己保身に動いているのがカディロフで、ワグナーに代わってバフムート戦線をカバーするはずだった彼らは「全く前に出てこず、交戦記録もない」まま、気が付くとロシア国内のベルゴロドにちゃっかり転戦していた。カディロフにとって大切なのはチェチェンの封建領主の地位を維持することであって、そのためにはTikTok軍を維持することの方が優先されたんだろう。
 そしてもちろん最も派手に内輪もめをやっているのがプリゴジン。国防省が傭兵に対して直接契約を取り交わすよう求めているのに対し、プリゴジンはこれを拒否。プーチンが国防省の方針をはっきり支持している状況下でのこの対応はなかなか異例で、契約期限とされている7月1日が重要な分岐点になるかもしれない。またワグナーの死傷者に対する社会保障の話関連で戦死者数2万人という数字も出ているそうで、ワグナーの損耗がかなり激しかった様子もうかがえる。
 さらに前にも書いた、プーチン=裸の王様説を裏付けるような話も出てきた。最近になって記者や軍事ブロガーと懇談したのは、FSBや軍が正しい報告を上げていないためだとの説があるという。自己保身に走る部下ばかりだとそりゃそうなるだろう。一応、若い世代の損耗を避けるため動員年齢を徐々に引き上げる法案が出てくるなど、個人ではなく全体に配慮したような話も出てきてはいるようだが、全体としては相変わらずエリートの利己的行動が透けて見える話が多い。
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