出典ロンダリング

 最近、立て続けに「引用がおかしい」という指摘がちょっと注目を集めていた。1つは国内の論壇誌に載っていた「論文」に関する指摘。キャンセルカルチャーがらみのものらしいが、指摘した側は最初にミルの「危害原理」について触れた後に、「それより私の関心をひいたこと」として脚注部分を取り上げている。「論文」にはピーター・シンガーがキャンセルの対象となっている点の説明として彼の文章のいくつかが引用元として並べられているそうなのだが、その引用がおかしい、という批判である。
 まず最初の引用元はシンガーの書いたFamine, Affluence, and Moralityというやつで、脚注によるとその259ページがシンガーの黙示的差別意識を示しているらしい、んだけど、上のリンク先を見てもらうとわかる通りシンガーの文章は引用元の229ページから243ページまでしかない。259ページはその次の筆者が書いているThe Marxian Critique of Justiceの範疇に入ってきてしまうのだが、そこに差別意識を示す文言があるとしてもシンガーとは関係ない。ただし一つの可能性として、数字のフォント(例えば3を5)を見間違えた、もしくは文章にする際に書き間違えたという可能性はあると思う。
 2つ目のOne World: The Ethics of Globalisationについては批判者が該当ページをアップしているので、読めば内容はわかる。日本語訳はこちらのツイートで紹介されているページがおおよその該当部分なのだが、見ての通り貧困で苦しんでいる人に寄付すべきかどうかという議論をしており、批判者は「特にへんな差別的文章はない」との見方を示している。さらにThe Life You Can Saveについても「『寄付しましょう』とかそういう話のところ」だという。
 そのうえで批判者は「いったいどこに差別的な話があるのか」と疑問を呈している。それはその通りだが、後者2つは実は貧困に苦しむ人に対する寄付を訴えている点が同じである点には注意した方がいいんじゃなかろうか。なぜなら1つ目の引用元の259ページではなく239ページを見ると、実はそこでもグローバルな貧困とそれに対する寄付の話が語られているからだ。批判者はこの脚注について「適当に貼ってみただけですか?」と困惑しているが、同じ切り口の話が3つ並んでいるのを見る限り、「適当」などではなくはっきりとした意図をもって出典を示した可能性が出てくる。あくまで外見的には、だが。
 とはいえ「論文」筆者を擁護するつもりはない。批判者が述べている「シンガーが障害者差別的・性差別的だって話しているのに、飢餓援助論文やグローバリゼーション本や募金しましょう本がこのリストにあがってくるのがよくわからない」という指摘については、個人的にもその通りだと思う。貧困と寄付に関する文章が「黙示的差別意識」の証拠だとする理屈は、さっぱり理解不能だ。敢えて屁理屈を並べてみるのなら、海外の貧困に対しては寄付を行うのが義務であるという主張は途上国に対する潜在的な差別意識に基づくものであり、高慢な先進国住民のコロニアリズムの発露である、とか言ってみるしかないが、まあ説得力に欠けることおびただしい。
 それでも批判者が主張する「英語文献をただの飾りみたいに使ってませんか?」という批判に対しては反論可能なだけの条件をそろえているように見える(個人的には日本語文献があっても著者が参照したのが英語文献ならそちらを脚注に挙げるのは構わないとも思う)。数字部分の間違いは訂正する必要はあるが、それ以外は共通したテーマを引用しており、そのテーマについてシンガーには差別意識があると主張すること自体はできそうだからだ。問題は、「論文」内でシンガーの「黙示的差別意識」の論拠を示していないらしい点。どうやら「論文」筆者は「その人物は本当に差別的な人物なのか」について何も議論していないそうだ。ツッコミどころとしては出典部分よりもこちらの方が重要だろう。
 それに出典に関してはもっと巧妙な手練手管を使っている事例もある。それが2つ目の指摘で、そこでは各種「脱成長研究文献」の引用でそうした方法が使われていると批判している。EUで広まっているこの脱成長論者が引用する論文には「定評ある研究者は一人も出てこない」し、専門分野の研究者たちが「まともな学術誌」と呼ぶようなものではなく、脱成長論者によって作り出された「名も知られない学術誌」に載っているようなものばかりが並ぶ。彼らはそうやって「仲間内だけで完結した知識の代替宇宙」の中で「お互いに引用しあって」「知識の正典の山」を築き上げているそうだ。
 シンガーが黙示的差別意識を持っていると書いた論壇誌の「論文」も、「仲間内」ではそうした「正典」としての役割を果たしているのかもしれない。さらにはそうやって出典元のロンダリングが進められ、特殊な学問領域の内部でしか通用しない議論と文献が積み重なっていく可能性もある。少なくとも過去には学問的にほぼ無価値の言説が他者によって繰り返し引用され、1つの学問領域まででっち上げられた例があった。その意味では出典元ロンダリング自体は人間社会においてありふれた出来事なんだろう。
 それにしてもこの出典元ロンダリング、前にTurchinらが書評で批判していた「空引用」よりもある意味巧妙で、それだけ悪質と言える。だから批判が欠かせないのは間違いないのだが、批判する際には「無関係な引用をするな」ではなく「引用元をそう解釈するのは無理がある」という具合に問題点を正確に指摘しておいた方がいいと思う。でないと批判された側に反論(および論点ずらし)のチャンスを与え、傍観者的に「どっちもどっち」に見えてしまうリスクがあるからだ。もちろん現実とそぐわない学問領域はいずれ勝手に廃れていくとは思うが、できれば猖獗を極める前に鎮火する方が望ましい。

 ちなみにTurchinの新刊であるEnd Times、出版時期が迫ってきたためか関連記事が増えてきた。まずはTurchin自身が書いたThe AtlanticのAmerica Is Headed Toward Collapseがある、のだが残念ながら有料記事のためほとんど読めない。またオクスフォード大のカルチャーについて触れたAt Oxford students now live in fear - they think cancelling each other will help them get aheadというThe Telegraphの記事もエリート過剰生産を紹介しているそうだが、こちらも有料なので中身は不明。一応ハイトがツイートしているのだが、「読む価値がある」くらいしかわからない。
 Financial Timesに載ったTrump or not, US meltdown could be inevitableもまた有料になってしまっているが、公開直後は無料で読むことができた。内容的にはTurchinの紹介と、彼が主張する新たなニューディール及び再配分の必要性に触れ、またレイ・ダリオにも言及しているのだが、彼と同列に扱われるのはTurchinにとってはどうなんだろうか。
 もう1つ興味深いのは永年サイクルの期間について100年と述べている部分で、同じ表現はこちらの書評にも入っていた。Ages of Discordを読んだ限り150年周期とかなら理屈に合うのだが、100年という数字はどこから出てきたのだろうか。以前、遊牧民については1世紀という永年サイクルがあると説明していたので、それと関係しているのかもしれない。またEnd Timesの中では一夫多妻なら一夫一妻より短いサイクルになるという説明もしているようで、そこから100年というサイクルが出てきた可能性もある。
 こちらの書評を読むと、End Times内でCrisisDBについて話が出てきていることもわかる。以前、Guardianの書評でSeshatの話が出てきたことに違和感があると書いたが、どうやら出てきているのはCrisisDBだと考えていいだろう。それなら永年サイクルを説明する際に出てきてもおかしくはない。
 最後にThe Timesに載っているEnd Times by Peter Turchin review: we’re in a mess, blame the eliteという書評もあるが、ここでははっきりwokeness(お目覚め系)の台頭が「文化エリートが古い伝統主義者を貶めるために使う武器」だと書いている。これまでも紹介してきたように、先進国で起きている分断の背景にエリート過剰生産とエリート内紛争があるというTurchinの理屈が正しいのなら、当然そうした結論も出てくるだろう。前半に紹介した出典ロンダリングや空引用に精を出している面々も、アカデミアの世界におけるエリート志望者=対抗エリートだと考えれば、そうした悪質な手法がエリート内紛争のための手段であると推定できる。
 そしてこのタイミングでトランプが退任後の機密文書保持など37の罪で起訴された件、及びジョンソンが虚偽答弁疑惑への下院調査に抗議して辞職したという報道が出てきており、Turchin(と出版社)の出版に追い風が吹いている。さて、売れ行きはどうなるんだろうか。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント