近世騎兵

 15世紀頃から始まった火薬革命が世界を変えていった話についてはこちらでまとめた。それ以降、火薬技術が勃興するその裏で、それまで軍事技術の頂点にあった騎兵の地位が低下していったわけだが、騎兵の没落は決してあっという間に起きたわけではないし、また一方的に進んだわけでもない。そのあたりを示す1つの見方として、16世紀後半から17世紀初頭の英国の騎兵について記した文章があったので紹介しよう。
 The Evolution of Cavalry During the Military Revolution: The English Experience 1572-1604は2015年に書かれたもののようだ。目次を見ると文章は主に4つの章に分けられているのが分かるが、そのうち第1章は全体の流れを簡単に説明している部分であり、この手の文章が細かい部分にこそ読む価値があると考えるならそれほど重要ではない。とりあえず筆者が批判対象としているのがOmanEllisParkerRobertsあたりであることはわかる。
 第2章では上記の批判対象となっている研究者たちが、火薬革命後の騎兵についてどう認識していたかについての説明がまずなされる。騎兵は槍(ランス)を捨ててピストルに持ち替え、衝撃を生かした白兵戦ではなく銃を撃って側面へと回る「カラコール」を採用。だがそうした戦術の変化はむしろ騎兵の価値を落とし、火薬兵器を手に入れた歩兵と新たに生まれた砲兵が急速な進化を遂げている一方で騎兵は役立たずと化した、というのが彼らの唱えた通説だ。
 Omanはカラコールを批判し、ピストルの問題点を指摘し、騎兵が衝撃戦術を捨てたことを問題視した。彼はそうした戦術の採用で騎兵が非効率的な兵科になったと主張した。だが筆者はピストルが多数の騎兵に採用されたことを指摘し、本当に非効率な兵器ならなぜそれが普及したのかと批判。実際にはカラコールを利用して敵騎兵を蹴散らした例もあると指摘している。
 RobertsやEllis、そしてParkerらもOmanと同じく衝撃戦術を捨てた騎兵を批判しているが、この文章の筆者によれば彼らの批判はどちらかというと理論先行であり、実際の戦闘に基づいた議論をしているわけではない。また彼らは多くの場合、戦場における白兵戦ばかりを重視し、それ以外に騎兵が果たした様々な役割、つまり偵察や襲撃、哨戒戦、守備隊支援、護衛といった様々な任務の重要性を無視する傾向があるそうだ。
 この主張は結構、重要な点を突いていると思う。前にバウツェンの戦いで指摘したが、1813年春季戦役でフランス軍の足を引っ張ったのは、騎兵不在がフランス軍の「追撃能力」「偵察能力」「部隊間連絡」に与えたマイナスの影響の方であり、戦場における突撃能力の有無ではなかった。少なくとも当時の将軍たちがやり取りした手紙の記述を見る限り、こうした敵味方がぶつかる戦場以外での騎兵が果たした役割は、相当に大きかったと思われる。
 個人的に、戦場の華やかなところにばかり注目し、それ以外の部分について視野が暗くなるのは、通史や歴史理論について論じる研究者が陥りやすい落とし穴ではなかろうかと感じている。前にこちらで、ハラリの指導教官がもっと時代を絞り込んだ話を書けと言ったのも、そういった細部にこそ重要な事実が宿ることを理解するには、個別の限定的な時代を深掘りしなければならないことが分かっていたためかもしれない。上っ面だけ撫でても浅い理解にした到達できないのは、歴史家の中に理論を忌避する人間が多い理由の一つなんだろう。
 というわけで細部の話だが(ここから面白くなる)、著者はまず1570年代の騎兵が5つの種類に分かれていたと指摘する。メン・アット・アームズ、槍騎兵、ピストル騎兵(pistoleers)、軽騎兵、アルケブス騎兵(harquebusiers)だ。最初の方から最後の方に行くに従って武装が軽くなるが、そこまで極端に違うわけでもない。
 中世以来の重装騎兵であるメン・アット・アームズは16世紀に入ってもしばらく生き延びていた。中世の騎乗弓兵の後継者となったのがアルケブスで武装したアルケブス騎兵だが、当初は射撃時には馬から下りていた彼らも1590年代には馬に乗ったまま火縄銃を撃つようになった(後の竜騎兵と同じだ)。時代が下るとこのうち重い方の騎兵が姿を消し、ピストル騎兵(胸甲騎兵と呼ばれるようになる)、アルケブス騎兵に、新しい兵科として竜騎兵が加わるようになったそうだ。
 メン・アット・アームズと槍騎兵の持つ武器には大きな違いはなかったが、鎧については槍騎兵の方がずっと軽装で、何より馬に鎧を着せていなかったために機動力は後者の方がずっと高かった。槍騎兵が身に着けていたのはピストル弾に耐えられる胸と腕、そして太ももの前部をカバーする鎧であり、武器としては槍と剣に加え、ピストルも2丁装備していた。彼らの役割はメン・アット・アームズと同じだったが、より機動力のあった彼らはより汎用性が高く、様々な任務に関与できたそうだ。
 ピストル騎兵は実は武装では槍騎兵と変わらず、ピストルを主要な武器としている点だけが違いだった。ピストルは槍より効果的な武器だと指摘する当時の軍人もおり、実際に使い方によってはかなり破壊的な威力を発揮したようだ。カラコールは騎兵版のカウンターマーチ戦術であり、歩兵と同様の効果を発揮する場面があったとしても不思議ではない。一方で当時のピストルはホイールロック式であり、それだけ高くつく兵器だったのも確かだ。
 アルケブス騎兵は歩兵用に比べれば短いアルケブス(いわゆるカービン)で武装していた。当初はあくまで騎乗歩兵であった彼らは軍の側面を守り、槍騎兵を戦場で支援し、また襲撃を行ったという。ここでも汎用性の高さが騎兵としての利用頻度の増大につながったのだろう。加えてメン・アット・アームズのような兵科は兵士も馬も育成するのに大変なコストがかかる。重武装させた大型馬の育成が減り、またトーナメントのような槍を使った訓練が時代遅れになっていった結果としてそれに向いた兵士が減ったことなどが、ピストル騎兵の増加につながった面もあるようだ。
 といっても槍騎兵が全欧州から姿を消したわけではない。筆者も指摘しているが、例えばスコットランドの騎兵はイングランド内戦が始まる時期まで槍騎兵を残していたし、東欧には多くの槍騎兵が生き残って普通に活動していた。後の時代になると再び衝撃戦術が復活するのはよく知られた通り。騎兵が一本調子で没落していったわけではないのは最初にも書いた通りだし、その戦い方も途中で色々な変化を経験していることが分かる。
 その中で筆者が力点を置いているのは「文化」、それも騎兵の役割を担うことが多かった貴族やジェントリたちの階級に存在した戦争の文化だ。社会的な地位が戦場での地位を求め、その逆も合わせてそうした文化がこの時代に広まり、結果としてそれまでの騎士から新たな騎兵が形作られていった、というのが筆者の主張。そしてそうした文化が育まれたのが、当時英軍が関与したオランダ独立戦争の戦場だったという。欧州最先端の軍事技術が集まっていたこの場所で、近世騎兵が生まれたという考えだ。
 実際、第3章や第4章で筆者はこの時代の主にオランダで戦った者たちの記録を使い、彼らの持つ「文化」に関する分析を進めている。伝統的な貴族の勇気が軍事的なプロフェッショナリズムと結びつき、さらに名誉の観念が国家への貢献とつながっていったのがこの時代であり、そうした観念を内面化していった貴族やジェントリたちが騎兵に必要な「勇敢」な戦い方につながった。騎兵の戦場での役割は、その重量感をもって歩兵を威圧することにあり、そうした心理的なインパクトこそ騎兵最大の武器であった以上、恐れ知らずに戦うことに誇りを持つ兵士は騎兵を強くした、という理屈だ。
 このあたりの文化にかかわる理屈がどこまで正しいのかは不明だが、騎兵が心理的な兵科であったのは後の時代の記録を見ても分かる。筆者は使う武器が槍だろうがピストルだろうが、隊列を乱した歩兵の群れに乗り入れ、これを蹴散らすことができる騎兵が強い騎兵だと見も蓋もないことを述べているが、実際に戦場で戦っている者たちにとってはそういうことなんだろう。武器はあくまでいくつもある要素のうちの1つにすぎず、それだけで騎兵が役に立つとか立たないといった議論を繰り広げるのには無理がある。
 ただ一方で、長い目で見れば騎兵が最後には役立たずになっていったのは事実。18世紀はともかく、19世紀に入ると例えばバラクラヴァでは騎兵突撃は被害を増やしただけだったし、南北戦争期になると戦場より偵察任務の方が中心になった。かつてその心理的圧迫感から戦場を支配し、さらには国家形成にまで影響を及ぼした「騎兵」の時代は、この頃にはほとんど終わりかけていたのは否定できない。
 おそらくその端緒は筆者が紹介している16世紀後半にも表れていたのではなかろうか。Omanらが唱えた説明が単純すぎて大きな穴があったのは確かだろうが、だからと言ってそれ以前と騎兵の重要性は全く変わらなかったのかと言えば、そこは疑問。以下は直観だが、騎兵の重要性がどう低下していったかを調べるうえでは、軍全体に占める騎兵の割合を追っていくのがよさそうに思える。国家の効率が高まり、軍隊が大きくなるにつれ、騎兵のシェアはどんどん小さくなっていった可能性が高い。騎兵は時代とともにコストに見合わない兵科になっていった、ように思う。
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