書評と選挙と

 TurchinのEnd Timesの出版が迫ってきた結果か、新しい書評がGuardianに載っていた。End Times by Peter Turchin review – can we predict the collapse of societies?というやつで、真っ先にトランプ支持者の議事堂襲撃の写真が使われているあたり、この本の主題を分かりやすく示したものと言えるだろう。一般向けにAges of Discordを書き直したもの、という私の予想が正しいなら、この写真ほどその内容を象徴するものはない。
 この新しい書評ではTurchinの主張をcollapsologist、つまり崩壊論者という切り口で紹介している。ただ一般的に崩壊論者は「成長の限界」のように環境面からの懸念について主張する人々を指して使われる用語のようで、だとしたらあまりTurchinの議論に当てはまる言葉ではない。実際、Turchinも自分は「崩壊論」から身を遠ざけていると話をしている。危機の結果が多様であると主張している時点で、彼を崩壊論という枠組みに入れてしまう意味はあまりないのは確かだ(書評も最後の方ではその点を指摘している)。
 次に書評で紹介しているのはSeshatなんだが、こちらはちょっと微妙。いやまあこちらもTurchinの仕事であるのは確かだし、この10年ちょっとの間にこのデータベースが大きく拡大したのは間違いないんだが、End Timesで取り上げている永年サイクルとSeshatが分析しようとしている「完新世の歴史」とはいささかタイムスケールがずれているはずだ。前者は2~3世紀単位でのサイクルを調べているのに対し、後者は1万年にわたる歴史を取り上げているわけで、Seshatのデータが前者の研究に直接役立つ場面は限定的ではなかろうか。とはいえこの辺りはもしかしたらEnd Times内で関連付けられているかもしれないので、断言はできない。
 続いて書評では永年サイクルが働き社会が解体トレンドに向かう要因として2つの点を挙げている。1つはそもそも最初に想定していた題名であるwealth pump(ここではトリクルアップとしておこう)、そしてもう1つはすっかり有名になったエリート過剰生産である。Turchinによる永年サイクルの説明ではよく3つの要素(エリート以外に大衆の困窮化と政府の財政悪化を含む)が出てくるのだが、この書評ではより根っこに当たる原因として格差の拡大(トリクルアップ)を指摘する必要があると見たようだ。もちろんTurchin自身、格差が社会政治的不安定性をもたらす根っこにあるという考えは示しているので、このまとめは妥当であろう。Scheidel的な「暴力以外で格差は減らない」論ともつながっているといえる。
 ただ、ちょっと奇妙なのは途中でエリートの4類型に関する説明が入ってくる点。軍事、金融、官僚、そしてイデオロギーといった類型があり、そしてこれらの派閥のバランスが崩れると不安定性が増大する、と書評には書いてあるのだが、本当にそういったことをTurchinが言っているのだろうか。というのも彼は「どの国ではどのエリート類型が優位にある」といった話はしていても、そのバランスといった話はしていなかったはずだからだ。実際、各種類型のうちどれが強いかはむしろ歴史的な経路依存によって決まる傾向が強く、どんな国でも4類型がバランスよく力を握っていると考える論拠は不明だ。
 この4類型についてTurchinはOn Social Powerというエントリーでもう少し詳しく説明している。もとはこちらの本で提示されたアイデアだが、Turchinは言い回しを変えて「強制」「経済力」「行政権」そして「説得力あるいはイデオロギー」という4種類に整理している。確かに軍事という言葉を使うと限定的なグループのみが使う手段に思えるが、物理的な強制力と考えればもっと幅広く考えられる。イデオロギーや宗教ではなく説得力としているところも、エリートの在り方を幅広く捕捉するうえで役立ちそうだ。
 別の意味でこの書評とつながりがありそうだったのが、Anacyclosis, Act 1: From Monarchy to Tyrannyという文章だ。プラトンなどが唱えた政体循環論について紹介しているページなのだが、そこでは例えば王制が僭主制へシフトする理由として2つの法則があると指摘している。つまり格差の拡大とエリート過剰生産だ。そう、書評の説明と全く同じである。といってもこちらの文章が書かれたのは2020年とかなり前。Turchinに言及してはいるが、今回の書評と直接関係があるかどうかはわからない。偶然だとしたらなかなか面白い話ではあるが。
 結論として、Guardianの書評がEnd Timesの内容紹介として適切なのかどうか判断しかねる記述がいくつかあったのは確かだ。しかしそれを評価するうえではやはりEnd Timesを読む必要がありそう。前にも書いたがTurchinは一般向き書籍では(特にマルチレベル選択などで)筆が滑りがちな印象があるし、もしかしたら「聞いてない」と思うような内容にも言及しているのかもしれない。
 いずれにせよ6月になればEnd Timesは発売されるので、後はそれを読んで確認すればいい話だ。一般向けの書物が出ることで、不和の時代をもたらす構造的な要因について知る人が増え、議論が盛んになればそれはそれでいいことだろう。Turchinの言うことがどこまで正解かについては、そうした議論も踏まえて次第に明らかになっていくのだと思う。

 ただ構造的原因が何であれ、選挙を翌年に控えて米国で再び対立が強まりつつあるのはおそらく事実だろう。一例と言えるのがバイデン大統領就任式のために書かれた詩がフロリダの公立学校で閲覧制限の対象になったという話。フロリダといえば先日、共和党の予備選立候補を表明したデサンティスのお膝元であり、かつてのスイングステートから足元では赤い州へとシフトしている点で知られている州だ。禁止措置は別に今回が初めてではなく、過去にも「性的少数者や社会正義を扱った書籍」が対象になっていたという。
 似たような事例としてFiveThirtyEightが紹介していたのが、一部の州で広がりつつある「反LGBTQ+法」の成立だ。Over 100 Anti-LGBTQ+ Laws Passed In The Last Five Years - Half Of Them This Yearによると、2018年以降に州単位でLGBTQ+に反対する法律がこれまで100本以上成立しており、うち半数近くの51本は今年になって州議会を通過したそうだ。もちろんこれらの法が通過しているのは赤い州である。
 といってもすべての赤い州が法案成立に躍起になっているわけではなく、テネシーやアーカンソーといったあたりがやたら張り切っている一方、ネブラスカなどは地味な動きにとどまっている。また提出された法案数で見ると数はずっと多く、逆に言えばそのほとんどは実際に法律にはならなかったようだ。そういう点からも、これらが法律としての実効性を求められて立法措置が進んでいるのではなく、地方の共和党政治家たちが「文化戦争」の一種として仕掛けているものであることが分かる。文化戦争をやっているのは(当たり前だが)左派の「お目覚め系」だけではない、という証左だろう。
 政治家が法律成立に狂奔しているのは、共和党支持者の間で反LGBTQ+を支持する動きが強いからだ。要するに選挙が近づいたところで馴染み客に媚を売ろうとしているわけで、だから法律の実効性よりも「やってます感」を出す方が重要なのだと思われる。ただし問題としてFiveThirtyEightが指摘しているのは、この「ギャンブル的な戦略」が果たして全国を相手にする際に通用するのかどうか。デサンティスのいるフロリダでもこの手の法律が増えているのだが、それによって共和党の予備選では有利になれるとしても、本選でどう評価されるかはわからない。
 実際、中間選挙ではトランプが支援した右派候補が本選で敗北する例が相次ぎ、思ったほど共和党が勝てなかった。その意味ではこうした保守派御用達な戦略はむしろハイリスクなはずなのだが、にもかかわらず共和党候補がそちらにどんどんシフトしているのはどう考えればいいのだろうか。国民の半数以下の支持しか求めようとしない大統領候補というのは米国全体から見れば不幸をもたらす存在にしかならないと思うんだが、激しすぎるエリート内競争のせいで米国はそこまで視野狭窄したエリートだらけになっている、ということかもしれない。
 私はトランプを支持するつもりは全くないが、個人的にLGBTQについては慎重なスタンスで進めた方がいいとBurkeのようなことを思っている。米国の中間派にもそうした人々がいると考えて共和党がそこで勝負を仕掛けているのなら、まだ選挙に勝つ戦略として評価できる。だがそういうスタンスの人間は年寄りばかりで有権者に占める割合が減っているにもかかわらずギャンブルに出ているのだとしたら、米国はそもそもエリート育成に失敗しているとみなすべきかもしれない。エリート過剰生産が不幸なのは間違いないが、エリートにふさわしい人材を育成できない社会はもっと不幸になる、んじゃなかろうか。
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