まだ戦争が続いている現状において、ロシアによるウクライナ侵攻に関する学術的な分析にはどうしても限界がある。
こちら で紹介したRussian Military Logisticsという文章も、ロシアの兵站が持つ問題点を割とシンプルにまとめたものであり、さほど踏み込んだ分析をしているわけではない。ただし中にはもう少し論文らしい体裁で今回の戦争について記そうとする試みも出てきている。
この段階で論文を記すうえでの最大の問題は、手に入る情報が限られている点にある。両軍のアーカイヴを調べ、戦争参加者や当事者に話を聞き、データを集めて論文に仕上げるといった方法は当然採用できない。最初に研究手法についての説明が載っているのもそのためだ。筆者たちは公開されている情報をまず自分たちと、ロシア軍の動向などに詳しい専門家も交えて吟味。そうすることで二次的な情報によるバイアスを避けようとした。また兵站専門家が意味があると考える枠組みを作り、それを実際に起きていると思われる事象に当てはめて分析した、というのが彼らの主張だ。
まず西側の原則として、兵站とは生産拠点などから現場に必要なものを届ける手法だと解説。工場などから主要な兵站拠点に物資を送るのが戦略兵站、そこから各部隊に補給を届けるうえでの中間拠点となる分配ハブに送るのが作戦兵站、さらに分配ハブから実際に部隊に物資を送るのが戦術兵站だとしている(Figure 1)。実際にはこうした補給線を通して物資を送るルートの他に、各部隊が自分たちで運ぶ手段や、現地調達という方法もあり、参考文献でクレフェルトが紹介されていたりするが、重要なのが補給線を通じて物資を送る点であることは間違いない。
続いてロシアならではの兵站の特徴と言えるのが「梯団原則」(Figure 2)。ソ連時代に採用されていたものだが、攻撃作戦に際しては最前線に立つ第1梯団が物資を含む戦闘能力を使い切るまで彼らを戦わせ、もはや前進できなくなった後で後方に控えていた第2梯団が代わって前進を始める一方、第1梯団への補給や修繕などを行なうという方法だ。図にある通り、鉄道やパイプラインの終点から第1梯団が前進を行い、進めなくなったところで次に第2梯団がそれらを追い越して進む。問題はこの方法は兵力がやたらと多かったソ連時代のものであり、少数精鋭に転じた後の現代ロシア軍においては長期にわたって前進を続けるのに向いた手法ではない点だ。
さらに兵站の上限として、部隊が大きく前進したり、あるいは前進速度が速すぎる場合(砂漠の嵐作戦における米軍)には兵站が機能しなくなり、前進が止まるという話を記している。その中で分かりやすく書いているのが時速50キロで移動するトラックの例(Figure 3)。物資の集結地点から前線までが50キロにとどまっている場合、そのトラックは1日3往復はできるが、100キロに離れれば2往復、150キロだと1往復が限界になり、それだけ最前線の物資が枯渇するという話だ。また戦況によっては急に物資が必要になったり、あるいは不要になることもあるが、兵站がそうした状況に対応するにはどうしても時間差が生じる。そこから兵站の空白が生まれるといった話も記している(Figure 4)。
以上の枠組みを踏まえたうえで実際に生じた出来事の分析に入るのだが、まずは侵攻前に行なわれた軍事演習について、少なくとも兵站部門はそのまま実際の戦争になだれ込むとは想定していなかったという。訓練終了後は引き揚げて補給やメンテを行なうつもりであり、有事に備えるテスト目的というより行程に沿って行われるイベントをこなしているだけだったのでは、というのが筆者の分析である。トップダウンで決まるロシアの作戦において、兵站部門は決まった作戦に沿って物資供給を図ることのみが求められており、侵攻計画の意思決定自体にはそもそも関与していなかったというわけだ。
実際に侵攻に際してロシア軍が想定していた兵站計画はFigure 5のようなものだったと思われるが、これらも上手く運ばなかった。そのうちキーウにおける失敗は、当初計画自体が早々に破綻したことに原因がある。数日間でウクライナ政府を解体するつもりだったクレムリンの計画に合わせ、兵站もおそらく数日分の本格的な活動を想定していたものになっていた。加えて彼らはおそらくホストメリ空港を重要な兵站拠点とするつもりであり、まずはそこへの物資輸送に重点を置いたと見られる。
キーウ北方の
例の長い車列 は、よく言われるような「泥縄で作ったプランB」ではない。あれだけの量の車両はそんなに短時間には用意できない。あれは元々ホストメリに物資を送るための車列であり、ところが目的地を奪えなかったために前進できなくなり、どうすれば分からなくなった部隊がその場でフリーズしてしまった、というのがこの論文の主張。次にどう対応するか決められなかった現場は上の指示を待ち、代替プランのなかった上層部も次の決断を下せないまま、結局はウクライナの反撃で引き下がった格好だ。論文の通りなら兵站は敗因ではなく、そもそも実現可能性の乏しい計画こそが敗因だったことになる。
ロシア軍の前進が異様に遅かったのは東部や南部でも同じ。これらの地域で起きたのは、上の枠組み説明で述べた梯団原則の問題点の露呈だ。あまりに広い戦線で同時に前進を図ったロシア軍はどの戦線でも第1梯団までしか用意できず、一方で兵站に使用できるトラックの数は圧倒的に不足していたため、第1梯団の物資が尽きた段階で彼らはほとんど動けなくなった。加えてウクライナがドローンと小型の迫撃砲の組み合わせで効果的に兵站を攻撃したことが響き、一段とロシア軍の前進能力を奪っていった。
要するに兵站は弱点であっても失敗の原因ではない、というのがこの論文の要点だ。当初の楽観的すぎる計画なら兵站が支えることができたが、実際にはそれは実現可能性に乏しい計画であり、なし崩しに長期戦に突入したら今度は兵站的に支えられない計画になっていた、という流れになる。ウクライナが抵抗し、全面戦争になった時点でロシアの兵站は破綻が見えていたわけで、元から綱渡りじみたことをやろうとしていたのだろう。やはり問題はクレムリンが現実離れした楽観的予想に基づく作戦を立てた点にあるんだろう。
ロシアの兵站については
The Russian Army’s Deficiencies in Operation ”Z” という文章にも興味深い指摘がある。ロシアにおける鉄道の重要性や一方における兵站部隊の弱体さが書かれているが、面白いのはトラックの問題を個別に取り上げているところ。1960年代にデザインされたトラックがいまだに数多く使われているほか、各種トラックはそれぞれ設計や部品が異なるためにメンテナンス上の問題があることなどが指摘されている。実はセルジューコフ時代にこの点の問題解決にも取り組んだらしいが、予算不足で十分には対応が進まず、いまだに古くてメンテに高い技術を要するトラックが使われ続けているという。
またパイプラインについても指摘がある。ロシアにはパイプラインを敷設して燃料と飲料水を補給する部隊があるそうだが、彼らは今回の戦争ではほとんど活躍している様子が見えないそうだ。そのためにトラックにかかる負荷がさらに増え、最前線は武器弾薬だけでなく燃料不足にも直面しているという。ただでさえ古く現状に合っているとは言い難いトラックをそこまで酷使しなければならないあたり、ロシアの作戦規模と兵站能力のバランスが欠けていたのは確かなんだろう。
それによると
ウクライナ軍の対空ミサイルが、どうやら枯渇しつつある らしい。空軍戦力で圧倒的に不利なウクライナ軍がここまで制空権を奪われずに来たのは旧ソ連製対空ミサイルのおかげだが、それらの中には4月中旬とか5月3日に払底すると見られるものがあるそうだ。西側によるミサイルの供給だけでは代替は困難だそうで、もしロシア空軍が自由に空を飛べるようになると戦況が大きく変わる可能性もある。
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