「文明交錯」考察 下

 今回も文明交錯についてネタバレ全開で行こう。この小説が取り組んでいる「歴史の逆転」に、より説得力を持たせるため、まずは第1章で語られているヴァイキングの話をどう変えた方がいいかについて前回考察した。次は第2章のコロンブスの話だが、ここでの問題は明白。コロンブス一行があまりにもあっさり全滅しているため、彼らの技術を原住民たちが自家薬籠中にできない点が一番まずい。
 本来ならこの章でも以下の2つ、つまり(1)火薬技術(2)最先端の造船と操船技術――くらいはアメリカ原住民に伝わっていないと困る。これがないためにその後の展開がかなり突拍子もなく見えてしまうからだ。加えて第1章を踏まえてアメリカがどう変化したかの部分についても、残念ながら歴史をひっくり返すための下準備が十分とは思えない。もちろんフィクションとしてその方が面白いからという判断で作者がそう処理した可能性はあるし、その判断はフィクションの書き手としてはおそらく正しい。ただここはあくまで説得力を増すにはどうすればいいかを考察する場なので、そういう切り口で話を進める。
 火薬技術をアメリカに伝えることはヴァイキングにはできない。彼らがヴィンランドにやってきた11世紀初頭の時点では、火器は世界のどこにもなかったからだ。従ってコロンブスが持ち込んだ火薬技術は、その場でもれなく原住民に仕込んでおかないと、歴史を容易にはひっくり返せなくなるはず。なのに作中では原住民であるタイノ族はアタワルパのユーラシア遠征直前の時点で火薬の製法を全く知らないという設定になっている。実にもったいない。
 コロンブス一行の中に火薬技術者がおり、彼が地元の女性とねんごろになるといった流れを通じて殺されるのを免れ、ついでに火薬の製法を原住民に伝えれば、紀元15世紀末の時点でアメリカで火薬作りが始まることになる。しかも西欧から安い銃などが流れ込むことはないため、ヴァイキング時代に仕込んでおいた金属加工技術を使って原住民が自ら火器を製造するという流れに簡単に持ち込める。アタワルパがリスボンに到着する1531年時点で、アメリカ原住民が銃を使うようになってから既に40年弱の時間が経過していたことになり、まだまだ習熟期間が短いとはいえ彼らが火薬革命に追随して欧州を征服するシーンの説得力が増す。
 同じことは船についても言える。やはりコロンブス一行の中に造船技師や操船技術を伝えられる船員を用意し、彼らを同じくアメリカにとどめ、原住民への技術伝承がきちんと行われるようにすべきだろう。コロンブスが乗ってきたサンタ・マリア号は縦帆と横帆を組み合わせたナウ船であり、排水量は推計で150トン。さらにカラベル船のピンタ号(60~70トン)、ニーニャ号(50~60トン)も伴っており、前者は横帆と縦帆の両方を備えたタイプ、後者は縦帆の一種である三角帆で航行していた。基本的に横帆を使っていたと見られ、サイズ的にもずっと小さいヴァイキング船のノウハウしかない者が、そうそう簡単に建造・操船できるような船ではないし、まして作中のアメリカ原住民はヴァイキング船の知識すら持っていない。
 なのに、作中でアタワルパらは壊れかけたカラベル船2隻をさっさと修復し、さらにそれを参考にもう1隻をゼロから建造したうえで、その3隻であっさり大西洋を渡っている。さすがに史実同様に難破したサンタ・マリア号をそのまま使ったわけではないが、原住民の女王と王女が40年近く前の出来事を「思い出して」語った内容(当然ながら曖昧かつ実用性が乏しいと思われる話)を基に船を作ってしまっている。それもインカからの追手が迫り、時間のない中でだ。
 これはかなり無理のある設定ではないだろうか。くり返すが原住民はクナールの技術すら伝承しておらず、丸木舟を基本的に使っていたというのが作中にもある。なのにその原住民たち、特に海から遠い山中で暮らしていたタワンティンスーユの一行が、いきなり大型の帆船を修復・建造し、それを操って大西洋を渡ったと言われても、さすがに説得力がなさすぎる。フレイディースが来た時に竜骨などを持つ船を作る技術を、またコロンブスが来た時に最新の帆船を作って操る技術を学んでいた、という設定にすればこうした不自然さも多少は薄らぐのだが、作者はそうしていない。
 さらに重要な意味を持つのは、第3章でアタワルパがスペイン到着後にタワンティンスーユに増援を求める場面だ。作中では西欧に来たアタワルパ一行以外にアメリカ原住民で火薬を製造するノウハウを持つ者はいないはずだったのに、アタワルパが増援を求めるといきなりアメリカで建造した船にこれまたアメリカで製造された大砲を積んでそれを増援に寄こしたことになっている。アタワルパが求めていたのは緊急の増援だったが、それに応じてそもそも製造技術を持たなかった人たちがあっという間に大砲と帆船を作り上げたという展開は、いくら何でもご都合主義すぎないかと思う。
 おまけにこの船には大量の硝石も積み込んでいたそうだ。確かにアンデスでは昔からグアノが肥料として使われており、一方でグアノから硝石を取り出す方法も使用されてきた歴史があるが、こちらも緊急に必要とされた際に硝石だけを大量に用意することができたのかどうかという疑問はある。大砲や帆船よりはまだそれらしさはあるが、素直にコロンブス以来火薬の製造がアメリカで始まっていたという設定にしておいた方が話は簡単だっただろう。
 同様に第3章のアタワルパ年代記の序盤も変えておいた方が、後々の辻褄が合わせやすい。まずせっかく鉄器と騎兵を500年前に導入したのだから、タワンティンスーユとメシカの領土を大きくし、より中央集権的にしておいた方がいいだろう。もっとはっきり言うならタワンティンスーユはカリブ海に面するパナマ地峡あたりまで、メシカは少なくともユカタン半島を飲み込むところまでは勢力圏に入れた方がいい。駄獣がいないメソアメリカでそこまで大きな国家を作るのは史実では無理だったかもしれないが、今回はウマやウシがいるので問題ない。海沿いに勢力圏を持たせることで、彼らが後にほいほい大西洋を渡るようになる点にも説明がつけやすくなるし、両帝国が直接戦争を行なうシーンももっともらしくなる。
 内戦で敗れたアタワルパがカリブ海まで逃げ、それを皇帝軍が海の上まで追いかけてくるのも、こうした設定があればらしく見える。正直、作中ではそういった条件なしにアタワルパが海からキューバまで逃げ、それを皇帝軍が延々追撃してくるため、途中にいるはずの他部族はどこにいったんだという疑問しか浮かばない。それにカリブ海に面する地域の住民がタワンティンスーユの臣民であるという設定にしておけば、アタワルパらが大西洋を渡る時に船を操る船員を簡単に確保できた理由も説明がつきやすい。正直、今の話だとアンデス山中でしか暮らしたことのない人間たちがいきなり帆船で大海を乗り越えてしまっており、不自然極まりない。
 せっかくだからタワンティンスーユとメシカが帝国になった時期も100年ほど早め、13世紀前半くらいにしてしまおう。追加100年分の権威主義国家の歴史が積み重なることで、より国力のある国家が存在することの違和感が多少は薄らぐだろう。これなら彼らアメリカ勢力がスペインやフランスを征服しても、まだそれらしさが出てくるんじゃないだろうか。
 ただし、ここまで話を修正したとしても、なおインカがスペインを征服する話が現実的かと言われればそうは思わない。最大の問題はタイミング。主な舞台となっている16世紀前半は、西欧諸国の大半が前世紀までの解体トレンドを乗り越え、新たな統合トレンドに入った時代だ。各国とも体制はむしろ安定し、人口は増加基調にあり、内紛に足を取られることなく外へ打って出ることがやりやすい時代だった。
 作中ではリスボン津波、スペインの宗教裁判、ドイツのシュマルカルデン戦争など、あの手この手で欧州側が混乱していたと印象付けようとしているが、実際には西欧諸国の大半は決して外敵につけ入れられやすいタイミングではなかった。6世紀のユスティニアヌスの疫病後にイスラム教が広まったように、あるいは史実のコロンブス交換で人口が減った後にアメリカが西欧文化に飲み込まれたように、解体トレンドにある欧州でインカの太陽神信仰が増えるのはまだ分かりやすいが、アタワルパの時代についてはそれは当てはまらない。アメリカ側だけでなくユーラシア側でも永年サイクルのタイミングをずらすために過去の歴史を変え、欧州をカオスに陥れなければ、なかなかこの作品の展開に説得力は持たせられないだろう。

 もちろんフィクションにおいて大切なのは説得力でも不自然さの回避でもない。面白ければ正義だ。ここで述べたような話がないからといってこの小説がつまらないわけではない。いやむしろ世界史好きなら読んでも損のない面白さはあると思う。
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