文明交錯を読了したので今回はネタバレ全開でいく。内容については
こちらの書評の通りだが、要するにこの本は歴史のパロディだと考えればいい。イメージとしては筒井康隆の
虚構船団みたいなものであり、あるいはなろう小説をちょっと高尚にした感じ、といったところ。単にインカがスペインを征服するというだけでなく、いちいち実際の歴史上の出来事と重ね合わせながらそれを逆転していくのがこの作品の特徴であり、そこを楽しむのが一応想定される読み方だろう。
実際やっていることはかなりダジャレに近い。
カハマルカの戦いをサラマンカの戦いにしたところなどはまさにそうだし、レパント海戦時の
「神聖同盟」を「聖典同盟」としているところも同じ。私は16世紀の欧州史にそこまで詳しいわけではないが、訳者が頑張って調べた脚注がいくつか載っているのでそれを参照しながら読めば作者がかなりマニアックなことを書いているのも分かる。中でも壮観なのはルターの
「95か条の論題」のパロディを全95か条分やってしまった部分だろう。えらく手間のかかる作業だったろうに。
もちろんパロディを題材にしたフィクションだから、実際の歴史とは無関係のものとして楽しむのがいい。内容的にもあくまで21世紀の読者に向けて書かれたものとみなすべきだろう。カトリックであるかプロテスタントであるかを問わずキリスト教に対して冷めた書き方が目立つところや、世俗的啓蒙が広がった18世紀より前の話なのに世俗的啓蒙に寄せた価値観が強くにじみ出ているあたりがまさにそれ。新大陸の思想の方を持ち上げているあたりは、
こちらで批判されているGraeberらの(啓蒙思想の原点がカホキアの崩壊にあるという)珍説とも近く、世俗的啓蒙を通り過ぎて
「お目覚め」系と言いたくなるくらいだ。
当然、フィクションなんだから中で描かれる価値観が題材となっている時代と違いすぎたところで何の問題もない。面白ければそれでOK。それこそ
ナーロッパで起きた出来事を暇つぶし感覚で読むのと同じ姿勢が、この作品に対する最も適当な向き合い方だと思う。
ということを前提に置いたうえで、今回調べてみたいのは作者が行った「歴史の逆転」にどのくらい説得力があるかだ。作者はまず
ヴァイキングによる北米植民の試みをより大胆なものとすることで旧大陸と新大陸の格差を縮め、続いて
コロンブスを1回目の航海で失敗させて欧州勢によるアメリカ植民を止め、そのうえで
インカ(タワンティンスーユ)の
アタワルパが欧州を征服する世界を描き、最終章で後日談を述べて歴史がどれだけ変わったかを読者に印象付けている。
といっても大半は第3章のアタワルパ年代記で占められ、なおかつその中身は上の書評にもある通りのゲームっぽい展開。後はそのゲーム展開にどこまで説得力を持たせられるかになるのだが、個人的にはもっとあちこち手を加えればさらにもっともらしい話に持って行けたのではないかと感じている。というわけでここからはその話だ。
まず第1章で北欧のサガに出てくる
フレイディースを南米までたどり着かせている部分だが、実はこの章でどこまで旧世界の技術をアメリカに伝えられるかがその後の展開にとっては一番重要だ。そうでなくても農業や鉄器、騎兵などでユーラシアはアメリカより数千年も先行しているわけで、アタワルパから500年ちょっと前のフレイディースの時代のうちにできるだけ多くの技術を手に入れておかないとその後のハードルが一段と高くなってしまう。
この時点でヴァイキングがアメリカに伝播できるものを簡単な順に並べると(1)病原菌(2)ヴァイキング船の造船操船技術(3)金属精錬と金属加工(4)家畜――になるだろう。病原菌はユーラシアの人間がアメリカ原住民とある程度密接に接触すればいいわけで、ヴァイキングをアメリカ大陸奥深くまで移動させればそれで条件クリアだ。ヴァイキング船(小説では
クナールに乗っている)はヴァイキングたちにとって重要な文化だったそうで、植民したヴァイキングたちの中には船大工や船員としての知識を持つ者がいると考えてもあまり違和感はないだろう。ただし残念ながら作中ではクナールの造船や操船技術を原住民に伝えたという話は出てこない。
そして最大の課題は家畜。作中では少なくともウマとウシがヴァイキングの手によってアメリカに運ばれたことになっているが、上に紹介したクナールのサイズ(全長9.28メートル、全幅2.12メートル)から考えてもこれだけ大型の家畜を大量に運んだと考えるのは正直難しそう。フレイディーズ一行が何人いたかは不明だ(少なくとも12人はいた)が、
グリーンランド人のサガによるとヴィンランドに向かった時点で彼女の一行はおそらく35人だったと思われるため、それほど大勢ではなかっただろう。となると多数のクナールで船団を組んで、という展開も考えにくい。何より作中に出てくるクナールはフレイディースの手で沈められた時点で使用できなくなっており、つまり1隻しか持ってきていなかったと見られる。これでウマなどの大型家畜をアメリカで繁殖できるくらい多数運ぶというのは、いくら何でも厳しい。
だが作中では明白に家畜を船に乗りこませるシーンがある。加えて合衆国の北東部やキューバ島で原住民に家畜を残したり、ユカタン半島(マヤの都市国家)の原住民に孕んでいた雌馬を奪われたりといった場面があるうえに、最終的にヴァイキングたちが定住したペルー北西部では「鉄と役畜」を持ってきたとも書かれている。一方、鉄については「泥炭から鉄を抽出」する方法を原住民に教えたとあり、古代から使われていたという
沼鉄鉱を利用したのだろう。やはり金属よりは家畜の伝播の方がハードルが高い。
作者がヴァイキングのアメリカ植民まで遡って歴史を変えた理由の大半は、ダイアモンドの
「銃・病原菌・鉄」にある。病原菌と鉄は題名にある通りだし、家畜になるような大型動物の重要性もまたダイアモンドが強く主張している部分だ。逆にクナールの扱いが雑になっているのは、おそらくダイアモンドがあまり船舶について強調していなかったためではないかと思われる。
しかし本気で歴史をひっくり返そうとするなら、クナールも含めた4つの全てについてヴァイキングを使ってきちんと伝播させる必要がある。病原菌はもとより、
鉄器・騎兵は軍事革命の元ネタであり、ユーラシアではこれが伝播した300~400年後に各種大帝国が出来上がっているのを見ても分かる通り、アメリカで複雑な社会を築き上げる大きな原動力となることが期待できる。そうした複雑な社会もなしにユーラシアとの接触時にアメリカ側が攻撃に出ると想定するのは無理があるだろう。
それだけにヴァイキングが馬匹とその他の家畜を運ぶための手段は増やした方が望ましいと思う。フレイディースが率いる人数を大幅に増やし、家畜の輸送用の船舶も含めた大船団で移動させるか、あるいは彼女だけでなくヴァイキングたちがくり返しアメリカ大陸を南下し何度も家畜を運び込むようにしないと、家畜がアメリカで繁殖し定着するように仕向けるのは困難じゃなかろうか。もしくはベーリング海経由や
オーストロネシア経由で家畜が運ばれ、そちらと合わせて繁殖したという補完的なネタを持ち込む手もあるだろうが、前者は寒すぎるし、後者はクナールよりさらに運搬が難しいと思われる。やはりヴァイキングの移住者と船舶を豪快に増やすのが一番よさそうだ。
家畜だけでなくダイアモンドがあまり強調していない船舶についても、少しでもユーラシアに対抗できるようにするために早めにその技術をアメリカ原住民に習得させておく必要がある。西欧が世界の覇権を握った理由の一端には
彼らが持っていた船舶関連の技術があったとされるし、そもそもそれ以前にアタワルパ一行が普通に欧州にたどり着くためには外洋航海ができる船と船員が多数揃っていなければならない。
家畜を運ぶために数を増やしたついでに植民団の中にいる造船や操船技術者も増やし、彼らが原住民にその技術を広めたという展開にした方がよかった。そうすれば500年後にアタワルパがユーラシアに向かう際に簡単に船員を集められる。逆にフレイディース自身をアンデスまで移動させる必要はあまり感じなかった。彼女の役割はカリブ海あたりまで技術を持ち込んだところで終わり。後は原住民(及びヴァイキングとの子孫)がその地域の交易を活発化させ、メソアメリカとアンデス双方に先端技術を広めていく方が、後の展開につなげやすいように思う。以下次回。
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