戦争と産業革命

 前にも何度が紹介しているHoffmanの書いたPrices, the military revolution, and western Europe's comparative advantage in violenceという文章が面白かったので紹介しておきたい。前にこちらで紹介した火薬兵器のコストダウンに関する話を拡張したような内容だが、拡張部分に色々と考えさせられるところが多かった。
 序盤は上記のエントリーで調べた武器の製造コストの低下について説明した内容なので、ここでは繰り返さない。当時の武器製造に際して、例えば政治的に製造を独占する事業者が出てきたり、あるいは大規模な製造業者の登場によって競争が阻害された結果として製造コスト低減に影響が出ていた可能性はおそらくなかろうという点について、ちょっと詳しく説明しているくらいだ。採録されている表も基本的に同じものが目立つ。
 ただ1つだけ数字が違っているのが、前のエントリーで紹介した論文のTable 4、今回の文章ではTable 3だ。前の論文だと1620年の数字が1分当たり1つの銃の射撃成功数で0.25から0.5発、1人の兵で0.1から0.2発となっているのに対し、新しい文章ではそれぞれ0.5と0.2になっている。また1750年の1人の兵の射撃成功数は前の論文が1.33だったのに対し、今回は2.0だ。結論としては17世紀から18世紀にかけて射撃の効率が10倍ほどに膨らんだという似た結論になるのだが、同じソースを使ってどうして違う数字になっているのかは不明。
 一方、もう1つの表であるTable 5は新しいデータだ。前回は欧州内でのコストダウンが進んだことを立証する数字が取れたが、非欧州と比べたデータはなく、本当に欧州がより効率のいい火器製造を行っていたかどうかは厳密には分からなかった。今回は少ない数字だが、17世紀前半の中国と19世紀前半のインドに関する数字データが手に入ったという。数が少ないため時系列で追うことはできなかったようだが、同時期の欧州との比較はできたようだ。
 それぞれの価格を銀や、同時期の食糧で調整した価格(右端)を比較すれば分かるが、まず中国の火器は同時期のフランスや英国と比べて低い場合でも3倍、高いと実に9倍ほどの格差となっている。17世紀前半はこちらでも紹介したように明が西欧の技術を仕入れて後金に対抗しようと努力していた時期に相当するが、技術は導入できても製造コストは容易に引き下げられなかった様子がうかがえる。一方、19世紀前半のインドの火器は同時期の英国がアフリカに輸出していたものと比べて1.5倍くらいだ。時代を下るにつれて格差が縮まってはいるがそれでもまだ高くついている。
 こうした製造コストの差は、火器をどちらが輸出していたかに明確に現れているとHoffmanは指摘している。確かにAgostonも書物の中で、火器を輸入しているのはオスマン側であり、その逆はなかったと書いているし、そうした傾向は技術的に最も欧州に近いユーラシア他地域でも明白だったという。まして新大陸やアフリカではさらに一方的な関係だったことは、たとえばこちらなどで言及済みだ。
 他にも統計ではなくナラティブな論拠をいくつかHoffmanは示している。例えば1572年、レパント海戦の後にオスマンの大砲を手に入れたヴェネツィアの大砲鍛冶は、単に役に立たないと判断してそれを鋳つぶしたという(p40)。中国ではイエズス会の修道士が大砲の製造にかかわったが、彼らは元は大砲鍛冶ではない。にもかかわらず彼らが優れた大砲を製造できたのは、実際の作業を中国の職人を任せたうえで彼らが手元にある書物のノウハウを生かしたからだとHoffmanは記している(p53)。素人が文章を読むだけで、それまで中国で製造できなかったような品質の火器を作り出せたのだから、いかに欧州の技術が優れていたかが想像できるだろう。
 製造だけでなく運用面でも西欧が他地域に比べて抜きんでていたことが分かる事例として紹介されているのが、16世紀半ばのインドにポルトガル人だけで2000人もの背教者や傭兵がいた点だ(p54)。彼らは火器の運用や戦術を自らの技能として地元の政治勢力に売りつけていたわけで、以前こちらで紹介したタウングー朝やアユタヤ朝におけるポルトガル傭兵の活用もそうした事例の一つなんだろう。もちろんそれだけでユーラシア諸国が西欧の支配に容易に屈したわけではないが、18世紀後半になると欧州の士官と軽量な野戦砲の力はアジアでも威力を発揮するようになったとHoffmanは指摘している。

 ではなぜ他の地域ではなく欧州で製造コストをはじめとした火器関連技術がここまで急激に、かつ持続的に発達したのか。Hoffmanが持ち出すのはもちろんトーナメント・モデルだ。絶えず続いた戦争の中で、その戦争に勝つとコストに比べて多大なリターンを得られるという状況があればこそ、欧州勢はここまで躍起になって火器技術を発展させた、というのが彼の説明。インドは一時期、欧州のような戦国時代に陥ったが、そこでは動員力を高めるための財政強化策が、むしろ政治的に高くつく対策だったことが、トーナメント・モデルを起動させない要因となった。日本や中国は統一がなされたところで戦争が終わり、トーナメント自体がなくなった。
 で、面白いのはここからだ。トーナメント・モデルで軍事産業がこれだけの急成長を遂げるのであれば、それは他の経済分野にも何らかの影響を与えたのではないか、とHoffmanは問いを立てる。もちろん軍事産業の規模が小さければそうした影響は限定的だろうが、実は18世紀半ば時点でフランスの軍事産業は平和な時でもGDP全体の3~7%を占めていたという(p56-57)。もちろん戦時になればもっと比率は高まったはずで、そうなると何らかの波及効果があったと考えられないだろうか。
 もちろんそうならない理由も考えられる。戦争は確かに軍需産業を栄えさせるかもしれないが、一方でそれがもたらす破壊は他の経済セクターに様々なマイナスの影響を及ぼすだろう。物質資本の破壊もあるだろうし、人的資本も当然のように失われる。衣食住にまで苦労する人が増えれば、そうした基本的な消費を賄うための投資が優先され、経済成長に回す余地が減ることも考えられる。一方で英国が最も18世紀に成長できたのは、彼らが戦争のもたらす破壊を最も免れられたことが原因である可能性もHoffmanは指摘している(p57)。マイナスの影響は受けず、巨大化した軍事産業の波及効果だけを恩恵として受けることができれば、確かにそれは経済拡大にプラスに働くかもしれない
 1815年以降、欧州では長期にわたって平和な時代が続いた。少なくとも列強すべてが巻き込まれるような大戦争はおよそ100年後まで欧州では生じることなく、そしてその間に先行した英国の後を追うようにいくつもの国が産業革命を経験して経済的な離陸を達成している。それまで軍事で使われていた人材や技術が、平和の到来によって他の分野へと流れだし、それが経済成長をもたらした可能性はないだろうか、とHoffmanは記している。
 この件について彼が詳細に調べているわけではない。でもそうした想定が成り立つのだとすれば、もしかしたらこちらで指摘した疑問、つまり「火薬革命と産業革命はどんな関係にあるのか」という疑問にも1つの仮説が提示できるかもしれない。個人的に両者はあまり関係なく発生したのではと思っているのだが、もしかしたら「火薬革命を通じて巨大化した軍需産業からの波及効果が産業革命をもたらす要因の1つになった」という可能性もあるかもしれない。

 Hoffmanの指摘の面白いところは、かなり古い時代に生じたコストダウンについて具体的な数値まで引っ張り出したところにある。また今回紹介した文章では、英仏だけでなくインドや中国のデータまで使って実際に欧州側が火薬技術の面で他の地域より先行していたのを立証した点が目玉だろう。やはりこうやって数字を提示されるとそれだけ説得力が増すのは確かだ。
 一方で最後の方に書かれている疑問点などについてはそうした作業は行われていないが、着眼点はとても気になる。特に軍事技術の発展やコストダウン進展が他の産業にどう影響を及ぼしたのかを考えるのは結構重要だろう。特に軍事産業の規模がHoffmanが指摘するレベルに達していたというのが確かなら、そこから「軍事産業の規模が一定水準を超え、そのうえで戦争による破壊が減ると、そこから産業革命が始まる」という仮説が生まれてくるかもしれないのだ。もしそうなったなら、産業革命は火薬革命の申し子、という位置づけだってできてしまうかもしれない。本当にそう言ってしまっていいのかは不明だが、なかなかアグレッシブな問いであることは確かだろう。
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