ゲノムの話

 少し前だがゲノム関連で面白い話があったので紹介しておこう。1つはRazib KhanのSubstackに書かれていたYou can't make this up: Madagascar, how our planet's strangest island was settledThe unreal voyages and trials of Madagascar’s Malagasy peopleという記事だ。どちらも有料部分は読んでおらず、無料で読める部分には実はよく知られた話が載っているのだが、それでも面白かった。
 前者はマダガスカルの人々がどこからやって来たかについてまとめたもの。もちろんよく知られている通り、マダガスカル人は言語的にはオーストロネシア人の一派と見られている。この言語はまず台湾から東南アジアへ広がり、一部は西のマダガスカルまで、一部は東の太平洋上の島々へ広がった。南はニュージーランド、北はハワイ諸島までは確実に伝播しており、さらにはアメリカ大陸やアフリカにまで勢力を伸ばした可能性も指摘されている。
 このオーストロネシア人の社会の変化について研究した論文については前に少し紹介したし、自然実験に関連した文章についても言及している。前者の論文を書いたCurrieはTurchinとも共同で論文を書いており、ある意味でオーストロネシア社会はデータ分析に向いたものだとも言える。同じ言語を使う人々がどう広がっていったかを追跡しやすい点が、何より大きいのだろう。
 Khanはこのマダガスカルのゲノムを持つアメリカ人の話から語り起こし、おそらく東アフリカから何らかの理由で西アフリカに連れてこられ、そこから奴隷船に乗ってアメリカへやって来たと思われる人の流れに言及している。さらにその祖先が遥か極東から来たことまで考えるとなかなかに長い旅路ではあるが、とはいえこれらは知っている人なら知っている内容。むしろ注意すべきはこの記事の冒頭にある地図で、東南アジアから来た人々以外に、アフリカからマダガスカルへやって来た人々についても指摘されている点だろう。
 2つ目の記事では今マダガスカルに住んでいる人々のゲノムを分析したグラフが載っている。そのゲノムは東南アジア由来のゲノムの割合を示しているのだが、一部のゲノムについてはほとんどアジア系の痕跡が残っていない様子が分かる。これは実はマラリア耐性と関連するゲノムであり、おそらくこの部分についてはアフリカからやって来た移民のゲノムに完全に取って代わられたと見られる。
 元からアフリカに住んでいた人々は自然選択の過程でマラリア耐性を身に着けており、彼らのゲノムにはそうした機能が備わっていた。一方、マラリア原虫のいない東南アジアから移ってきた人々にはそうしたゲノムはなかったか、あったとしてもかなり低い割合にとどまっていた可能性がある。もしマダガスカルに住んでいるのがアジア人の子孫だけだったなら、彼らはいずれマラリアによって一掃されていたかもしれない。
 それを防いだのがアフリカからの移民だった。彼らはマダガスカルでアジア系と交雑し、マラリア耐性のあるゲノムをこの地域にもたらした。このゲノムがあったからこそ、アジア人の子孫たちはマラリアに一掃されることなく現代まで生き延びたのだと思われる。つまり今のマダガスカル住民は言語的にはアジア系だが、ゲノム的に見るとアジアとアフリカの交雑と考えられるわけだ。前にゲノムと言語のミスマッチについて紹介したことがあったが、マダガスカルもその一例と言えるかもしれない。
 なおオーストロネシア語は日本語と関係あるのではないかとの指摘もある。例えばこちらの動画はタイ語の起源として中国から南下してきた可能性を指摘。さらにその源流は台湾の、つまりオーストロネシア語に由来しているとしたうえで、実は日本語の祖先も大陸でタイ語の祖先と接触していたのではないかといういささか怪しげな話を紹介している。どうやらプレ・オーストロネシア語は長江下流域にあったとの説も存在するそうで、この揚子江流域の言葉が稲作を通じて朝鮮半島経由で日本に来た、可能性もあったりするのだろうか。
 言語学には詳しくないのでこの説がどこまで正しいかは判断しかねるが、前にこちらで述べた通り、長江流域のコメ文化が黄河流域の雑穀文化に飲み込まれた際にその一部が台湾へ逃げたのだとすれば、それがオーストロネシア語族の祖先になったのかもしれない。大陸での勢力争いに敗れた者が台湾に逃げた例としてはそれ以外に鄭成功や戦後の国民党があり、もしかしたら歴史上で繰り返し起きていた事例なのかもしれない。まあ単なる想像にすぎないが。

 もう1つのゲノム絡みの話が、The diverse genetic origins of a Classical period Greek armyという論文だ。シチリア島の紀元前5世紀の遺跡から見つかった古人類の人骨からゲノムを取り出して調べたというもので、何より面白いのは集団墓地に埋葬されていた兵士たちのゲノムだ。兵士たちの多くが地元シチリアではなくより遠方からやって来たことが分かったそうで、要するにこの時代から既に傭兵たちがいて生まれ故郷から遠い土地で戦っていた、という話だ。
 裏付けとなるのがFig.2のAに掲載されているゲノムの分布だ。地元の市民たちやシチリアの住民たちと似た範囲に分類される兵士のゲノム(Group 1)もあるが、それとはかけ離れた位置にもいくつものゲノムが見つかった。この時代のシチリアにはギリシャ人の植民地があり、ゲノム的にもギリシャ人と関連する人々が地元にいた一方、兵士たちは異なる地域、具体的にはアルプス北方やステップ地帯、さらにはコーカサスといったところからやって来た可能性があるそうだ。
 歴史書にはそういった傭兵たちがシチリアでの戦争に参加したという記述はないそうだが、ゲノムを見る限りかなり広い範囲から傭兵として集められた者たちが戦っていたと思われる。地元と縁のない人間だったからこそ、彼らはまとめて埋葬されていたのだろう。紀元前5世紀といえば鉄器・騎兵革命がユーラシア各地に広まっている真っ最中であり、それ以前よりも巨大な帝国が生まれ始めていたタイミングだ。それだけ人々の流動性が高まり、多くの人が遠方まで赴くようになっていたのかもしれない。
 傭兵という職業の古さも改めて窺える。おそらく時代を問わずに存在していたであろう傭兵の実在をゲノムで裏付けるというのは、なかなか興味深い研究だ。シチリアと同様、地元に縁のない兵士たちをまとめて埋葬した地域を発掘してそのゲノムを調べれば、他の時代についても同様に傭兵の存在やその広がった範囲などを調べることができるかもしれないし、そこからその時代の人々がどのくらい広範囲で活動してきたかを調べる1つのメルクマールも手に入るかもしれない。
 論文筆者の中には以前こちらで紹介した青銅器時代の欧州における父方居住の話をゲノムで調べた論文筆者も含まれており、古人類のゲノム分析が様々な歴史分析の手段として有用であることが分かる。もちろんどんなゲノムが手に入るかが最も重要なのは間違いないが、後はゲノムを基にどんな切り口で分析するかによって色々な時代の色々な社会について面白い知見を得ることができそう。やはり最先端の分野だけあって興味深い話が色々と出てきているのは確かなようだ。

 ただちょっと前にも書いた通り、ゲノム絡みの話はどうしても散発的にしかフォローしていないし、それだと見落としや間違いが発生する可能性は当然ある。その意味では注意深く扱う必要があると自分に言い聞かせながら読む必要がある。ゲノムも言語も、あるいは他の様々な手段も含め、歴史を理解するツールの一部ではあるが、あまり過大評価や過小評価しないように見た方がいいだろう。それでも新しい切り口からの知識が入っているのは喜ばしい話だ。
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