ドローンと気球

 こちらで過去のプーチン演説の翻訳が読める。彼が大統領に就任した2000年からウクライナ侵攻後に至るまでの期間を対象としており、全部で300ページを超えるボリュームのある文章なのだが、訳者によると少なくともしばらくはほとんどアクセスがなかったようだ。
 まあ分からなくはない。そもそもプーチンなりロシアなりに以前から関心のあった者なら過去に読んだことがある内容だろうし、これから専門に勉強しようとしている者ならロシア語で読むほうがいいと思うだろう。逆にプーチンをただのネット上の「面白アイコンキャラ」扱いしていた者たちにとっては、リアルなプーチンの発言内容などどうでもいいに違いない。彼らが興味を持っているのはあくまで愉快に消費できるアイテムであって、本来なら政治家などもっともつまらない対象物だ。
 それ以外に真面目に読みそうな対象として考えられるのは、今後のロシアの動向を知るうえで独裁者の発言が参考になると期待する者くらいだろうか。でも今回のロシアの場合、たとえ独裁者の言い分であっても正直今後のロシアの動向を知るうえでプラス材料になりそうに思えないのが残念なところ。何しろプーチンは戦争を始めて以来、言うこともやることも全く変わっていない。どれほど兵が死のうと装備が破壊されようとロシア経済がダメージを食らおうと、とにかく自ら退く気はかけらもないし、一方で総動員をやって本気で大衆に反乱されるのも嫌だから騙し騙し姑息に人を集めるようなことしかしない、ように見える。正直、この段階で過去のプーチンを振り返っても将来の予測に役立つようには見えない。
 それよりもこの文章を読んで思い浮かんだ言葉は「他山の石」だ。文中にはプーチンの発言だけでなく訳者の感想というか解説らしきものも載っているのだが、その中で「素人たるぼく」が専門家の発言に「ケチをつけるとは身の程知らずも極まれり」と言いながらも専門家に疑問を呈している場所がある。さらにその後では「世間的には、この考え方はあまり人気がない」と留保を置いたうえで「プーチンが少し正気からはずれ始めた」のではないかとの見方を示している。
 もちろん個人が金にもならない文章を書く過程で自分の考えを表に出すことには何の問題もない。なるほどこの人はこう思っているのだな、と受け流せばいいだけだ。そのうえで同じく素人として感想を述べるなら、精神科の専門医でもない人間が公的発言だけを基に「発狂/ボケ説」を唱えるのは、結構危なく見えるものだと思った。そこまで言ってしまうのは流石にちょっと怖い、とは感じなかったんだろうか。何とも恐れ知らずに感じられる。
 もちろん専門家だって間違えることはある。こちらで紹介した通り、社会科学の専門家でも必ずしも予測精度が高いとは限らないという研究結果もある。だが一方で該当分野の論文数が多い専門家は予測精度が高いという結果も出ていたし、何より「自信過剰な人間」の言うことはむしろ正確さと負の相関を示していた。自分の専門以外の分野について、専門家と違う見方を滔々と説明している状態は、実はその背景に過剰な自信が存在するのではないか、と疑いたくなったのだ。
 そう思った時に、では自分はどうなのかと振り返って思わず寒気が走った。そもそも最初にこの戦争について触れた時点で、私はロシアについてもウクライナについても「知識も持ち合わせていない」状態だったはずだ。1年ほど追いかけてきたとはいえ、系統だった勉強をしたわけでも、より専門的に知識を積み重ねてきたわけでもない。だが自分が最近書いている文章の背景には、もしかしたら無意識の「過剰な自信」が生まれてきているのではなかろうか。少なくともそうやって自分自身を疑う姿勢だけは常に持ち続けていないとヤバいことになりかねない、と思わされたのだ。
 例えば訳者が批判していた過去のロシアの行動に関する専門家の見方にしても、プーチンの公式発言だけ追いかけたら間違っているように見えるかもしれない。でも専門家は別にプーチン発言だけでなく、長年にわたってロシアの動き全体を分析したうえで結論を出しているはずだ。後知恵で考えれば分かりやすく見える現象であっても実際にその時点の当事者にとってはそう簡単な話でない例があることは、これまでも紹介してきた。またプーチンがボケているのではないかという説についても、同様に慎重になるべきだろう。いや個人的にはボケ老人説は本当にありそうな気がしてはいるんだが、やはりそれは素人の想像にすぎない。
 私にとって大切なのは自説を主張することでも、議論で勝つことでもなく、何が起きてこれからどうなるかを知ることだ。この基本だけは外さないようにしておかないと、過剰な自信に引きずられていずれ自分自身が陰謀論の奴隷となってしまう事態だってあり得なくはない。何より対象が過去の歴史ではなく現在目の前で起きていることだけに、自身が熱気に飲み込まれてしまうリスクがそれだけ高い。桑原桑原。

 一方、戦場ではロシアによるインフラ攻撃が失敗し、作戦は放棄されたという見方が出てきている。この件は前にも紹介したが、ISWが8日の報告で「ロシアはこの努力を諦めたように見える」と述べるなど、いよいよそういう様子が強まっているのだろう。
 ロシアは前線の背後に防御施設を構築しているという話も出ている。やはり攻勢が続かなくなっているためかもしれないし、また同時に以前からまとめているように現代においても身を守る施設として塹壕などが役に立っている証拠とも言えるのだろう。バフムートについては相変わらず攻撃を続け、じわじわと前進している一方で、3月30日以降だけで4000人ほどの兵を失っているという。この小さな町に対する異様な執着から「バフムートの笛吹き男がいるんじゃないか」という発言もネットでは見かける。
 他方ではウクライナ戦争に関連して米軍の機密文書が流出する事件が発生し、21歳の空軍州兵が逮捕された。深刻な影響が出るような内容ではなかったらしいが、興味深いのはウクライナとロシア双方の被害推定が含まれていたところ。死傷者でも戦死者でもロシアの方が大きいのは想定通りだが、死傷者だとロシアが1.5~2倍なのに対し、戦死者は2.5倍弱に達しておりロシアの方が被害に含まれる死者の割合が高い点が注目だろう。
 両軍の戦い方の違いとしてドローンの使い方に関する一説を紹介しているのがこちらのツイート。ドローンというテクノロジーよりも、それを使うドクトリンに関して両軍の間には差があったという指摘だ。ロシアにとってドローンは先進的で高価な存在であり、その喪失は重大な失敗になるので、彼らは「ドローンを高価値目標や重要作戦に厳選して投入」したという。高性能なドローンを揃えた結果、コスト高で数が少なく、代替の利きにくい兵器になってしまった。
 それに対し、貧乏国ウクライナは高性能ドローンを揃えられなかったのか、侵攻直後にSNSでホビードローンの提供を訴え、かき集めた数千のドローンをすべての領域で部隊と統合して運用させた。迷いなく投入できる程度のコストしかかからず、おまけにドローンの運用が「指揮が分散化され、現場レベルで戦術を変更する自由」を持っていたため、部隊が機動的に戦ううえで役に立った。必要から生じた方法だったとはいえ、結果的にロシアよりずっと効果的にドローンを利用できたわけだ。
 これを読んで思い出したのが、フランス革命期にフランス軍が利用しようとした気球だ。当時のフランス人はとにかく最先端技術を使いこなすことを重視した結果、水素気球を戦争で使おうとした。結果として気球は高価で数が少なく、運用が面倒な兵器と化した。最初から安価で多数、かつ容易に運用できる熱気球を「携帯式の観測拠点」として使うよう割り切っていれば、また状況は違ったかもしれない。この辺り、冷戦後の各国が未来の戦争を想定しすぎて過去の体験を忘れていたように見える点や、既存エネルギー源の省エネより水素などの最新技術に金を投入しがちな現在の政策パッケージなど、近代以降の人類が陥りがちな「落とし穴」の存在を思わせる指摘だ。「一方ロシアは鉛筆を使った」というジョークのネタに使われているロシアが、今回はむしろ高価な方に引きずられたあたりは面白い。
 またロシアは銃後でも色々と問題が生じているもよう。5月9日の戦勝記念日パレードを、今年はウクライナに近い地域では中止することになったが、それは「過去の戦死者顕彰が、隠蔽している現在の戦死者の想起につながる可能性」を恐れたためなのだそうだ。実際にロシア国内では「俺なら動員回避に便宜が図れる」と言って賄賂をだまし取る「オレFSB詐欺」が横行しているとか。経済面の苦境から「ロシアは中国の植民地になる勢いだ」とも言われているようで、相変わらず状況が好転しているようには見えない。
 ただしロシア以外もスマートに行動しているわけではない。マクロンは習近平にうまくおだてられた結果だろうか、台湾を見捨てるかのような発言をかまし国際的に批判を浴びた。一方、ロシアがウクライナの泥に足を取られているのを見たアゼルバイジャンとアルメニアは勝手にドンパチを始めている。どこもかなりグダグダ感がある。

 で、最後にかなりどうでもいい話。しばらく前に爆殺されたロシアの軍事ブロガーの話が出ていた。ISWなどでは彼のペンネームがタタールスキー(Tatarsky)となっているのだが、なぜか一部では「タルタルスキー」と書かれている。ロシア語アルファベットがどうなっているのか知らないが、どっちが正解なんだろうか。
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