地理と経済 下

 Geography and the Wealth of Nationsについての続き。前回は本の内容を主に紹介したが、今回は感想などを中心に。まず、この本が一種の環境決定主義に基づいて書かれたものであることは述べた通りだが、実は読んでいるとそれに反対する「制度決定主義」に関する知識がかなり増えるという意外な効能も存在した。
 実際、この本ではアセモグルとロビンソンに代表される制度決定主義者が最大の敵役として設定されており、そのために彼らの主張が各所で繰り返し説明される。結果、巻末の索引を見るとinstitutionに就いて触れたページの方がclimateやgeographyといった環境要因について触れたページより多くなっているほど。参考文献を見ても真っ先に登場するアセモグルの書いた各種論文が最初の1ページを埋め尽くしており、どんだけ好きやねんとツッコミを入れたくなるレベルだ。
 もちろん著者は制度が重要という議論を全面否定しているわけではない。制度が重要なのは認めたうえで、その制度を生み出した背景に環境があるという議論の進め方をしているわけで、その意味で制度が重要であることを立証すればするほど、一緒に環境の重要性も高まるという理屈。制度への言及が多くなるのも不思議ではない。
 とはいえ、著者の議論の進め方は、例えば「汚職と環境にはこうした関係が見られる」と簡単に触れたうえで、後はひたすら汚職が経済成長にもたらす影響(主にマイナスだがプラス説もある)を細かく並べるというものなので、読んでいると「なるほど制度は重要なんだな」と思いたくなってもおかしくない。本当は制度をもたらした要因のうち環境がどの程度を占めているのかについて分析した方がいいんだろうが、この本自体、他人の論文紹介がほとんどなので、そうした都合のいい話はなかなか出てこない。前に紹介した経路の話などを参照する他にはないのだろう。
 それにしてもダイアモンドが「銃・病原菌・鉄」を出した頃には勢いがあった環境決定主義が、その後衰退していったように見えるのはなぜだろうか。おそらく環境では南北(ユーラシアとユーラシア以外)の格差は説明できても東西(ユーラシア内)の差を説明するのが難しかったのが理由だろう。Geography and the Wealth of Nationsでも熱帯が経済成長にマイナスの要因をもたらすことについては色々と書かれているが、西洋と東洋、あるいは冷戦期の西側と東側といった切り口での格差を環境で説明している部分は多くない。
 熱帯は例えば疫病が多いため社会的に互いに隔離しあうようになりやすく、分断が生じやすい。アフリカのように移動用の家畜が少ない場合も同じだ。プランテーション栽培に向いた土地は経済格差が生まれ成長にマイナスの影響を及ぼす、などなど、熱帯が経済成長に直接間接にマイナスの影響を及ぼす説明は数多いが、東洋については灌漑が専制を生み出すといった話くらいしか出てこないし、しかもその事例としてメソポタミアやナイル、黄河に加えてインダス流域を取り上げている部分は少々首をひねりたくなる。インダスが専制的であったという具体的な証拠はまだ見つかっていないようで(Seshat History of the Axial Age)、この理屈がどこまで成立するかは不明だ。
 それに東洋と西洋という切り口をイアン・モリスの枠組みで分けた場合、どちらにも経済的に成長した国と遅れた国が含まれるという問題が生じる。そうではなく冷戦期の西側と東側で考えるなら、まだ足元の経済格差と平仄の合った分類ができるが、残念ながら冷戦期はほんの半世紀ほどしか継続しておらず、環境が社会に影響を与えたと言うにはさすがに短すぎる。
 それよりはむしろ、こちらで紹介したようにユーラシアを中核と周辺に分けて考えた方がいいんじゃなかろうか。前にこちらで産業革命の移行期と定着期について個人的な考えを述べたが、その時にも触れた考えを適用できそうな気がする。つまり帝国ベルトとして成功してきたユーラシア中核は、成功の罠に嵌ることで産業革命後は経済成長面で立ち遅れてしまった、という理屈だ。一種の経路依存性と言えるだろう。
 Geography and the Wealth of Nationsの中にも、そうした理屈に使えそうな理論がいくつか紹介されている。主にアメリカ大陸内の格差を説明する方法として、過去に人口が多かった地域では既存の収奪的制度を植民者がそのまま採用したのに対し、人口密度の薄い地域では新しくやって来た植民者がより包摂的な制度を作り上げていったという説があるらしい。この話はユーラシアにも適用可能ではなかろうか。
 ユーラシア中核の帝国ベルトでは早くから複雑な社会が作り上げられ、それが収奪的な体制を敷いていた。一方、周辺部の複雑度が低い社会では収奪をやるとしても規模の小さな範囲でしか行えず、むしろ他の国と対抗するためには収奪度を上げるより包摂的な制度にしてリソースをより多く使えるようにする方が生き残るうえで適切だった。そしてこの包摂的な制度は産業革命後の経済成長には非常によくマッチしていたため、彼らの方が中核の諸帝国よりも繁栄できた、という理屈だ。
 この方法ならユーラシア中核より遠い地域が先に経済成長を果たしたことに説明がつけやすい、のではなかろうか。まずは英米に代表される地域が先にこの方法で発展し、彼らよりはユーラシア中核的な権威主義体制を敷いていた日本や中欧も20世紀半ばにはより包摂的な制度にシフトし経済成長を遂げる。現在はさらに中核中の中核とでもいうべき地域(中ロやヒンドゥー、イスラム圏)が、収奪的制度と包摂的制度の間で綱引きしている状態であり、包摂的制度の方が包括適応度が高いのであれば、いずれ彼らもそちらの方向へとシフトしていくのだろう。
 この場合、環境は「歴史的な出来事」という経路を通じて現在の経済的繁栄に影を落としていることになる。ユーラシアの中緯度地帯は環境面では似たような状態にあるが、農業の発達で先行した地域が、さらに騎兵の存在によって先に帝国を作り上げていった結果、歴史的には中核と周辺とに分かれていった。だが生産手段の大きな変革(産業革命)を通じて環境への適応法が変わった結果、農業社会に合った収奪的制度をあまり発展させていなかった地域がより包摂的な制度へ先にシフトし、産業社会における経済的繁栄をつかみ取った。ユーラシア中核は中南米と同様、農業社会における収奪的制度を長い歴史の中で引き継いでおり、それが今なお経済成長の足を引っ張っているという説だ。
 マルクス本では収奪的制度はそう簡単には変わらないと指摘していたが、全く不可能というわけでもないだろう。それこそ日本やドイツなどかなり権威主義的だったところが、今ではより包摂的で経済成長に向いた社会に変わったのがその証拠。中ロであれ権威主義的なイスラム諸国であれ、包摂的な社会がもたらす経済繁栄という餌を前にいつまでもお預けを食ったまま我慢できるだろうか。確かに中国は昔よりは繁栄したが、トータルのGDPはともかく1人当たりでは購買力平価で見てもまだメキシコ並み。収奪的な政治家を排除した方が望ましいのは確かだろう。
 問題は日独がそうした制度のシフトを達成する際に全土を焼け野原にする必要があった点か。だとするとユーラシア中核でも同様にScheidel的な暴力による問題解決があって、ようやく制度そのものが抱える問題を解消することができる、のかもしれない。やはり暴力、暴力は全てを以下略。

 他にこの本には面白いネタがいくつかある。例えば慈愛に満ちた専制政治は素早く政策を変えることができるため経済成長にプラスの効果を持ち得るという説があることも紹介されている。それ何て銀英伝。東アジアでは汚職がむしろ鈍重な官僚機構を動かす潤滑油として機能しているという話もあり、これは1000年前から続く某官僚国家のことかなと想像される。移民の出身国におけるソーシャルキャピタルは移民先の国にも影響を与えるといったあたりも、どこまで本当か分からないが面白い指摘だ。
 アフリカの奴隷貿易については大西洋以外に紅海とインド洋経由で送り出された数がそれぞれ累計400万人、サハラ砂漠経由が900万人に達していたそうで、実は大西洋以外も結構大きなインパクトを与えていたようだ。また奴隷貿易は寒い時期に増えたそうで、暑さというものは奴隷商人からもやる気を奪うものだったもよう。一方コロンブス交換で逆に旧世界へと持ち込まれたジャガイモは人口を増やし、食糧を巡る戦争を減らした。
 現代のロシアでも起きているが、政治的不安定性は優秀な人材の流出(ブレインドレイン)につながるという。またインフラの破壊もそういう社会ではよく生じるようで、つまり現在のロシアは明確に政治的不安定性に見舞われていると考えられる。やはりエリート過剰生産が起きているのだろうか。まあオリガルヒが相次いで謎の死を遂げるロシアも、共同富裕の名の下に企業活動が制約されている中国も、制度的に経済成長に向かないと思われるが。
 それ以外に天然痘が宗教改革の原因になっている説とか、民主主義そのものより民主化の方が、それも平和的な以降の方が経済へのプラス効果は大きいとか、色々と面白い話もある。地理的に分断されているのが欧州の繁栄をもたらしたというジョーンズの話なども載っている。考える材料になりそうな本だった。
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