いやこれは違うんじゃない?
いったいどんだけSF映画を見ればこんなことを言い出すのかと思いたくなるトンデモ言説であり、
こちらの記事 でユドコウスキーが「AI終末論者と言われている」と紹介されているのもむべなるかなと思えるような文章なのだが、Fergusonは記事の中で彼について「ただのカサンドラ[予言者]ではない」と評価。彼の言い分をかなり真面目に捉えているようなことを書き連ねている。
なぜこんなSF的な言い分を取り上げてオピニオン記事を書いているのか。Fergusonは過去にも「潜在的に致命的な科学研究分野」が2つあったからだと指摘している。うち1つは核兵器。確かに破壊的な影響を及ぼし得る技術であり、ロシアがあれだけ失敗を繰り返しながらもいまだにウクライナ以外の国が彼らを相手に(かつてのユーラシア中核なら当たり前だった)武力行使に踏み切らないのも、まさに核の抑止力が効いているからなのは間違いない。
だが核兵器は人類を滅ぼしていない。ましてや地上の生物すべてなど滅ぼしていない。それどころか最初に核兵器が使われた1945年から100年も経たないうちに全人類の数は当時の3倍以上に膨れ上がっている。いくどか綱渡りはあったが人類は核兵器とここまでは共存しているし、その無限定な使用に走るほど愚かでないことを示している。むしろこの事例を参考にするのなら、AIが破滅的な技術になっても人間はそれを上手くコントロールすることができるという結論を導く方が自然じゃなかろうか。
2つ目の分野はもっと拙い。そこで取り上げられているのは生物兵器なのだが、中国でのコロナウイルスの研究がCovid-19の流行をもたらしたという陰謀論を「ますますもっともらしくなっている」と紹介している。
専門家が武漢の卸売市場を感染源だと判断し 、AIですら
「証拠はない」 と指摘するような研究所流出説を、よりによって歴史学を学んだ人間が安易に肯定していいのか? 正直この文章を読んだことで、私のFergusonに対する評価は強烈に低下した。もしかしたら
ハラリ並みに事実認定能力に問題があるのではないか 、とすら思ってしまったくらいだ。
これに比べると、
以前ちょっと触れた Acemogluの文章はまだマシだ。有料なので最初の方しか読めないが、少なくともそこで書かれているのはAIに仕事を奪われる労働者(例えば消費者向けの対応サービス)や、AIが増えることでルーチン的でない問題を抱えているのに対応してもらえない消費者、さらには投資家に至るまで大きなマイナスを被る可能性があるという内容だ。AIが人類を滅ぼす云々といった言い回しは、少なくとも無料部分には出てこない。
ついでに言うと、
Turchinがこういう論説にリツイートしている のも危うく見える。私の偏見だが、ツイッターでつぶやく頻度の高い学者ほど残念なことしか言わなくなるので、面白そうな研究をしている人物にはできるだけツイッターから遠ざかってほしいというのが本音。言いたいことがあったらきちんと論旨をまとめたうえでblogか何かで表明するようにしてもらいたい。
それにしても生成型AIが一気に広まってきたところで「乗るしかないこのビッグウェーブに」とばかりに中身のないAIネタを垂れ流す人が増えることは予想していたが、逆に「話は聞かせてもらった、人類は滅亡する」と騒ぎ立てるAI終末論者までがここまで人気になるとは思っていなかった。いや日本ではそんなに人気になってはいないと思うけど、英語圏を見ると結構AI Doomerが見つかるんだよな。私のような年齢の人間だとノストラダムスじゃあるまいしとしか思えないのだが、世の中には終末論が楽しくて仕方ないという人がそこそこいるのだろう。
というわけでAI狂騒曲に便乗して騒ぐのは結構リスクがありそうだと思わされる事例の一方で、ちょっと面白かったのがMilanovicが書いていた昔ばなし。
Living in own ideology... というエントリーの中で、彼は1975年にドブロブニクで観光ガイドをやっていた時の思い出話をしている。ドブロブニクでは祭りの開催に当たってオープニングに「LIBERTAS」、つまり「自由」と書かれた旗を掲げるのだそうで、当時のMilanovicはそれが「帝国主義者である米国からも、覇権主義者であるソ連からも自由なユーゴスラビア」を象徴するものに見えていたという。
それからおよそ10年後、彼は同じ祭りを見ていた人物と話をする機会があったそうだ。その人物は、どうやら同じ旗を見てそこに共産主義の終末と民主主義の復活を見ていたそうだ。彼らが話をしたのが共産主義がそろそろ破綻を迎えようとしていた(例えば
ポーランドでは1980年代から労働組合運動が盛んになっていた )時期だったことが理由だったのか、それとも本当に1975年当時からそう思って見ていたのかは不明だが。
そして今から数年前、内戦後のユーゴを訪ねたMilanovicは、ドブロブニクで働いていた当時の別の知り合いと二十数年ぶりに顔を合わせた。クロアチア人であった相手は、あの旗を見て常に「クロアチアの独立と自由」を考えていたし、そこにいた他の者たちとも同じ感情を共有していたと考えていたという。この3人はいずれも同じ時に同じ祭りを見たはずだが、その時に抱いていた感情はそれを吐露するタイミングによって随分と違ったものに化けてしまっていたことになる。
そのうえでMilanovicが触れているのは、かつて奴隷貿易が当たり前のように存在していた時代と、BLMが大きなテーマとなった21世紀との比較であり、また20世紀の最後の20年間に世銀やIMFを支配していた「ネオリベラル」な思想についてだ。当時の世銀やIMFのエコノミストたちが自分たちの考えをネオリベラルだと考えていたかどうかは不明だが、彼らが当時の自由主義的経済学を「あらゆる真剣なエコノミストが抱いている共通の中核的英知」であると考えていたのは確かなようだ。でもそうした考えは21世紀に入って揺らいでいる。
それでもなお人々は未だに自分のイデオロギー世界に生き、しかもそれが永遠に続くと思っている。自分が1975年にそう思っていたように――とMilanovicはこのエントリーにオチをつけている。これはなかなか厳しい指摘だ。時代が変わればこうした「常識」が変化するのは枚挙に暇がないほど当たり前の事象であるが、同時に自分たちが今生きている「常識」を疑うのがものすごく難しいこともまた事実。時代遅れと思っていた考え(最近であればケインズ的な経済)がまた復活することもあるわけで、そう考えるとあまりに足元の「常識」に耽溺しすぎるのも拙い。掲げられた旗はその時は当然の価値を示しているように見えるかもしれないが、時間が経つと単に勘違いだったことが分かることもあるわけで、これまた慎重になった方がいい点なんだろう。
あと
こちらのツイート も面白かった。「お目覚め」系の見出しが米国だけでなく様々な国のメディアで2010年代以降に増えていること、ただし中国、ロシア、イランといった国々では批判的な意味合いで使われることをグラフで示している。不和の時代には分かりやすい紛争の材料が色々と取り上げられるものだが、今回はそのテーマとして「お目覚め」系的な概念が国境を越えて広まっている様子がわかる。
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コメント
・AIの進化に対し、人間はある程度しかコントロールできない
・現時点でAIの進化を十分にコントロールする方法論すらない
状況であるため
・AIが今後どのように進化するか、人間には決めることができない
・AIが今後どのように進化するか、人間には予想すらもできない
というのが、今見えていることに思います。
よってAIが地球上の生物を滅ぼすという意見は極論ではありますが
・そういうことは起こらないと、誰も断言できない
・そういう事態を人間が阻止できると、誰も断言できない
ということかと思います。
2023/04/14 URL 編集
確かに「AIが人間を滅ぼさない」とは断言できないでしょう。
同様に「この瞬間に日本が真っ二つに割れることはない」とは誰にも断言できませんし、「自分が突然天才になってリーマン予想を証明する可能性などない」とも誰にも断言できませんし、「自衛隊のヘリがどこかの国に撃墜されたなどあり得ない」とも断言できません。
だからと言って、そうした可能性を踏まえて対応を図るのはリソースの無駄です。
なぜならもっと大きな可能性に対処する方にリソースを費やさなければならないからです。
AIが人間を滅ぼす可能性が、例えば今後致命的な交通事故に遭遇する可能性より高いという具体的な証拠があれば、AIについて交通法規くらいの注意を払ってもいいでしょう。
でもAI終末論者(例えばユドコウスキー)がそういう証拠を示しているわけではありません。
そういう陰謀論と変わらない程度の根拠しかない主張を、一応は歴史学者として名前の知られている人物が真面目に紹介するのは問題があると私は思っています。
2023/04/14 URL 編集
これが
・AIが進化を続けるほど
・人類がAIへの依存度を高めるほど
すなわちこれから将来になればなるほど、AIが人間に牙をむいた時のリスクは深刻化すると考えられるとは思います。
そこは日本が真っ二つに割れるかもしれないリスクとは異なると思います。
ただ個人的に疑問なのは、将来的にAIに「意思」のようなものが生じたとして、それが人間と同じような価値観や振る舞いをするのか?というところです。
AI脅威論は極度にAIを擬人化したシナリオに感じるのですが、現時点ですでに分析不可能、得体のしれないものとなっているAIが、そこに意思が生まれたとして、人間にわかりやすい振る舞いをするのかな?と感じます。(しないとも言い切れないのですが(^-^;
少し脱線します。
想像ですが、米国の大人気だったドラマ、ウエストワールドやウォーキングデッドなんかは「人間に似てるけど否なるもの」が人間を襲う世界観で、もしかしたら宗教観か何かで、欧米人は「人間と共通点があるけど人間じゃないものは人間に牙をむく」そういう価値観や世界観が刷り込まれてたりするのかな?などと思ったりします。
他、悪いAI開発者が人類皆殺しのAIを作り出す。みたいなシナリオも聞きましたが
・そもそもAIの進化に人間はある程度しか関与できないのだから、皆殺しAIの創生は無理では?
・AIをトレーニングして皆殺しAIに仕立てることはできるかもしれないが、それはAIを道具として使っているだけだから、同じく防衛側がAIを使って対抗できるはずでは?
と思うので、これも現実味は無さそうに感じます。
話が拡散してすみません。
リスクがあることは頭の片隅に残すべきには思いますが、仰られるようにそれを前提として行動するのはリソースの無駄というご意見に同意します。
2023/04/14 URL 編集
20世紀の途中までは人口増の方がリスクだと思っている人がいたのに、今や先進国では逆の懸念が強まっているのを見ても、人間の未来予測能力の程度が知れます。
https://desaixjp.blog.fc2.com/blog-entry-3204.html
AIがどんな進化を遂げるかについて色々と想像を巡らせるのは楽しいですが、現時点で心配するべきなのは今この段階でAIができること、例えば要点をまとめるとかアイデア出しをするとかいった能力が人間社会に何をもたらすか、にとどめておく方が現実的であり、当たらない予測を振り回す終末論者の言い分を真面目に聞く必要はないと思っています。
というか、要約やアイデア出しといった作業をAIが肩代わりするだけでもかなり実務に影響が及ぶわけですし、それこそ我々のリソースもそういった蓋然性の高そうな可能性に振り向けないとヤバいんじゃないでしょうか。
別のエントリーでも書いたように、現状の能力でもAIが人の仕事を奪う確率はそこそこあるんじゃないかと思っていますので。
2023/04/14 URL 編集