一八世紀の秘密外交史

 マルクスが記した「一八世紀の秘密外交史」読了。前にこちらで言及した通り、この本はロシアに専制がもたらされた起源について、そして自身が生きた19世紀半ばにおけるロシアの持つ問題点についてマルクスが述べた文章を中心にまとめたもの、なんだが、実のところマルクス自身が書いた文章以外も含めたかなり重層的な構造をした本である。改めて言うまでもないが、ロシアのウクライナ侵攻があったからこのタイミングで再度出版されたのだろう。
 マルクスのオリジナルは英文で、Secret Diplomatic History of the Eighteenth Centuryという題名で1899年に出版されている(ただし内容的には微妙に違っている)。さらに1981年にドイツで出版されたものに収録された歴史家ウィットフォーゲルの序を入れ、そして最後に翻訳にかかわった日本の研究者2人がそれぞれ解説とあとがきを記している、という格好だ。とりあえず前から順番に読んだが、普通の読者はむしろ後半2つの日本人の文章を読んだ後でウィットフォーゲルの序、そしてマルクスの本文という風に読んだ方がいいと思う。
 理由は、正直マルクスの文章はテーマがマニアックすぎ、日本の読者にとってはハードルが高すぎると思えるからだ。何しろ18世紀の外交文書やパンフレットといった史料からの引用が大量に並びたてられており、ほぼなじみのない人名や出来事が何の説明もなくずらずらと並ぶ。マルクスが主張したいのはロシアの専制的な拡張主義とそれを英国が助けたという点であり、また現代人にとって興味があるのはそのロシア専制政治の淵源に関する考察部分なのだが、そうした部分への言及は全6章のうち最後の2章にほぼ集まっており、そこに至る前段階は読んでもあまりメリットがないように思える。
 続いて同じように面倒なのがウィットフォーゲルの序。こちらは翻訳が拙いのか、そもそも原文が読みにくいのか、ところどころ何を言いたいのか分からない文章が出てくるのが問題の1つ。おそらくウィットフォーゲルが使っているマルクス主義的なジャーゴンが現代人にはなじみの乏しいものであることが理由ではないかと思う。もちろんマルクス自身の発言を時系列に紹介し、彼がロシアの専制政治についてどういう見方をしていたかについて整理している部分はありがたいのだが、できればもう少し普通の読者にやさしい序を書いてほしかったところだ。
 それに比べると解説とあとがきは楽。この本がどういう意図で出版されたかについての説明も、現在の世界情勢を踏まえるなら納得しやすい部分だし、また専制政治についての学術的分析に関する説明も要領よくまとまっており、訳者らの問題意識がどのあたりにあるかが把握しやすい。ただしこれもまた現代日本人だから理解しやすい文章とも言えるわけで、時代や場所が変わればマルクスやウィットフォーゲルの文章のように内容を把握するのが困難と思われるかもしれない。

 とはいえ19世紀半ばに書かれたマルクスの文章、20世紀半ばにOriental Despotismを記したウィットフォーゲルの文章、そして21世紀の日本人が書いた文章を並べる面白さは間違いなくある。クリミア戦争を見たマルクス、冷戦のさなかに中ソの共産主義が実態は専制政治であると主張したウィットフォーゲル、そして改めてユーラシア中核の中ロが国際秩序に対して牙をむいている時代の日本人のいずれも、ロシアの持つ専制的な性格に危機感を抱いているのは同じだが、分析の枠組みはかなり違う。
 マルクスの場合、はっきり言って視点が完全にヨーロッパ中心主義だ。彼はアジア的な専制政治という観点を持ってはいるが、この文章内ではタタールのくびきとロシアの専制との関連について述べているくらいで、それ以外にアジア的専制について分析している様子はない(おそらく他の文献でそうした分析をしているのだろう)。加えて彼が重要視しているピョートルが行ったことについては「文明化」という表現を使っており、要するにむしろピョートルは(自らの専制政治のために利用する目的ではあったが)ロシアを欧州化しようとしたと見ている。
 マルクスによれば最初にルーシが出来上がった時、その社会はむしろヨーロッパに似ていたという(プロト封建主義と解説されている)。ロシアが欧州ではなくアジア的になっていったのはまさにタタールのくびき以降であり、モスクワ国家はイヴァン・カリタイヴァン3世の手によってタタールと同じ支配体制を導入、つまり「タタール化」していった。さらにピョートルは海洋進出を図るべく沿岸部に都を移し、また実際に進出するべく今度はロシアを文明化したのであり、それを安易に手助けしたのが英国であった、というのがマルクスの整理だ。
 ウィットフォーゲルは東洋的な専制主義という概念をもう少し詳しく説明している。国家によって集中管理される大型公共工事や、灌漑経済を中心として財政的に管理されている農村(水力世界)こそが専制の基底にあるという考えについては、彼の方がはっきりと示している。また彼はマルクスの考えとして、まずインドのようなアジア的色彩の国々は近代的な国家(特に英国)によって支配され、それによってまず近代資本主義が勝利を収め、その後になって最も発展した資本主義国家から社会主義・共産主義が生まれると予想していたことを指摘している。この点は実際に19世紀(特にその後半)に欧州列強が世界各地に支配を広げていったこととも平仄があっており、もしかしてマルクスが人気を得たのもTurchinのように「予想を当てた」からかもしれない、と思ったりした。
 いずれにせよマルクスに比べウィットフォーゲルの方がより抽象的な議論をしているのは間違いない。この本に収められたマルクスの文章は基本固有名詞について論じているが、ウィットフォーゲルはもっとアジアとか西洋という切り口での話に敷衍している。専制政治の起源についての学術的な研究が進んだこともあるだろうし、一方で20世紀の冷戦時代ならではの「東西」という切り口が深く身に染みついていたがための議論にも見える。
 これが訳者の解説になると、歴史的な経路依存性の話は残っているが、それ以外は一段と抽象性の高い話になっている。そこでは国家間の関係や国内における縦と横のつながりといった切り口で専制政治について分析がなされており、固有名詞頼りだったマルクスはもとより、東西という切り口から離れられなかったウィットフォーゲルよりも機能面に着目した議論がなされている。また訳者の専門が中国研究である点なども反映されていると思うが、例えば専制国家では中間団体が存在せず、垂直的統制を強めることで横のつながりとそれに伴う信頼を醸成させないといった特徴があるとといった指摘もなされている。
 このあたり、ロシアや中国は囚人のジレンマで言うところの「裏切り」を選ぶ方が合理的な社会であるという推測とも整合性が取れている部分だ。そして垂直統合が数百年、いや時に千年を超えて続くような事態になれば、そうした行動原理が身に染みついてしまい、たとえ社会主義革命を経ても結局は同じ専制政治へと回帰してしまう(文中では専制の轍と呼んでいる)。彼らは近代世界システムが作り上げた世界経済に属する1メンバーになることを選ぼうとはせず、経済よりも国家の方が大きいという価値観から、今もまた世界帝国への道へ戻ろうとしている、というのがこの解説の内容。まさに経路依存性だ。
 それでも中国よりはロシアの方が専制政治に支配された時代が短く、それだけそこから脱する可能性も高いのではないか、と訳者は見ている。これは確かに一理ありそう。ロシアが帝国ベルトに飲み込まれたのはルーシの後の時代であり、特にモンゴルの支配以降だと考えるならまだ千年に及んでいない。またロシアは中国よりも欧州の価値観に触れる機会は多かったわけで、中国ほど徹底した専制政治に塗りこめられているわけではない、とも考えられる。
 一方でこの本の中で全く触れられていないのは、Turchinらが唱える騎兵革命の影響だ。タタールのくびきなどはまさに「鏡の帝国」を生み出す典型的な事象であり、マルクスの言う通り「モンゴル奴隷制の恐るべき卑しき学校」からモスクワ国家が育まれ成長したのだとしたら、まさに遊牧民と定住民の対立から生まれたのがロシアだと言える。彼らがタタールに対抗するためタタールと同じような専制的国家を築き上げたのだとしたら、そこには帝国を生み出す原因となった騎兵技術の持つインパクトが働いていたと考えたくなる。

 解説の最後には専制国家が非専制化を試みてもいずれ挫折し、また専制国家に戻るという流れが今後も続くと予想している。もし専制国家が生まれた理由がウィットフォーゲルの言うような「水力世界」にあるのだとしたら、産業革命以降に農業の経済的重要性が低下した結果として、いずれ専制国家のメリットは薄れ、経済面で有利な政治体制へシフトしていく可能性もある。だがそうではなくTurchinの言うように騎兵革命のせいだとしたら、騎兵の時代が終わった後も500年にわたって専制国家が生き残っているのはあまりうれしい事態ではない。それにもう1つの帝国ベルトであるイスラム圏には、大帝国こそなくなったものの代わりにプチ専制国家が大量生産されている。もしかしたら専制を終わらせるより大帝国を終わらせる方が簡単なのかもしれない。
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